江口圭一
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江口 圭一(えぐち けいいち、1932年8月12日 - 2003年9月26日)は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。
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[編集] 略歴
- 1955年 京都大学文学部卒業
- 1958年 同大大学院修士課程修了、同大人文科学研究所助手
- 1966年 愛知大学法経学部助教授
- 1977年 同大法経学部教授
- 1989年 同大法学部教授
- 1994年 同大法学部長(~1997年)
- 2003年 同大名誉教授
[編集] 人物
愛知県名古屋市生まれ。大学の同期には木坂順一郎(木坂は法学部へ転学部)・戸田芳実・松浦玲らがいる。大学院時代に小葉田淳の指示で、『日本近代史辞典』(東洋経済新報社、1958年)の編さん事務を担当した。人文研では飛鳥井雅道が助手の同期。渡部徹・井上清の指導を受けた。
十五年戦争研究をライフワークとした。1988年には家永三郎の第3次教科書訴訟で証人として立ち、文部省の検定行政を批判した。
1992年には愛知大学と学術・教育交流協定を結ぶ中国・天津市の南開大学日本研究センターに私財5,000万円を寄付した。南海大学ではこの寄付金を元に「江口圭一日本研究基金」を創設した。
クラシック音楽ファンとしても知られ、ジョージ・セルに心酔。レコードのライナーノートも執筆している。2003年、多臓器不全のため死去(71歳)。
[編集] 学説
以下の二つの学説を提唱し、日露戦争からアジア太平洋戦争に至る過程で見られた、日本の対外針路の不定性・混迷の要因を解明したことで知られる。
- 二面的帝国主義論
大日本帝国は、アジアでは軍事的に自立(independence)する「軍事強国」であるが、資源などで英米に依存(dependence)しなければならない「経済弱国」である。その日本帝国主義の構造的な矛盾が、米英との関係強化を志向する「対米英協調」と依存からの脱却を志向する「アジア・モンロー主義」を生み出した。これらは、ワシントン体制への対応などで対立を深め、満洲事変以降、アジア・モンロー主義が優勢となっていく。
- 天皇制立憲主義論
大日本帝国憲法で規定された国家権力・政治体制には、専制主義的側面(天皇・元老・宮中・枢密院・貴族院・陸海軍など)と立憲主義的側面(内閣・衆議院・政党など)という対照的な二面性がある。どちらの側面が優勢になるかは、内閣の力量と性格、民衆の圧力の性格と度合、対外関係のあり方、社会・経済の変容によって変動する。翼賛体制の形成によって、天皇制立憲主義は天皇制ファシズムに変質する。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『日本帝国主義史論 満州事変前後』(青木書店、1975年、ISBN:9784250750519)
- 『都市小ブルジョア運動史の研究』(未来社、1976年)
- 『昭和の歴史(4)十五年戦争の開幕』(小学館、1982年/小学館ライブラリー、1994年、ISBN:9784094610243)
- 『十五年戦争小史』(青木書店、1986年/新版1991年、ISBN:9784250910098)
- 『日中アヘン戦争』(岩波書店[岩波新書]、1988年、ISBN:9784004300298)
- 『盧溝橋事件』(岩波書店[岩波ブックレット]、1988年、ISBN:9784000034333)
- 『大系日本の歴史(14)二つの大戦』(小学館、1989年/小学館ライブラリー、1993年、ISBN:9784094610146)
- 『1941年12月8日 アジア太平洋戦争はなぜ起こったか』(岩波書店[岩波ジュニア新書]、1991年、ISBN:9784005001989)
- 『日本の侵略と日本人の戦争観』(岩波書店[岩波ブックレット]、1995年、ISBN:9784000033053)
- 『日本帝国主義史研究』(青木書店、1998年、ISBN:9784250970511)
- 『十五年戦争研究史論』(校倉書房、2001年、ISBN:9784751731901)
- 『まぐれの日本近現代史研究』(校倉書房、2003年、ISBN:9784751734209)
[編集] 共著
[編集] 編著
[編集] 編纂史料
- 『資料 日中戦争期阿片政策 蒙疆政権資料を中心に』(岩波書店、1985年、ISBN:9784000016520)
- (芝原拓自)『日中戦争従軍日記 一輜重兵の戦場体験(愛知大学国研叢書)』(法律文化社、1989年、ISBN:9784589014641)