眞子内親王
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日本の皇室 | |
眞子内親王(まこないしんのう、平成3年(1991年)10月23日 - )は、日本の皇族。秋篠宮文仁親王・同妃紀子の第1王女。身位は内親王。お印は木香茨(もっこうばら)。皇室典範に定める敬称は殿下。今上天皇・皇后の初孫である。妹に佳子内親王が、弟に悠仁親王がいる。
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略歴
平成3年(1991年)10月23日、宮内庁病院にて誕生。同日、賜剣の儀。この時に今上天皇から授けられた守り刀は、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された隅谷正峯の作。
同年10月29日、命名の儀。父の秋篠宮文仁親王により、「眞子」と名付けられる。この名は、「天性のものを失わず自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」願いを込めて命名された。文仁親王の「ひらめき」で決めたという。[1]
平成10年(1998年)4月、学習院初等科入学。平成16年(2004年)3月、学習院初等科卒業。
同年4月、学習院女子中等科入学。平成18年(2006年)8月、2週間に渡ってオーストリアにホームステイをした。ホームステイ先は母・紀子妃の知人宅であった。平成19年(2007年)3月、学習院女子中等科卒業。
同年4月、学習院女子高等科入学。
エピソード
今上天皇の初孫であるため、誕生から数年ほどは報道、ワイドショーへの露出も多かった。幼少時には父宮を髣髴とさせる海岸で見つけた海蛇に強い関心を示したエピソードが残されている。この時期はまた、警備にも多数の人員が割かれていたという。
美術、古文書、建築物などに関心がある。特に日本画に関心が深く、学習院初等科を卒業した時の作文には正倉院、唐招提寺、京都御所において美術を鑑賞し、奈良鳥類研究所において鳥を描く際の心得についての指導を受けた出来事が記されている。同作文においては、修復技術への関心も垣間見せた。
平成17年(2005年)ごろからは、日本国内を中心として両親の公務、接見に同行・同座することが多くなり、最年長の内親王として国民の前に姿を現す機会も増えている。平成18年(2006年)には父親である文仁親王の三重県訪問に同行し伊勢神宮式年遷宮の行事「川曳き」を視察し、自ら行事に参加した。平成20年(2008年)からは単独公務も開始している。
昭憲皇太后以来、歴代皇后が、現在は美智子皇后が皇居御養蚕所にて手がける皇后御親蚕を、母である紀子妃や妹である佳子内親王と共に手伝っている。皇后御親蚕において小石丸から採取された糸から作られた絹は皇族が儀式に用いる着物に用いられ、内親王も瑞鳥である鶴をあしらった晴れ着を着用した。
平成17年(2005年)6月、神武天皇の母玉依姫命を祀った神明神社から母紀子妃、妹佳子内親王とともに御守の献上を受けているが、その8ヶ月後の翌18年(2006年)2月に紀子妃が悠仁親王を懐妊していると発表され、関係者は大いに驚き喜んだ。
名前についての備考
報道などでは「秋篠宮眞子」と呼称されることが多いが、公式には宮家の当主ではないため「秋篠宮」の宮号は冠せず「眞子内親王」と称するのが正しい。但し自署においても「秋篠宮眞子内親王」とした例がある。
なお、新字体による「真子」の表記は、通俗用法としても用いられる例は見られない。
脚注
外部リンク
- 宮内庁ホームページ
- 文仁親王同妃両殿下(秋篠宮) - 秋篠宮文仁親王・同妃紀子とその子女のプロフィール