日本軽種馬協会
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日本軽種馬協会(にほんけいしゅばきょうかい、略称JBBA)は、 種牡馬の繋養やセリ市場の支援など軽種馬の生産にかかわる一連の業務を主な業務とする社団法人である。監督官庁は農林水産省生産局競馬監督課。
略称の「JBBA」は、英文表記の「The Japan Bloodhorse Breeders' Association」の頭文字をとったもの。
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[編集] 概要
前身は戦前の日本サラブレッド協会。日本競走馬生産者協会、社団法人サラブレッド協会、軽種馬生産農業協同組合を経て今に至る。
2008年3月現在の会長は元自由民主党総裁河野洋平、副理事に青森県議会議員山内正孝、日高軽種馬農協組合長の荒木正博、元JRA元常務理事の今原照之。そのほか理事には吉田照哉、鈴木宗男などが名を連ねる。
もともと全国のサラブレッド生産者による団体であり、もっぱら日本産のサラブレッドの販路拡大に努めている。このため馬産地の保護という観点からしばしば日本競馬の世界への開放に反対してきた。一方で外国の優れた種牡馬や繁殖牝馬を積極的に導入して日本産馬の価値を高め、海外へ輸出することを推進している。そのほか、サラブレッドの受け皿として地方競馬の振興、生産地支援策として生産者賞や牝馬限定競走の拡大をはかり、軽種馬の流通促進のためセリ市の整備拡大などを目指し、韓国などへのサラブレッド輸出を促進している。農村支援として、後継者のいない高齢生産者の軽種馬生産からの撤退支援なども行っている。
一般には、農林水産省やJRAが購買した種牡馬の繋養を行うことで有名。全国6ヶ所に直営種馬場をもつ。過去に繋養した主な種牡馬として、マルゼア、ライジングフレーム、ゲイタイム、シプリアニ、セダン、ダンシングブレーヴ、クリスタルグリッターズ、ジェネラス、ウォーニングなど。民間の種牡馬と比較して低価格で種付けを行っているが、官による民業圧迫であるとの批判も受けている。
競馬ファンに対しては、引退後の競走馬を見学するファンのために競走馬のふるさと案内所を運営している。
[編集] 沿革
- 1946年(昭和21年) - 社団法人サラブレッド協会設立
- 1948年(昭和23年) - 軽種馬生産農業協同組合に改組
- 1955年(昭和30年) - 社団法人日本軽種馬協会に改組
- 1968年(昭和43年) - 種牡馬ハクチカラ、カネチカラをインド・マレーシアへ寄贈
- 1980年(昭和55年) - 英国サラブレッド生産者協会に加入
- 1985年(昭和60年) - 静内でせり市場を開催
- 1986年(昭和61年) - 静内に「競走馬のふるさと北海道案内所」開設
[編集] 業務
軽種馬の改良増殖によってその資源を涵養し、軽種馬の生産及び流通の改善を図り、もって健全なる競馬の発展に寄与するため、種雄馬の繋用及び種付並びに産駒の育成、軽種馬生産に必要な施設の設置等を行う
具体的な主な業務は種牡馬の繋養、種付、軽種馬の生産・育成・改良および防疫衛生に関する事業、セリ市場に対する助成事業、育成技術者の養成、競走馬に関する情報の整備・提供など。
[編集] 主な施設
- 競走馬のふるさと案内所(日高、胆振、十勝、東北、宮城、那須、千葉、九州)
- 直営種馬所(静内、胆振、七戸、那須、下総、九州)
- 支部(日高、胆振、十勝、東北、関東、九州)
[編集] 主な繋養種牡馬
[編集] 2008年現在の繋養種牡馬
- 静内種馬場
- 胆振種馬場
- 九州種馬場
- イシノサンデー
- ロドリゴデトリアーノ(下総より移動)
- 下総種馬場(閉鎖)
- 2007年種付けシーズン終了後までロドリゴデトリアーノとヒシアケボノが繋養されていたが、2007年度いっぱいで種馬場としては閉鎖された。
[編集] 過去の繋養種牡馬(50音順)
- アイアンリージ
- アキヒロホマレ
- インターメゾ
- インディアナ
- ウォーニング
- ウォロー
- オンリーフォアライフ
- カツラノハイセイコ
- カブラヤオー
- グランディ
- クリスタルグリッターズ
- クリスタルパレス
- クリノハナ
- ゲイタイム
- ジェネラス
- シプリアニ
- シマタカ
- シャーディー
- セダン
- タークスリライアンス
- タップオンウッド
- ダンシングブレーヴ
- デヒア
- トピオ
- トビサクラ
- ノノアルコ
- ピットカーン
- ヒロサクラ
- フォーティナイナー(引退)
- マルゼア
- ムクター
- ライジングフレーム
- ロイヤルチャレンジャー
- ロックオブジブラルタル(静内種馬場、2006年~2007年)
- ワラビー