福野礼一郎
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福野礼一郎(ふくの れいいちろう)は日本の自動車評論家。明治学院大学出身。元COTY(日本カーオブザイヤー)選考委員。
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[編集] 人物・エピソード
1956年 東京出身。本人曰くボーソー族 (実際は走り屋だったらしい)あがりで元ブローカー。自動車においては自身の経験から得た生産技術、機械加工、材料の方面に明るく、また様々な工業製品にも精通している。しかしながら、その評論スタンスは物理をベースにした毒舌。そのためトラブルの噂が絶えない。また、超がつくほどのミリタリーオタクでもある。特に、『CAR GRAPHIC』1996年9月号に掲載された陸上自衛隊東富士演習場の訪問記は、福野の造詣ぶりが大いに発揮された名記事といえる。
『F-ROAD』以外には、『NAVI』や『CAR GRAPHIC』、『ル・ボラン』で記事を目に出来る事もある。 外国製スポーツカー(ポルシェ、フェラーリ)や高級車(メルセデス・ベンツ、BMW、アウディ)についての評論が多いが、大衆車に興味がないわけではなく、欧州製小型車や国産車(トヨタ車、フェアレディZ等)についても評価している事がある。 CG誌において自動車の部品製造を取材した際に、トヨタ・センチュリーの構成に感銘を受けたようで、評論中にも比較対象としてしばしば登場する。
自動車雑誌の編集歴としては、1980年代前半に走り屋系雑誌『Option』の編集部員もしくはアシスタントを経て、1987年頃には外車雑誌『GENROQ(ゲンロク)』の編集長(代行)の経歴有り。しかし1988年には『カー&ドライバー』に執筆している事から、それまでにGENROQの編集から退いたとみられる。その後は一般誌・専門誌への連載記事を書いているが、1994年頃に「CarEX」誌に編集顧問という形で関わる。雑誌への掲載記事数は最大時で月に30本であったと述懐している。 使いっ走りの頃に兼坂弘の「罵声」を盗み聞きして以来、師と仰いでいた。
2006年には主筆として二玄社から季刊誌『クルマの神様』を出版したが、2005年に出したパイロット版から大幅に落ちたクオリティがファンからも酷評され、2号をもって休刊となった。
現在の連載はF-ROAD「TOKYOスーパーカー研究所(Tスー研)」の他にCar Graphic誌「新クルマはかくして作られる」、ル・ボラン誌「近頃のクルマ事情」、ゲーテ誌「如何にしてブランドはカタチを作り、カタチはブランドにイメージを与えるのか」がある。
マガジンXの「ざ・総括」において、'90年代半ばまで登場していた「芸人」は福野であるとされているが、未だ本人からの明言はない。
[編集] T中研について
GENROQ編集長(代行)を辞めたあとは、CarEXにて「TOKYO中古車研究所TM(略称:T中研TM)」の連載を始める。T中研は掲載紙を「くるまにあ」へと換えながら、2004年2月号まで連載された。その後はくるまにあ誌編集部の都合により連載打ち切りとなるが、2006年3月よりくるまにあ誌の姉妹紙であるF-ROADにて復活している。(くるまにあ誌はT中研の連載終了後、大幅に紙面をリニューアルして販売部数拡大を目指したが、失敗した模様で現在は休刊となっている)
福野礼一郎の他、中古車販売業の荒井克尚((有)スティックシフト 代表)をはじめ数名のメンバーで構成された内容を、不定期に連載している。(雑誌への掲載は毎月あるが、主題となる記事が試乗記であったり座談会であったり、メカニズムの解説であったりと月ごとの連続性が薄い) 試乗に関する記事では、「東京メトロテスト」と称して都内の同じコースを同じ条件で比較するため、年代を超えて比較できる。(対初期型、対前モデル等)
T中研の記事は主に福野が執筆もしくは編集している模様だが、F-ROAD誌へは福野が所属する「(有)MPI」の外部編集記事として掲載している。そのため記事の冒頭に「企画・構成(有)MPI」とクレジットしている。
[編集] 愛車遍歴
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免許取得以来、買ったクルマは約40台に及ぶ。朝日新聞の「ひと」で取り上げられた時には、独身でなければ絶対無理だったとコメントしている。
[編集] 湾岸ミッドナイト
FD3Sで湾岸を駆けた「RGOのマサキ」が福野をモデルにしているといわれる(ルックスも近い)。ニコイチのポルシェ 928のエピソードや、谷田部での(ショップ主催)最高速トライアル等のエピソードは、自身のエッセイ(もしくは評論)にも登場する。また、高木優一の「最も優れたマテリアルは鋼である」、富永公の「人間のキャパシティでスピードは決まる」という考えも符合する。
ライバルの愛車がポルシェ・911であることやステージが首都高速であること、車両のスペックだけではなく関わる人物や車両の誕生背景について詳細に描くスタイルを根拠に、福野が湾岸ミッドナイトの企画もしくは構成段階から関与(アドバイス)しているという噂があったが、著者の楠みちはるとの面識はなく、彼が福野の熱烈なファンであることが後に判明している。
[編集] 主な著書
初版本の発売順。
- 『世界の名車グラフティ ポルシェ』(福野礼名義、岡崎宏司編)新潮文庫 1983年10月発行 ISBN 4101320012
- 『福野礼一郎のクルマ屋でごめんなさい』三推社刊 1994年7月発行 ISBN 4062070634
- 『ホメずにいられない―オイラが出会った“ホンモノ”なヒト・モノ・クルマ』双葉社刊 1997年7月発行 ISBN 4575287555
- 双葉文庫 2000年10月発行 ISBN 4575711675
- 『幻のスーパーカー』双葉社刊 1998年6月発行 ISBN 4575288840
- 双葉文庫 2004年3月発行 ISBN 4575712752
- 『人気中古車スーパーテスト』(福野礼一郎&TOKYO中古車研究所TM名義)双葉社刊 1999年9月発行 ISBN 4575290173
- 『ホメずにいられない2―オイラが出会ったクルマ名人芸の一部始終』双葉社刊 1999年2月発行 ISBN 4575289337
- 双葉文庫 2001年5月発行 ISBN 457571190X
- 『クルマはかくして作られる—いかにして自動車の部品は設計され生産されているのか(別冊CG)』二玄社刊 2001年4月発行 ISBN 4544910021
- 『自動車ロン』双葉社刊 2002年9月発行 ISBN 4575294667
- 双葉文庫 2006年3月発行 ISBN 4575713082
- 『またまた自動車ロン』双葉社刊 2002年12月発行 ISBN 4575295000
- 『超クルマはかくして作られる(別冊CG)』二玄社刊 2003年1月発行 ISBN 4544910072
- 『狂気撃走小説 バンザイラン』双葉社刊 2003年4月発行 ISBN 4575234591
- 『礼一郎式外車批評』双葉社刊 2003年8月発行 ISBN 4575295582
- 『いよいよ自動車ロン』双葉社刊 2004年1月発行 ISBN 4575296449
- 『自動車ロン頂上作戦』双葉社刊 2004年3月発行 ISBN 4575296767
- 『極上中古車を作る方法(別冊CG)』二玄社刊 2004年6月発行 ISBN 454491017X
- 『スーパーカー野郎』双葉社刊 2004年7月発行 ISBN 4575296988
- 『福野礼一郎のカーインプレコミック』(作画:中野カンフー・中野トンフー)世界文化社刊 2004年9月発行 ISBN 4418044027
- 『福野礼一郎の宇宙 甲』双葉社刊 2004年12月発行 ISBN 4575297712
- 『福野礼一郎の宇宙 乙』双葉社刊 2004年12月発行 ISBN 4575297720
- 『最後の自動車ロン』双葉社刊 2005年3月発行 ISBN 4575297879
- 『The Engine:Ferrari 365GT/4 BB』二玄社刊 2005年10月発行 ISBN 4544400023
- 『福野礼一郎 クルマンガ 1』(作画:中野カンフー・中野トンフー)双葉社刊 2006年9月発行 ISBN 4575478644
- 『世界自動車戦争論 1』双葉社刊 2008年4月発行 ISBN 9784575300277
[編集] 関連項目
- 渡辺慎太郎 元ル・ボラン、CG編集部員。現在(有)MPI代表取締役
- 山内一典 (株)ポリフォニー・デジタルプレジデント。GT3の頃、福野はゲームに隠された秘密を看破してケチをつけていたが、GT4の完成度に驚き、共にゲーム内の「ニュルブルクリンク24時間耐久」を戦うまでに至った。