出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バベル |
Level2 |
この利用者はある程度記事の書き方を理解しています。 |
en-1 |
This user is able to contribute with a basic level of English. |
css-2 |
babel:after {content: "この利用者はある程度のCSSを理解しています。";} |
html-2 |
<HTML><BODY><P>この利用者はある程度のHTMLを理解しています。</P></BODY></HTML> |
xhtml-2 |
<html><body><p>この利用者はある程度のXHTMLを理解しています。</p></body></html> |
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言語別の利用者 |
Anton21はウィキペディアン。主に雑草取りとして活動中。
[編集] 行動指針
私は Wikipedia 内において、次の基準に従って行動しています。(並び順)
- Wikipedia:五本の柱
- Wikipedia:基本方針とガイドライン
- 利用者間の合意(例:ウィキプロジェクト)
- 慣習
- 条理
法源および 法解釈も参照
注:
- 慣習は狭く解釈する。なぜなら、利用者が多数にのぼり共通の慣習を見出すのが困難であるから。
ただし、
[編集] 見解
[編集] 意見
相対主義とWikipedia:中立的な観点から考えて、ウィキペディアに何かしらの構造を仮定するのは難しい。ありうるのはウェブ構造だけである。しかし増え続ける記事の量を前にすれば、まったく構造を持たないというのも現実的ではない。多様な観点を前にして、利用者間の合意によって適切な構造を構築することははたして可能なのだろうか?疑わざるを得ない。いつかエントロピー増大[1]に立ち向かえなくなる時が来るのかもしれない。
また、次のような意見を持っています。
- ウィキペディアにおいては階層分類を採用することは相当困難であり、使える分野はかなり限定される。
- 特定の視点に基づく命名はWikipedia:中立的な観点に従っていない。(例:「○○の国歌」)
- 曖昧さ回避のための括弧の利用には慎重であるべき。なぜなら、括弧つきの名前は直感的でなく、安易に多用するとWiki リンクシステムを破綻させるから。
- パンくずリストは不要かつ妥当でない。なぜなら、一定の階層構造を前提とする上に、特定の視点を強制せざるを得ないから[2]。ただし、Wikipedia 名前空間のように限定された場であれば利用しうる。
[編集] 感想
次のような感想を持っています。
- 分類の困難さについて理解していない利用者が多い。図書館情報学や哲学関係の専門家にその辺をレクチャーしてもらうことが必要になりつつあるのかもしれない。
- カテゴリの階層化を厳密に行うことは困難である。そうしている限りは一部で破綻をきたし、「メタカテゴリ」を導入する必要が出てくるだろう。
- ウィキペディアの「法」は判例法ではあるが、Wikipedia:五本の柱や「公式な方針」[3]が基本法や一般法、ウィキプロジェクトなどが特別法と言えよう。
- ウィキペディアにおける合意形成においては議論が不毛なものとなりがちであるから、可能な限り「公式な方針」に基づいて意見を述べたほうがよい。逆に、前例踏襲主義に基づいた意見は適切ではない。それでは先行者が有利となってしまう。
- 抽象論に基づく主張[4]は大体において理解されないため、具体例を挙げて主張[5]せざるを得ない。しかしそうすると主張が冗長になって読んでもらえない場合が多い。また、大抵の参加者は特定の分野にしか関心が無いから、全体的な視野にたって見渡すことはほとんど無い(これは百科事典を書くという目的に照らせば当然のことである)。
- 将来起こりうる弊害を指摘しても、実際にそうなるまでは理解されない。ある意味カサンドラである。そして実際にそうなった時には、修正の手間がかかって大変である。しかし、ウィキペディアは民主的意思決定方式を採用しているからか、革新の速度は遅いものの内容はそれなりに安定しているので、長期的視点を持って対処するのがよかろう。よって、「悪いほうがよい」[1]ないし「80点主義」で行動するのがよい。「best より better」。「明日(のウィキペディア)は今日より常にすばらしい」と信じよう。
[編集] 独自研究
[編集] ツール
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク