石本秀雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
石本 秀雄(いしもと ひでお、1906年 - 1965年)、日本の撮影技師である。サイレント映画の時代にハイティーンにして早くも撮影技師に昇進、片岡千恵蔵主演作を多く手がけた、日本を代表する映画カメラマンのひとりである。
目次 |
[編集] 来歴・人物
1922年(大正11年)、牧野教育映画製作所(等持院撮影所)撮影部に入社する[1]。田中十三らの助手をつとめ、1923年(大正12年)のマキノ映画製作所への改組、1924年(大正13年)7月の東亜キネマへのマキノの吸収合併を経ても等持院撮影所で撮影助手をつとめ、1925年(大正14年)6月のマキノ・プロダクションの設立に際して、新設の御室撮影所にともに移り、同年8月、技師に昇進、富沢進郎監督の帝国キネマからマキノへの移籍第1作『猿』で撮影技師としてデビューした。また同年、撮影部の先輩・橋本佐一呂の監督デビュー作であり、中根龍太郎主演の『呑喰気抜之助』の撮影を手がける。1926年(大正15年)、俳優・中根龍太郎の監督デビュー作『お止めなさいよ人の噂は』を手がけたのち、翌1927年(昭和2年)からは、前年に設立されたマキノ傘下の「勝見庸太郎プロダクション」作品を多く手がけた。
1928年4月、片岡千恵蔵、嵐長三郎(嵐寛寿郎)、中根龍太郎らの50数名に及ぶマキノ俳優総退社、大道具主任・河合広始、撮影技師・田中十三が退社して日本キネマ撮影所の設立に際して、石本もマキノを退社、同年5月10日の「片岡千恵蔵プロダクション」(千恵プロ)創立メンバーとなる[1]。その6日後の5月16日に撮影を開始した「千恵プロ」設立第1作、伊丹万作オリジナル脚本、稲垣浩監督による『天下太平記』の撮影を担当する。以降、1937年(昭和12年)の「千恵プロ」第百作記念作品『浅野内匠頭』に至るまで、稲垣監督の『瞼の母』や『一本刀土俵入』(1931年)、伊丹監督の『国士無双』(1932年)、山中貞雄監督の『雁太郎街道』(1934年)などの歴史的傑作を映像技術で支えた。同年4月、「千恵プロ」は解散、プロダクションごと日活京都撮影所に招かれ[2]、石本も同撮影所に入社した。
日活京都撮影所でも、片岡の主演作を中心に手がけ、片岡と歌手のディック・ミネが共演したマキノ正博監督のオペレッタ『弥次喜多道中記』(1938年)や『弥次喜多 名君初上り』(1940年)なども担当している。1941年(昭和16年)1月の戦時統合による大映への合併の際も、片岡や稲垣とともに大映に残り、『独眼龍政宗』(1941年)を皮切りに、第二次世界大戦のさなかにも撮影技師をつとめつづけた。戦後間もない1945年(昭和20年)秋には、阪東妻三郎主演、丸根賛太郎監督の傑作『狐の呉れた赤ん坊』の撮影を手がけ、賞賛を浴びた。
1950年(昭和25年)5月6日に公開された伊藤大輔監督の『われ幻の魚見たり』を最後に大映を去り、同年、東横映画でおなじく伊藤監督の『レ・ミゼラブル あゝ無情 第一部 神と悪魔』、マキノ正博監督の『レ・ミゼラブル あゝ無情 第二部 愛と自由の旗』を経て、松竹京都撮影所に移籍した。移籍第1作はやはり伊藤監督の『おぼろ駕籠』で、同作は1951年(昭和26年)1月13日に公開された。
56歳になる1962年(昭和37年)、大曾根辰夫監督、市川猿之助主演の『義士始末記』をもって引退した。その3年後、1965年(昭和40年)に死去した[1]。58-59歳没。
[編集] おもなフィルモグラフィ
- 猿 1925年 監督富沢進郎、原作・脚本中島宝三、主演実川延松 ※撮影技師デビュー作
- 呑喰気抜之助 1925年 監督橋本佐一呂、脚本城戸品郎、主演中根龍太郎
- お止めなさいよ人の噂は 1926年 監督・主演中根龍太郎、脚本北本黎吉
- 天下太平記 1928年 監督稲垣浩、原作・脚本伊丹万作、主演片岡千恵蔵
- 瞼の母 1931年 監督・脚本稲垣浩、原作長谷川伸、主演片岡千恵蔵
- 一本刀土俵入 1931年 監督・脚本稲垣浩、原作長谷川伸、主演片岡千恵蔵
- 国士無双 1932年 監督・脚本伊丹万作、原作伊勢野重任、主演片岡千恵蔵
- 雁太郎街道 1934年 監督山中貞雄、原作梶原金六、脚色三村伸太郎、主演片岡千恵蔵
- 浅野内匠頭 1937年 監督藤田潤一、原作・脚色三村伸太郎、主演片岡千恵蔵
- 弥次喜多道中記 1938年 監督マキノ正博、原作・脚本本城英太郎(小国英雄)、主演片岡千恵蔵、共演ディック・ミネ
- 弥次喜多 名君初上り 1940年 監督マキノ正博、原作・脚本山上伊太郎、主演片岡千恵蔵、共演ディック・ミネ
- 続清水港 1940年 監督マキノ正博、脚本小国英雄、主演片岡千恵蔵
- 狐の呉れた赤ん坊 1945年 監督・原作・脚本丸根賛太郎、原作谷口善太郎、主演阪東妻三郎
- 透明人間現わる 1949年 監督・脚本安達伸生、原案高木彬光、主演月形龍之介
- われ幻の魚見たり 1950年 監督・原作・脚本伊藤大輔、主演大河内伝次郎
- レ・ミゼラブル あゝ無情 第一部 神と悪魔 1950年 監督伊藤大輔、原作ヴィクトル・ユゴー、脚本棚田吾郎・舟橋和郎、構成八木保太郎、主演早川雪洲
- レ・ミゼラブル あゝ無情 第二部 愛と自由の旗 1950年 監督マキノ正博、原作ヴィクトル・ユゴー、脚本棚田吾郎・舟橋和郎、主演早川雪洲
- おぼろ駕籠 1951年 監督伊藤大輔、原作大仏次郎、脚本依田義賢、主演阪東妻三郎
- 花の生涯 彦根篇 江戸篇 1953年 監督大曾根辰夫、原作舟橋聖一、脚本八住利雄、主演松本幸四郎(松本白鸚 (初代))
- 義士始末記 1962年 監督大曾根辰夫、脚本野村南海男、主演市川猿之助 ※遺作
[編集] 関連事項
- 牧野教育映画製作所 - マキノ映画製作所 - 東亜キネマ - マキノ・プロダクション (牧野省三)
- 日本キネマ撮影所 (河合広始、田中十三)
- 日本映画プロダクション連盟 (片岡千恵蔵、嵐寛寿郎)
- 片岡千恵蔵プロダクション
- 日活京都撮影所
- 東横映画 (マキノ光雄)
- 松竹京都撮影所