渡真利克則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渡真利 克則(とまり かつのり、1962年8月23日 - )は沖縄県宮古島市(旧平良市)出身の元プロ野球選手・審判員。右投右打。審判員袖番号は採用された1993年から2003年まで39(※39は現在空番。)で2004年以降は5(※5は大里晴信が1988年初採用から1995年退職までつけていた番号である)。
目次 |
[編集] 来歴・人物
中学時代は野球部と陸上部を兼務。興南高等学校入学時は投手だったが、三塁手に転向し、1980年甲子園には5番打者として出場、チームはベスト8の成績を残す。同年のドラフト2位で阪神タイガースに入団し、主に一塁手、外野手、代打として出場した。1985年の阪神リーグ優勝決定の試合でランディ・バースにかわって一塁手として途中出場していた渡真利が、中西清起からの送球を受けた(試合は5-5の引分)シーンのおかげで、渡真利は実績の割に阪神ファンの中での知名度は高い。
1991年にはダイエーに移籍。1992年限りで引退。1993年よりセ・リーグ審判員となる。2005年シーズン終了時までの通算出場数は597試合、オールスター1回出場。
試合中に体調を崩す事が多い。2003年9月2日の広島対阪神戦で球審を務めていたが試合中に倒れて途中交代した。この時は控え審判員の谷博が2塁へ、2塁塁審だった上本孝一が球審にそれぞれ廻った。また、2005年5月にも病気で長期離脱している。2006年4月21日の巨人対阪神戦でも、阪神先発の井川慶が巨人小坂誠に5球目を投げようとしたとき、捕手の矢野輝弘に向かって覆いかぶさるように倒れ途中交代した。試合は、控え審判員の有隅昭二が3塁へ、3塁塁審の井野修が球審にそれぞれ廻り、続行された。渡真利は担架で運ばれ退場、そのまま入院したが、翌日退院。原因は不整脈といわれているが、精密検査では異常は見られなかった。
セントラル野球連盟は、渡真利の体調等を考慮し、2007年1月1日付で、渡真利を連盟の関西事務所職員とする人事異動を発令した。
[編集] 生涯成績
- 268試合 打率.255(494-126) 14本塁打 47打点 4盗塁(一軍実働8年)
[編集] 背番号
- 62(1981年~1988年)
- 29(1989年~1990年)
- 38(1991年~1992年)
[編集] 審判員袖番号
- 39(1993年~2003年)
- 5(2004年~2006年)
[編集] 関連項目
阪神タイガース 1980年ドラフト指名選手 |
---|
1位:中田良弘 / 2位:渡真利克則 / 3位:石橋功行 / 4位:山田和英 |