県民性
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県民性(けんみんせい)とは、各都道府県ごとの、県民の性質や行動についての、なんらかの傾向を指す言葉である。
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[編集] 概説
県民性という言葉が指しているのは、考え方や気質だけでなく、摂食するものの傾向、住宅や自動車などの購買金額の差、預貯金の金額の差などの、きわめて具体的で統計的・科学的にも正確に把握しやすいものまで含んでいる概念である。
要素ごとに、それがはっきりと現れる県と、漠然としてあまり明確には現れない県がある[1]。
[編集] 県民性を作り出す原因
県民性を作り出しているものとしては歴史や風土が挙げられる[2]。あるいはもっと具体的に、地形や気候、人口、産業といったものを原因として挙げる人もいる。また地域ごとに流布状況の異なる宗派(宗教)の影響も挙げられる[3]。
[編集] 歴史
各県ごとに、過去の歴史背景は大きく異なっている。
[編集] 「県民性」、かつては「お国柄」
そもそも「県民性」というのは比較的新しい言葉である。もともとは「お国柄(おくにがら)」などの言葉で呼ばれていた[4]。現在でも年配の人の中には「県民性」という言葉よりむしろ「お国柄」という言葉を好んで使う人も存在する。
明治時代になって廃藩置県が行われるまでは、現在の県に相当する単位は「くに」と呼ばれていた(「甲斐のくに」「三河のくに」など)。「くに」の意味は、現在の県とは大きく異なり、それぞれ現在よりもはるかに分断された状態で存在しており、各「くに」は、現在の"政府"にも相当する「藩」によって支配されていた。それらの「くに」の境は「くにざかい」と呼ばれ、現在の意味での「国境(こっきょう)」に相当するものであって、関所もあり、それを越えるためには現在のパスポートに相当する通行手形なども必要とされており、行き来にはそれなりの制限があったので、人々の行き来は(現在の日本人と比べるとはるかに)限られていた。言葉も現在のように標準語などというものがあったわけではなく、方言を話しており、「くにざかい」をいくつか越えれば全く言葉が通じないということも多かった。昔の人にとっては、同じ日本の中でも国境を越えれば、すっかり異国だったのである。
人の流通も物資の行き来も現在に比べればはるかに限られており、各「くに」の人々は他の「くに」の人々と接することも(現在と比べればはるかに)少なく、それぞれの「おくに」は異なった性質を保つ傾向は強かった。
現代でも、小学校などでは、各県の教育委員会など作成した、地元の歴史的英雄の話を織り込んだ冊子などを、小学生などに配布して読ませていたりする。そういったもので、地域ごとに異なった価値観も形成されている。例えば、会津で育った子供は白虎隊側の視点で見た歴史の話を繰り返し繰り返し聞いて育つ(それに対して、山口県の子供たちは(会津の子供に比べると)白虎隊の視点に立った話はほとんど聞かされない)。愛知県の東部(三河地方)で育った人は徳川家康の側から見た歴史を、同県の西部地域(尾張地方)で育った人は織田信長や豊臣秀吉の側から見た歴史を、鹿児島県で育った子供は西郷隆盛の側から見た歴史の話を繰り返し聞かされて育ち、それが人生観や価値観になんらかの影響を及ぼしている。
[編集] 宗派
例えば、富山県などの北陸地方では、親鸞の創始した浄土真宗の影響が強く残っていて、人々のものの考え方、価値観に影響を及ぼしている(それが勤勉で忍耐強い県民性につながり、富山県が持ち家比率が全国一、福井県や石川県もそれに続く数字である、という分析もある)[5]。
[編集] 調査
時代を遡れば、戦国時代に成立したともされる『人国記』には、律令制に基づく国ごとの気質についての記述が記載されている。武田信玄はその内容を参考にして戦いを有利にすすめていたともいわれている。この後、江戸時代初期には、この「人国記」の改訂版「新人国記」も書かれた。
近年では、日本放送協会による調査などが行われている。
また、県別の統計データを集めたデータブック集なども複数出版されており、ビジネスマンたちはそれを活用して、ある商品が売れやすい県、売れにくい県などを考慮しつつ、県ごとの出店計画立案などに役立てている。
[編集] 問題点
統計的データというものは、県民性に関する説明に限らず、数字のままで表現されているうち(~県人の~%は....である)は正確である。だが、それを統計も知らない人に説明するために平易な言葉に置き換えて、「~県人は~の傾向がある」などと表現しはじめた段階から、(統計を知らない)受け手の側の一部に誤解が生じ始める。統計というものの性質を理解せず、「~県人の全員がその性質を持っている」と思い込む人がいるためである[6]。「~県人の全員がある性質を持っている」という誤解が少数でとどまらず、さらに広範囲に流布してゆくと、それは、ある県民に関してステレオタイプなイメージが形成された、ということになってしまい弊害が生じる。
また、ある時点ではほぼ妥当であったイメージであっても、時間とともに県民の性質が変化し、イメージが実態と乖離してしまうことがある。すなわち、ある段階では実像であったものが、時代の変化とともに虚像になってしまっていることがある[7]。例えば江戸っ子気質というものは、かつては確かにあったが、昭和30年代から40年代にかけての東京への著しい人口流入と地価高騰による人々の周辺地域への移動で「江戸っ子気質」はほとんど見られなくなった。あるいは「愛知県人は結婚式に非常にお金をかける」というイメージは数十年前までは統計的に見て正しかったが、現在では統計的に見て愛知県人の結婚式の費用は特に突出してはいない。現在でもそのようなイメージを持っているとそれは虚像となる。
人の性質の変化する境界線が、必ずしも現在の県の区切りではなくて、もっと細分化された地域区分であることがあり、現在の県ごとに統計をとると数字でははっきりと現れず、歴史を考慮して地域を限定するとはっきりと現れることがある。例えば、滋賀県という単位で統計をとっても「近江商人」の性質は統計上はっきりとは現れないが、歴史的に近江商人が住んでいた地域に限定して(たとえば彦根市で)統計をとると「堅実」「勤勉、倹約」といったことを重んじる「近江商人」の態度が、全国でも最高ランクで、統計的にはっきりと現れる[8]。
この傾向は特に兵庫県や福岡県において顕著である。例えば兵庫県は旧国で区分すれば摂津・但馬・丹波・播磨・淡路の5国となり、旧藩で区分すればもっと多くなる。また神戸市とその周辺地域にはさまざまな国・地域から永住を選んだ在留外国人=日本人ではないが兵庫県民である者も多いので、彼らの文化は当然それぞれ違う(例としてあげれば、神戸市にムスリムのモスクがある。サリーを着たインド人家族が三宮の街を歩いているのもしばしば目にする風景である)。このため性質や行動などについて共通点・相似点などが見出しにくく、しばしば「県民性がないのが兵庫の県民性」などという苦し紛れの強弁がなされることがある。
[編集] TV番組の情報の問題点
民放のテレビ番組のバラエティ番組のテーマとして扱われると、他の様々なテーマ同様に県民性というテーマもいい加減なもの・不正確なものとなってゆく傾向がある。調査の時間や予算もかけずにともかく放送予定日までに番組を作成しようとする態度、すなわち学問性や科学性をまったく軽視した態度が、バラエティ番組の制作者には多々見られ、不正確な情報(一種の疑似科学)がそこから発信される傾向がある。例えば、統計学を根本から無視して、わずか数件のデータで結論を出したり、あるいは、面白みのある結論を先に決めておいてそれに都合のよいデータや出来事を捏造するという、いわゆる「ヤラセ」が見られる。
また、東京を基準として県民性を扱う番組が多いため、東京について扱われることは殆ど無い。特にその(関東圏の人が抱く)イメージからか、大阪府は面白おかしく取り上げられることが多い。
[編集] TV番組 関連項目
[編集] 県民性の具体的な例
(ステレオタイプ的なものや、すでに過去のことで虚像となったものも含む)
- 青森県:津軽のじょっぱり
- 茨城県:茨城の三ぽい(怒りっぽい・忘れっぽい・飽きっぽい)
- 水戸市では『水戸の三ぽい』(怒りっぽい・理屈っぽい・骨っぽい)になる。
- 群馬県:ほとんどの県民・出身者が「上毛かるた」を暗誦できる。
- 東京都:井の中の蛙(狭い世界に閉じこもって、広い世界のあることを知らない)
- 長野県:ほとんどの県民・出身者が県歌「信濃の国」を歌える。
- 京都府:京のぶぶ漬け
- 高知県:いごっそう
- 佐賀県:佐賀のふうけもん(いひゅうもん)
- 熊本県:肥後もっこす
- 鹿児島県:ぼっけもん
- 沖縄県:ウチナータイム、テエゲエ主義
[編集] 脚注
[編集] 参考文献
- 祖父江孝男 『県民性の人間学 出身県』 新潮社、2000年 ISBN 4102900586 (著者は東大理学部人類学科→ハーバード大大学院で学び、文化人類学を専門にする大学教授)