李娜
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李娜 |
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基本情報 |
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ラテン文字名 | Na Li |
国籍 | 中華人民共和国 |
出身地 | 同・湖北省武漢 |
生年月日 | 1982年2月26日 |
身長 | 172cm |
体重 | 62kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1999年 |
ツアー通算 | 4勝 |
シングルス | 2勝 |
ダブルス | 2勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | 4回戦(2007) |
全仏 | 3回戦(2006) |
全英 | ベスト8(2006) |
全米 | 4回戦(2006) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 16位 |
ダブルス | 54位 |
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李 娜(リナ、ピン音表記: Li Na, 英語表記: Na Li , 1982年2月26日 - )は、中華人民共和国・湖北省武漢出身の女子プロテニス選手。2006年のウィンブルドン女子シングルスでベスト8に進出し、中国テニス選手の4大大会シングルス最高成績を更新した。これまでにWTAツアーでシングルス2勝、ダブルス2勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス16位、ダブルス54位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長172cm、体重62kg。
8歳からテニスを始める。1999年にプロ入りし、その年から女子テニス国別対抗戦・フェドカップの中国代表選手となったが、2002年7月に「ワールドグループ・プレーオフ」でロシアに5戦全敗で敗れた後、しばらくテニスから遠ざかった時期があった。2003年は全くプレーしなかったが、2004年5月に復帰してから急成長を始める。李娜は2005年の全豪オープンで4大大会にデビューし、第4シードのマリア・シャラポワとの3回戦まで進出した。2度目の4大大会出場だった全米オープンでは、1回戦で第2シードのリンゼイ・ダベンポートに敗れる。
2006年に入ると、李娜はさらに目覚ましい躍進を遂げ、WTAツアー大会でも上位に進出するトーナメントが増えた。全仏オープンでは初出場で3回戦に進出し、準優勝者となったスベトラナ・クズネツォワに敗れたが、ウィンブルドンでは3回戦でそのクズネツォワを 3-6, 6-2, 6-3 の逆転で破り、続く4回戦では全仏でベスト4入りしたチェコの17歳、ニコル・ヴァイディソワに 4-6, 6-1, 6-3 で勝ち、中国選手として史上初のウィンブルドン8強進出を果たした。それまでの中国選手の4大大会シングルス成績は、鄭潔が2年前の2004年全仏オープンで4回戦進出を記録したが、李娜は鄭潔を上回る「ベスト8」を“テニスの聖地”ウィンブルドンで実現させた。初舞台となった準々決勝では、センター・コートでベルギーのキム・クライシュテルスに 4-6, 5-7 で敗れている。
ウィンブルドン選手権の後、7月15日-16日にかけて女子テニス国別対抗戦・フェドカップの「ワールドグループ・プレーオフ」が中国の首都北京で開かれ、中国はドイツを「4勝1敗」で下して2007年度のワールドグループ出場権を獲得した。李娜はシングルス2試合に勝利を収め、中国にとって初めてのワールドグループ進出に大きく貢献した。[1] 全米オープンでも李娜は4回戦まで勝ち進んだが、第3シードのシャラポワに 4-6, 2-6 で敗れた。
2007年全豪オープンでは、李娜は4回戦で第6シードのマルチナ・ヒンギスに 6-4, 3-6, 0-6 で逆転負けした。その後胃腸の病気や、右肋骨の疲労骨折を患い、6月以後の試合に出場できなくなった。2008年1月、彼女は半年ぶりの復帰戦となるオーストラリア・ゴールドコースト大会の決勝でビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)を 4-6, 6-3, 6-4 で破り、4年ぶりのツアー2勝目を挙げた。2008年全豪オープンは第24シードで出場したが、3回戦で予選勝者のマルタ・ドマホフスカ(ポーランド)に敗れた。
中華人民共和国は、最近テニスで目覚ましい躍進が見られる国のひとつになった。2004年アテネ五輪の女子ダブルスで李婷&孫甜甜組が金メダルを獲得し、2006年には鄭潔&晏紫組が全豪オープンとウィンブルドンの女子ダブルス部門で優勝を飾り、中国テニス選手として最初の4大大会タイトルをもたらした。それに続いて、李娜がウィンブルドンでベスト8進出を達成したことにより、中国のテニス界も今後のさらなる躍進が見込まれる。