戦時設計
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戦時設計(せんじせっけい)とは、戦争が行われている期間中に「戦争が終わるまでの数年間もてば良い」という思想の下、極端に短いライフサイクルを想定して設計・製造された輸送機械や構造物のこと。「戦時型(形)」とも呼ばれる。また、平時でも、製品の仕上がり状態が著しく粗悪なものに対して、「揶揄」として用いられることもある。
また、帝国陸軍が性能や規格を決定した工業製品の呼称としては、「統制型(形)」がある。
日本では、鋼材をはじめとした物資が極端に不足した第二次世界大戦中から敗戦直後において見られた。 多くは戦災などにより失われたが、被災を免れたものは戦後復興に貢献し、さらに改修を施され延命したものも珍しくはない。
以下、主に第二次世界大戦中の日本で行われた戦時設計について記す。
目次 |
[編集] 特徴
種 別 | 原設計機 | 1942年度製機 | 戦時設計機 | |
---|---|---|---|---|
銅 | 所要量 | 2400kg | 1080kg | 500kg |
節約割合 | 55% | 79% | ||
鉛 | 所要量 | 1200kg | 380kg | 160kg |
節約割合 | 68% | 87% | ||
鋼 | 所要量 | 76000kg | 67000kg | 64000kg |
節約割合 | 12% | 16% |
戦時期において、使用する物資、工程を最小限に抑え、なおかつ短期間で大量生産するという命題を達成する目的で設計された。この目的のため、耐久性や安全性は犠牲となる。
具体的には、概ね以下のような特徴を有する:
- 鉄鋼の節約。
- 安全性や耐久性の優先順位を下げ、薄い鋼板を採用し、鋼材の使用量を低減する。
- 代用品の利用。
- 一部の保安機器の省略。
- 工数の削減。
- 作業の迅速性、簡便性を優先する。
- 精度低下の許容。
- 熟練技師、熟練工が現場から外れ、徴用工や勤労動員による婦女子などの未経験者が主体となるため。
[編集] 戦時設計の影響
戦時設計による強度の低下や工作不良により、事故が発生した例がある。また、事故そのものは戦時設計によるものでなくとも、戦時設計により被害が甚大化した例もある。
戦時設計が事故そのものの原因となった例、或いは事故の被害の甚大化の原因となった例を以下に記す(戦災による被害を除く):
- 1945年3月6日 青森港内にて、戦時標準船である、青函連絡船の第五青函丸が防波堤に接触。薄くされた外板が災いし浸水、沈没した。死者・行方不明者82名。積車の石炭車39両水没。
- 1945年頃 ボイラー接手を簡略設計した国鉄D52形蒸気機関車は、溶接不良によるボイラー爆発事故が複数回発生する。
- 1951年4月24日 横浜市桜木町駅付近で、戦時設計により製造されたモハ63系電車が架線事故により炎上(桜木町事故)。死者106人。
[編集] 戦時設計の功罪
戦時設計には、廉価で作られ、性能はそこそこで、信頼性に劣るという悪い印象があるが、アメリカのリバティ船がその後の造船技術の向上に役立ったように、限界設計から技術革新がもたらされる場合がある。
戦後、壊滅状態にあった日本の海上商船輸送におけるリバティ船による復興や、ドイツにおけるBR52型蒸気機関車のように、戦時型ながら、戦後、元敵対国でもその性能が認められ、国境を越えて復興、経済成長に貢献した例も知られている。
EF13形電気機関車、モハ63系電車に代表されるように、とかく「粗悪」といわれる戦時設計であるが、戦前においては冒険的として忌避されていた工法を実行させる原動力となった一面もある。D52形蒸気機関車で使用された溶接工法によるボイラーは爆発事故を起こしたが、後にボイラーの安全基準の制定に貢献している。
戦後、戦時設計を一概に否定せず、工学的見地において戦時設計の問題点を研究し改良を加えることにより、虚飾を排し工法上の無駄を省いた、より合理的な設計を実現させるに至っている。
戦時設計で培われた、同等の機能、性能をより廉価で実現する手法はVE(バリューエンジニアリング)として現在に伝えられている。
[編集] 戦時設計の手法
資材節約、材料の代替、工数削減等がある。通常の設計では機能、性能を実現する手段として設計作業が行われるが、戦時設計ではあらかじめ決められた機能、性能を維持しつつどこまで資材節約、材料の代替、工数削減等出来るかに主眼がおかれ、品質、性能の低下が許容範囲内に収まるように考慮される。
鉄道車両については、戦後の物資不足、技術力の低下と旅客需要の増大の影響を受け、戦後3~4年程度の間、戦時設計と同等、あるいは戦時設計にも劣る低品質の車両が製造されているが、そのような車両でも戦後に設計されたものについては、「規格型(形)」、「標準型(形)」と呼ばれこそすれ、「戦時設計」とはいわない。このような設計思想で製造された車両でも、復興が進み、物資供給が安定化した1950年代以降、原設計とおり各部の更新また改良が進められ、その後も永く使われたものが多い。例として溶接構造による船底型炭水車や菱形台車がある。
[編集] 建築における戦時設計
資材、特に鋼材の節約が建築における戦時設計の主題となった。コンクリート建築において引張力を担保する鋼材に対しての、「竹筋コンクリート」などは、その代表である。現存するものとしては山口県の徴古集成館がある。また鋼材を節約するための木造トラス、特に集成材によるものがつくられた。現在の集成材は接着剤によってつくられるものが多いが、当時の技術では建築の規模に用いることは難しく、金物によって一体化された集成材が多かった。現存するものとしては、東京駅の大屋根がある。
[編集] 参考文献
- 高木宏之「ワイド・イラスト 『戦時型蒸気機関車』お国柄しらべ」 1~2
- 潮書房『丸』2005年10月号 No.714 p119~p133、2005年11月号 No.715 p119~p133
- 編集部「蒸気機関車の戦時代用品」
- 鉄道史資料保存会『鉄道史料』第84号 1996年11月 p49~p58