山本夏彦
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山本 夏彦(やまもと なつひこ、1915年(大正4年)6月15日 - 2002年(平成14年)10月23日)は、日本の随筆家、編集者。『週刊新潮』の鋭い舌鋒の連載コラム「夏彦の写真コラム」で有名であった。
祖父は高利貸しの山本義上(1848-1909)。父は詩人の山本露葉。息子は写真週刊誌「FOCUS」の編集長を務めた編集者の山本伊吾。
[編集] 経歴
東京府下谷根岸に山本露葉の三男として生れる。東京高等師範学校附属小学校、府立五中入学後、昭和3年(1928年)父死去。昭和5年(1930年)亡き父の友人であった武林無想庵に連れられフランスに渡り、昭和8年(1933年)まで暮らし帰国。パリユニヴェルシテ・ウヴリエール修了。
昭和14年(1939年)、フランスの文人レオポール・ショヴォの童話『年を歴た鰐の話』を翻訳、中央公論春の増刊号に掲載される。昭和16年(1941年)、『年を歴た鰐の話』が出版される。
昭和25年(1950年)、建築関係書籍出版の工作社を設立。昭和30年(1955年)インテリア専門誌『木工界』を創刊する。『木工界』はその後昭和36年(1961年)に『室内』と誌名を変更。平成18年3月号で一旦休刊するまで、50年にわたって発行された。
昭和34年(1959年)『木工界』に『日常茶飯事』と題してコラムを連載開始。昭和37年(1962年)『日常茶飯事』が出版される。このコラム集によって、山本夏彦は広く知られるようになった。昭和54年(1979年)『週刊新潮』に「夏彦の写真コラム」連載開始。 同コラムにおいて、保険外交の高成績を収める女性達に対し、彼女たちは女であることを武器に契約をとっていると書き、生命保険組合よりクレームを受けたり、日航機墜落事件の生存者の少女が「これから光熱費を自分で払わなければならない」とインタビューで答えたことに対し、その亡父が共産党地方議員であったこととあわせ「おかしなことを言う」と述べるなどの逸話があった。批判に対しては常に反論で返す強気の人でもあった。
昭和59年(1984年)菊池寛賞受賞、平成2年(1990年)『無想庵物語』で読売文学賞受賞、平成10年(1998年)市川市民文化賞。新しい教科書をつくる会賛同者。