元老
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元老(げんろう)とは、明治後期から昭和初期にかけて日本政府の最高首脳であった重臣である。
明治維新に功績のあった人物を元勲と呼ぶが、彼らが明治新政府において長期間に渡って事実上政治を牽引していたことから、主にマスコミ周辺から誕生した略称だと言われている(長老元勲→元勲老→元老、もしくは元勲諸老の略)。
法制上にその定めはなかったが、勅命または勅語によって任命され、天皇の諮問に答えて内閣更迭の際の後継内閣総理大臣の奏薦をはじめとする国家の最高意思決定に参与した。特に宮中問題を執るのが元老の権威の源泉となっており、このことは宮中某重大事件で敗退した山縣有朋が事実上失脚してしまったことからも明らかである。
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[編集] 沿革
最初に元老の詔勅を受け取ったのは、伊藤博文、黒田清隆である。当初は伊藤博文が枢密院議長の職を辞することから、明治天皇が詔勅を出そうとしたのだが、これでは薩長の藩閥において薩摩に不公平であることから、黒田清隆も元老に指名された。
時代の推移と共に元老の数は減少していった。松方の死去後、元老は西園寺のみとなったが、宮中では元老の再生産を行おうとする動きがあった。また、松方も存命中新たな元老を補充しようと考えていた。しかし最後の元老となった西園寺は山本権兵衛、清浦奎吾といった有力な候補たちに難色を示し、また別に重臣会議が設けられた事もあって、結局補充は行われないまま、1940年の西園寺の死と共に消滅した。
[編集] 元老の一覧
西園寺以外は薩摩藩・長州藩いずれかの出身である。また元老を任命したのは明治天皇のみで、大正天皇・昭和天皇は行っていない。
なお、第1次山縣内閣の総辞職後に山田顕義(長州)が元老に相当する元勲とともに後継総理大臣の奏薦を行っており、これについて歴史学者の佐々木隆は、山田が早世(1892年に49歳で死去)のために正式な任命の手続を得られなかった事実上の元老であった可能性を指摘している。なお佐々木は、後になって任命された桂・西園寺を除いた7名と山田を加えた8名をもって帝国憲法下における「薩長元勲」と位置づけている。
[編集] 訳語としての「元老」
「元老」という言葉は、内閣などの行政機関の中枢において、君主の補佐、または任命・承認に携わる少人数の特権的地位に対して用いられることがある。また、特に二院制などで、世襲もしくは長期の任期を与えられ特権的立場で立法を行う上院の議員に対しても用いられることもある(元老院議員)。しかしこの多少古めかしい響きの語は、度々西欧史の記述に登場するローマ元老院議員に対して用いられる以外ではあまり使われることが無くなった。
[編集] 脚注
- ^ 西郷のみ公式の任命手続きを経ていない。
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山縣有朋 - 井上馨 - 松方正義 - 西郷従道 - 大山巌 - 西園寺公望 - 桂太郎 - 黒田清隆 - 伊藤博文 |