家永三郎
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家永三郎(いえながさぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史家(日本思想史)・東京教育大学名誉教授。文学博士(東京大学)。
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[編集] 来歴
愛知県名古屋市生まれ。父は陸軍少将家永直太郎。社会学者で東北大学名誉教授の新明正道は舅。市立東京一中、旧制東京高校を経て、1937年東京帝国大学文学部国史学科卒。国民精神文化研究所教員研究科高等教員研究科修了。東京帝国大学史料編纂所、教学局日本文化大観編纂助手などを経て、1944年東京高等師範学校教授。
戦後間もなく開学した東京教育大学文学部教授に就任し、1978年の定年退職まで一貫してその地位にあった。その間、東京大学、東京女子大学など、いくつかの大学で日本思想史の講義も担当した。東京教育大学退官後は、中央大学法学部教授を務めた。
[編集] 日本思想史研究
当初の専攻は日本古代思想史であったが、次第に研究領域を広げ、後半生では、反権力的な自由主義的姿勢を強め、その立場からの社会的発言を数多く行い、植木枝盛、美濃部達吉、津田左右吉、田辺元など、同様の傾向を持った近代思想家に対する共感を込めた研究や第二次世界大戦に関する反省的立場からの思想史的アプローチを試みた論著を多く発表した。中でも、『太平洋戦争』(岩波書店)は広く読まれ、大きな影響力を持った。
[編集] 反権力的自由主義者
家永の教科書裁判や数々の著作は、表現の自由を求める断固たる運動として海外において評価され、2001年には、日本の国会議員・大学教授83名のほか、中国、韓国、アメリカ、カナダ、EUの14名の閣僚・国会議員、そしてノーム・チョムスキーやハーバート・ビックス、ブルース・カミングス、ジョン・ダワー、イマニュエル・ウォーラステイン、鄭在貞等144名の学者達によって、ノーベル平和賞候補者に推薦された。
[編集] 思想的変遷への評価
家永はもともと反権力的志向を持っていたわけではない。青年期には陸軍士官学校教官を志望し受験するも、胃腸に慢性的な持病があったため身体検査で落とされるという経歴を持っている。また、昭和天皇に進講したり、学習院高等科の学生だった明仁天皇に歴史を講ずるなど皇室との係わりを持っていた。
また、家永は日本国憲法が公布された1946年11月に『教育勅語成立の思想史的考察』という論文を発表(『史学雑誌』第五十六巻第十二号・1946年11月)しているが、この中で明治憲法と教育勅語を絶賛している。戦前ならともかく戦後に、しかも新憲法公布の時期にこのような論文を発表していながら、特に自己批判や撤回もないまま後年の思想的立場に移行している(教育勅語は2年後の1948年に国会本会議で排除・失効決議がされたが、1946年10月からGHQの意向によって公教育における教育勅語の奉読が禁止され始めていた)。その後の家永の態度の変化については、変節漢と批判されることがある。また、評論家の日垣隆は家永の上記『教育勅語成立の思想史的考察』を自著『偽善系』で紹介しながら、反権力ではなく権力者になりたかっただけだと批判している。
家永のイメージが反権力的なものに変わったのは、逆コースと呼ばれる1950年代の社会状況に対する反発が背景にあるとされており、そのころに憲法と大学自治に対する認識の変化があったといわれている。特に1960年に刊行した『植木枝盛研究』以降は、人権理念を自らの思想の中核に据えて、国家権力と対峙するような問題に取り組むようになっていった。そのほか、戦後のジャーナリズム・知識人社会においては、左翼的、社会主義賛美的なスタンスを取るほうが、圧倒的に経済面を含めて成功に近づくことができたという部分も指摘されている。
[編集] 家永三郎文庫
家永の死後、遺族の希望に基づき、家永の蔵書の大部分(約12,000点)は中国天津市にある南開大学の日本研究所に寄贈された。また、家永が『植木枝盛研究』(岩波書店)等の執筆に際して蒐集した明治期の出版物を中心とする文献資料は、町田市自由民権資料館に収蔵されており、それぞれ「家永三郎文庫」と命名されている。
[編集] 高校日本史教科書執筆と教科書裁判
家永は、戦後間もなく編纂された歴史教科書『くにのあゆみ』の執筆者の一人であったが、その後長く高校日本史教科書『新日本史』(三省堂発行)の執筆を手がけた。通常、歴史教科書は、専門分野を異にする複数の著者によって執筆されるが、『新日本史』は、家永の単独著作という異例の体制で発行された。当初は古代思想史専門だった家永が一人で執筆した歴史教科書は、単純ミスだけで数百カ所に上るとも云われたが、複数の担当者により執筆される他の教科書でもその程度の指摘はされることが多く、突出して多かった訳ではない。
自身の執筆した日本史教科書における南京大虐殺、731部隊、沖縄戦などについての記述を認めなかった文部省に対して、検定制度は違憲であるなどとして三次の裁判を起こし、教科書検定を巡る問題を世間に広く知らしめた。訴訟における最大の争点であった「教科書検定は憲法違反である」とする家永側主張は、最高裁にて「一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲にあたらない」として、家永側の主張の大部分が退けられ、家永側の実質的敗訴が確定した。一方で、個別の検定内容については一部が不当とされ、家永側の主張が容れられた。学説の大多数も教科書検定制度は合憲とするこの判例結論を支持している。詳細は家永教科書裁判参照。
戦後は、前述の通り反権力的な思想を持つに至ったが、その中でも戦争責任を追及する立場は鮮明であった。自著『戦争責任』(岩波書店)では、慰安婦の強制連行を実際に行ったとの証言を行った吉田清司の著書『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』から大幅な引用を行い、これを事実として日本の責任を追及したが、同書は記述自体が信憑性に乏しく、後に吉田自身も偽証であることを認めたため、『戦争責任』は実証的な面が欠けるのではないかとの批判を浴びた。
教科書の発行に関しては、自由発行・自由採択であるべきだとの持論を教科書裁判提訴の頃より一貫して明らかにしており、80年代半ばの『新編日本史』を巡る議論が盛んだった時期には、「あの教科書の内容にはもちろん反対です。しかし、検定で落とせとは、口が裂けても言えない」と述懐していたといわれる。
[編集] 著書
[編集] 全集
- 『家永三郎集』全16巻 岩波書店、1997-1999年
- (1)思想史論
- (2)仏教思想史論
- (3)道徳思想史論
- (4)近代思想史論
- (5)思想家論1
- (6)思想家論2
- (7)思想家論3
- (8)裁判批判 教科書検定論
- (9)法史論
- (10)学問の自由 大学自治論
- (11)芸術思想史論
- (12)評論1 十五年戦争
- (13)評論2 裁判問題
- (14)評論3 歴史教育・教科書裁判
- (15)評論4 大学問題・時評
- (16)自伝
[編集] 単著
- 『日本思想史に於ける否定の理論の発達』(弘文堂、1935年)
- 『日本思想史に於ける宗教的自然観の展開』(斎藤書店、1942年)
- 『上代倭絵全史』(高桐書院、1946年)学士院恩賜賞受賞
- 『上代仏教思想史』(畝傍書房、1947年)
- 『新日本史』(富山房、1947年)
- 『新しい日本の歴史』(毎日新聞社、1950年)
- 『新国史概説』(富士書店、1950年)
- 『中世仏教思想史研究』(法藏館、1952年)
- 『新日本史』(三省堂、1952年~1994年)
- 『上宮聖徳法王帝説の研究』(三省堂、1953年)
- 『外来文化摂取史論:近代西洋文化摂取の思想的考察』(岩崎書店、1953年)
- 『歴史の危機に面して』(東京大学出版会、1954年)
- 『革命思想の先駆者:植木枝盛の人と思想』(岩波書店、1955年)
- 『日本の近代史学』(日本評論新社、1957年)
- 『植木枝盛研究』(岩波書店 1960年8月)ISBN 4000001590
- 『近代日本の思想家』(有信堂、1962年)
- 『大学の自由の歴史』(塙書房、1962年)
- 『司法権独立の歴史的考察』(日本評論新社、1962年)
- 『美濃部達吉の思想史的研究』(岩波書店、1964年)
- 『権力悪とのたたかい 正木ひろしの思想活動』(弘文堂、1964年)
- 『教科書検定:教育をゆがめる教育行政』(日本評論社、1965年)
- 『新講日本史』(三省堂、1967年7月)
- 『近代日本の争点』(毎日新聞社、1967年)
- 『日本近代憲法思想史研究』(岩波書店、1967年)
- 『太平洋戦争』(岩波書店、1968年)
- 『教育裁判と抵抗の思想』(三省堂、1969年)
- 『津田左右吉の思想史的研究』(岩波書店、1972年)
- 『田辺元の思想史的研究:戦争と哲学者』(法政大学出版局、1974年)
- 『検定不合格日本史』(三一書房、1974年)
- 『日本人の洋服観の変遷』(ドメス出版、1976年)
- 『東京教育大学文学部:栄光と受難の三十年』(現代史出版会/徳間書店、1978年2月)
- 『歴史と責任』(中央大学出版部、1979年)
- 『猿楽能の思想史的考察』(法政大学出版局、1980年4月)
- 『親鸞を語る』(三省堂、1980年6月)
- 『戦争と教育をめぐって』(法政大学出版局、1981年4月)
- 『「密室」検定の記録』(教科書検定訴訟を支援する全国連絡会、1983年1月)
- 『刀差す身の情なさ―家永三郎論文創作集』 (中央大学出版部、1985年)
- 『戦争責任』(岩波書店、1985年7月)ISBN 4-00-001167-7
- 『太平洋戦争 第2版』(岩波書店、1986年11月)ISBN 4-00-004536-9
- 『日本思想史学の方法』(名著刊行会、1993年3月)
- 『真城子』(民衆社、1996年)ISBN 4-8383-0519-2
- 『一歴史学者の歩み』(岩波書店、2003年5月16日)ISBN 4006030797
[編集] 編著
- 『日本古典文学大系 日本書紀』(井上光貞、坂本太郎らとの共編)
- 『日本平和論体系』
- 『絵巻物文献目録』(1951年)
- 『明治前期の憲法構想』(福村出版、1967年)
- 『海南新誌・土陽雑誌・土陽新聞』(弘隆社、1983年6月)
- 『大津事件日誌』(平凡社、1989年2月)ISBN 4-582-80187-0