吉川元浩 (競艇選手)
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吉川元浩(よしかわ もとひろ 1974年9月7日-)は、兵庫県出身の競艇選手である。養成79期、登録番号は3854、ランクはA1、血液型はO型、身長は164cmである。ニックネームは「ゲンコー」。
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[編集] 来歴、エピソード
- 兵庫県立兵庫工業高等学校を卒業後、兵庫県内の建築会社に勤務していたが、阪神大震災に被災。会社の同僚から競艇選手への道を勧められ、全国モーターボート競走会連合会本栖研修所(現在は、やまと競艇学校に移転)に受験[1][2]。1回で合格。ちなみに受験時の年齢は22歳。年齢制限ギリギリだった。本栖リーグ戦勝率は7.63。79期第1位。初出走は1996年11月の尼崎競艇場で、1走目でいきなり初1着。1997年4月に早くも初優出。1999年1月に丸亀競艇場でデビュー初優勝。2000年2月近畿地区選手権でGI初優出。2001年5月の笹川賞競走(浜名湖競艇場)でSG初優出し、優勝戦1号艇で臨むものの5着。以降2007年までSGで8優出。
- 2007年2月21日から浜名湖競艇場で開催されるダイヤモンドカップ競走(GI)に出場予定だったが、宅配便で発送した選手持ちプロペラが未到着のため帰郷する事態が起こった。発送したはずのプロペラが配送トラブルのため到着せず、前検スタート練習は競艇場のプロペラを使用。しかし、あまりにもエンジン差が激しく、練習後に選手側と競走会が話し合い「公正なレースができない」と判断され、前検不合格により帰郷となった[要出典]。
- 同年の第22回賞金王決定戦に初出場。トライアル初日から好走し、優勝戦では1号艇を獲得。断然の1番人気とSG初制覇の重圧の中、インから1マークを先マイ。8回目の優出にして、遂に悲願そして涙のSG初戴冠を果たした(賞金王決定戦初出場での初優勝は第1回大会の彦坂郁雄以来21年ぶり2人目)。この優勝で1億円のビッグマネーを獲得、賞金ランキングでも同郷の魚谷智之に次いで2位に躍進。残念ながら大逆転での賞金王までとは行かなかった者の最後に最高のパフォーマンスを見せてくれた。
[編集] SG、GI戦績
[編集] SG
- 2001年5月 浜名湖競艇場 笹川賞競走 優勝戦1号艇 1コース進入 5着
- 2001年12月 住之江競艇場 賞金王シリーズ戦 優勝戦4号艇 4コース進入 2着
- 2003年8月 蒲郡競艇場 オーシャンカップ競走 優勝戦6号艇 6コース進入 5着
- 2004年5月 尼崎競艇場 笹川賞競走 優勝戦3号艇 3コース進入 4着
- 2004年8月 蒲郡競艇場 モーターボート記念競走 優勝戦4号艇 3コース進入 5着
- 2006年10月 福岡競艇場 全日本選手権競走 優勝戦2号艇 2コース進入 2着
- 2007年10月 平和島競艇場 全日本選手権競走 優勝戦5号艇 5コース進入 5着
- 2007年12月 福岡競艇場 賞金王決定戦 優勝戦1号艇 1コース進入 優勝
[編集] GI優勝
- 2000年12月 尼崎競艇場 ダイヤモンドカップ競走
- 2004年10月 若松競艇場 開設52周年記念競走GI全日本覇者決定戦
- 2005年12月 三国競艇場 モーターボート大賞
- 2007年9月 下関競艇場 GI開設53周年記念 競帝王決定戦
- 2007年11月 戸田競艇場 GI開設51周年記念 戸田グランプリ
- 2008年2月 尼崎競艇場 GI第51回近畿地区選手権競走
- 2008年2月 住之江競艇場 GI開設51周年記念 太閤賞競走
- 2008年3月 三国競艇場 GI開設54周年記念 北陸艇王決戦
[編集] 全国勝率
(集計期間:2006年11月1日-2007年4月30日)
- 全国勝率: 8.08
- 2連対率: 61.30%