崇仁親王妃百合子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本の皇室 | |
崇仁親王妃百合子(たかひとしんのうひゆりこ、旧名:高木百合子、1923年6月4日 - )は、日本の皇族。高木正得子爵とその妻邦子の二女として生まれる。身位は親王妃。皇室典範に定める敬称は殿下。印は桐。
[編集] 家柄
高木家は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、江戸時代は河内国丹南藩1万石の大名であった。母・邦子は入江為守子爵の娘で、弟に侍従長・エッセイストとして有名な入江相政がいる(百合子の叔父にあたる)。入江家は藤原北家の支流・冷泉家の流れを汲み、中世の大歌人藤原俊成や藤原定家を祖先とする歌道の家だった。
なお、父の高木正得は華族制度廃止によって落魄し、昭和23年(1948年)7月8日、遺書を残して失踪、11月1日に東京都と山梨県の県境にある西多摩郡氷川町(現・奥多摩町)の七ツ石山の中で白骨死体となって発見された(周囲の状況から首つり自殺を遂げたものとされた)。遺書にはインフレ等による生活苦がつづられており、生活力の無い華族が一市民として敗戦後の混乱する社会に放り出されたことによる悲劇であった。
[編集] 略歴
1941年、女子学習院本科(現学習院女子中等科・高等科)を卒業。1941年10月3日、納采の儀を経て婚約。1941年10月22日、結婚の儀。2年6ヵ月後の1944年 4月26日に第一女子・甯子内親王が生まれる。その後、寬仁親王、桂宮宜仁親王、容子内親王、高円宮憲仁親王が誕生。
日本赤十字社名誉副総裁のほか、社会福祉法人恩賜財団母子愛育会総裁、財団法人民族衣裳文化普及協会名誉総裁、中宮寺奉賛会名誉総裁を務める。皇室では、1991年より皇室会議の議員を務めたが、2007年9月より予備議員となった。
政府による正式表記(内閣告示や宮内庁告示など)では皇族に宮号が冠されることはない(「皇太子」を除く)ため、それらの告示が掲載される官報での表記は「崇仁親王妃百合子」とされ、「三笠宮」が冠されることはない。ただし、同じ政府による表記であってもホームページなど「国民一般へのわかりやすさ」が重視される場面では「三笠宮妃」の表記も用いられる。
宮内庁の発表(2007年7月10日)によると大腸がんが見つかり、同日、聖路加国際病院で摘出手術を受け、手術は無事成功して順調に回復中である。