庄内地方
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庄内地方のデータ | ||
国 | 日本 | |
地方 | 東北地方 | |
面積 | 2,405.11km² | |
総人口 | 313,714人 (2005年3月31日) |
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位置 | ||
庄内地方(しょうないちほう)とは、庄内平野を中心とした山形県の日本海沿岸部を指す。中心都市は、酒田市と鶴岡市。
目次 |
[編集] 概要
旧出羽国(東北地方日本海側)の沿岸南部に位置し、西を日本海に、東を朝日連峰に、北を鳥海山に、南を鼠ヶ関に挟まれた位置にある。庄内平野を取り囲む朝日連峰(出羽山地)が自然障壁となって、最上川による交流はあったものの、山形県内陸部とは独立した地域圏を形成して来た。ただし、出羽三山への参詣者は広域から集まっていた。
現在では、交通の利便性の向上により、太平洋沿岸に当たる宮城県から余暇に訪れる者が増えている。太平洋側の夏は例年あまり暑くないため、暑い夏(フェーン現象)、浜辺での海水浴、そして海の見える温泉がそろった湯野浜温泉の人気が高い。
当地は、古くから日本海沿岸地域や畿内との海運によって盛えて来た。沖積平野の灌漑技術の向上により、江戸時代以降は日本屈指の稲作地帯になった。
[編集] 地理
最上川の最下流域や赤川の流域に当たり、庄内平野を抱える。冬には雪が多く、雪解け水を利用した稲作地帯として知られ、庄内米はブランド米ともなっている。
又、年を通して風が強いため、風力発電装置が設置されている所があり、今後も風力電源開発において有望視されている。
[編集] 歴史
- 交通に関する歴史は「#交通史」を参照
古代には出羽柵や国府(城輪柵)が置かれ、畿内政権による出羽国支配の中心地域となった。
戦国時代には、大宝寺氏・東禅寺氏らがこの地方を治めたが、やがて最上氏と上杉氏の抗争地となる。結局は上杉氏の傘下となるが、関ヶ原の戦い後は最上氏がこの地を接収した。江戸時代の前・中期には庄内藩の領土となり、藩主酒井氏が鶴岡に本拠地を構えて一帯を治め、豪商本間氏が酒田に本拠地を構えた。又、北前船の就航も多かった。
1869年7月:酒田県を設置。1875年8月:酒田県の県庁が鶴岡に移転し鶴岡県と改称されたが、1876年8月21日の県合併で山形県に編入され、それ以後は山形県に属している。
[編集] 地域
[編集] 自治体
酒田市を初めとする飽海郡を飽海地区(もしくは酒田飽海地区)、旧鶴岡市を初めとする東田川郡を田川地区(もしくは鶴岡田川地区)と呼ぶ事がある。
14市町村あった庄内地方だが、2005年(平成17年)7月1日に余目町と立川町が合併して「庄内町」が誕生。その後同年10月1日には鶴岡市ほか周辺5町が合併して鶴岡市が、11月1日には酒田市ほか周辺3町が合併して酒田市が誕生し、庄内地方は2市3町になった。
[編集] 都市圏
庄内地方内には、酒田都市圏、および、鶴岡都市圏が認められる。
- 一般的な都市圏の定義については都市圏を参照のこと。
[編集] 都市圏の変遷
庄内地方2市3町は、県の機関である庄内総合支庁に管轄されている。以下に都市雇用圏(10%通勤圏)の変遷を示す。10%通勤圏に入っていない町村は、各統計年の欄で灰色かつ「-」で示す。
自治体 ('80-'00) |
1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 自治体 (現在) |
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遊佐町 | 酒田都市圏 16万5515人 |
酒田都市圏 16万1456人 |
酒田都市圏 16万7682人 |
酒田都市圏 16万5127人 |
遊佐町 |
酒田市 | 酒田市 | ||||
八幡町 | |||||
平田町 | |||||
松山町 | |||||
余目町 | 庄内町 | ||||
立川町 | - | - | |||
三川町 | 鶴岡都市圏 14万7758人 |
鶴岡都市圏 15万9095人 |
鶴岡都市圏 15万7693人 |
鶴岡都市圏 15万5356人 |
三川町 |
鶴岡市 | 鶴岡市 | ||||
藤島町 | |||||
羽黒町 | |||||
櫛引町 | |||||
朝日村 | |||||
温海町 | - |
- 2005年7月1日、余目町と立川町の2町が新設合併し、庄内町となった。
- 2005年10月1日、(旧)鶴岡市、藤島町、羽黒町、櫛引町、朝日村、温海町の1市4町1村が新設合併し、新「鶴岡市」となった。
- 2005年11月1日、(旧)酒田市、飽海郡八幡町・松山町・平田町の1市3町が新設合併し、新「酒田市」となった。
[編集] 交通
国道7号と羽越本線が、幹線として南北を貫いている。内陸側や太平洋側とは、国道47号や陸羽西線によって新庄や石巻と、国道112号や山形自動車道によって山形と結ばれている。
[編集] 交通史
庄内地方は、西を日本海に、残り三方を山地に挟まれているため、古くから内陸部よりも日本海沿岸の港町や畿内との海運による繋がりが深かった。鉄道が発達して海運が衰えた明治時代以後も、羽越本線や国道7号で日本海沿岸の地域(特に下越地方と秋田県南西部)と結ばれ、山形県内陸部や宮城県との繋がりは浅かった。それでも1980年代までに、東の山形へは峠道の国道112号で、新庄へは陸羽西線・国道47号、列びに最上川の舟運で結ばれ、一定の繋がりを築いていた。
20世紀末になると、庄内地方の交通事情は劇的に変化した。1991年の庄内空港の開設により、新潟を経由せずに東京に出られるようになるのみならず、札幌や大阪との直行便も開設された。1981年の月山道路の開通(1990年から冬季も通行可能)、1990年代を通じて建設されて開通した山形自動車道によって、山形県内陸部との繋がりも深くなって来た。また、1999年には山形新幹線が新庄駅まで延伸され、新幹線が適した中距離高速移動も利用できるようになった。これ以後、庄内地方は「陸の孤島」のような地方から脱して、地域間交流が活発な地方に変化しつつある。
現在、山形自動車道の開通効果のために、仙台(太平洋側)や山形(山形県内陸部)との間で高速バスの本数が増えて来ている。庄内地方の各バス停には、合計200台分の駐車場が併設されており、パークアンドライドも可能である。歴史的経緯から日本海沿岸地域との交流が続く一方で、交通事情の変化による地域再編が起きている。
[編集] 中距離移動
- 鶴岡市から周辺中核都市への交通網
- 鶴岡市からの上記交通機関の運行頻度・移動コスト・時間等
(料金は、往復割引片道分)
- 秋田市へ:特急3往復/日、片道3820円、104分~110分、約130km
- 新潟市へ:特急7往復/日、片道4130円、105分~128分、約140km
- 山形市へ:バス11往復/日、片道2100円、90分程度、約100km
- 仙台市へ:バス16往復/日、片道2700円、140分程度、約150km
[編集] 長距離移動
(料金は、往復割引片道分)
- 高速バス:夕陽号(夜行) 6,975円、1往復/日、約9時間
- 新庄駅経由:陸羽西線+山形新幹線 12,480円、8往復/日、約5時間
- 新潟駅経由:特急いなほ+上越新幹線 13,120円、7往復/日、約4時間30分
- 古川駅経由:陸羽西線+陸羽東線+東北新幹線 13,320円、約5時間20分
- 航空路:庄内空港~東京国際空港 20,400円(旅割で13,800円、超割1万円)、4往復/日、1時間+α
[編集] 生活圏間流動
国土交通省の「全国幹線旅客純流動調査」の生活圏間流動において、庄内地方を出発地・居住地とする者の目的地・旅行先は以下のようになっている。ただし、同調査では同じ都道府県内の生活圏へのデータがないため、それらを除く。
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[編集] 鉄道
[編集] 道路
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[編集] 地域メディア
- 荘内日報(新聞。鶴岡)
- ハーバーRADIO(cFM。酒田)
- 鶴岡市ケーブルテレビジョン(ケーブルテレビ。鶴岡)
- 庄内小僧(タウン情報誌。酒田)
- SPOON(フリーペーパー。酒田・鶴岡)
- 庄内 de CLASSO(フリーペーパー。鶴岡・酒田)
[編集] 文化
あばさん
[編集] 舞台となった作品
- おしん : 奉公先が酒田市の設定
[編集] 藤沢周平作品
舞台である海坂藩は、鶴岡市にあった庄内藩がモチーフとされる。
[編集] 食
[編集] 関連項目
[編集] 脚注
- ^ 207生活圏間流動データ表(年間)出発地-目的地(全交通機関、平日・休日データ利用、2005年)
- ^ 207生活圏間流動データ表(年間)居住地-旅行先(全交通機関、平日・休日データ利用、2005年)