全国戦没者追悼式
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全国戦没者追悼式(ぜんこくせんぼつしゃついとうしき)とは、日本政府主催で、毎年8月15日におこなわれる、第二次世界大戦の戦没者に対する追悼式である。第1回の追悼式は、昭和27年5月2日に実施された。
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[編集] 概説
全国戦没者追悼式は、昭和27年4月8日の閣議決定により、昭和27年5月2日に新宿御苑で、両陛下の御臨席を仰いで、行われたのが最初である。その後は、1963年(昭和38年)以降、毎年8月15日におこなわれている。追悼の対象は、第二次世界大戦で戦死した旧大日本帝国軍人、軍属約230万人と、空襲や原子爆弾投下で死亡した一般市民約80万人である。式場正面には「全国戦没者之霊」と書かれた白木の柱が置かれる。
式典は政府主催で、事務は厚生労働省(旧厚生省)社会・援護局がおこなう。現在は東京都千代田区の日本武道館で開かれる。式典開始は午前11時51分(以下日本時間)、所要時間は約1時間である。正午より1分間の黙祷を行う。
式典には、天皇、皇后、内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、各政党代表(政治資金規正法第3条2項に規定する政党で国会に議席を有するものの代表)、地方公共団体代表(都道府県知事、都道府県議会議長など)が参列する。
また、日本遺族会等関係団体の代表者(日本遺族会会長)、経済団体(日本商工会議所会頭)、労働団体(日本労働組合総連合会会長)、報道機関の代表者(日本新聞協会会長)、日本学術会議会長、日本宗教連盟理事長などを招くほか、各都道府県遺族代表、一般戦災死没者遺族代表、原爆死没者遺族代表らを国費で参列させている。
2007年(平成19年)の参列者数は、約5,200名の遺族参列者(付添を含む)と遺族以外の者を合わせて約6,000名。
[編集] 式次第
- 開式
- 天皇皇后両陛下御臨場
- 国歌斉唱
- 式辞 内閣総理大臣
- 黙祷(1分間)
- 天皇陛下のおことば
- 追悼の辞 衆議院議長、参議院議長、最高裁判所長官、戦没者遺族代表(1名)
- 天皇皇后両陛下御退場
- 献花(この間奏楽)
- 閉式
[編集] 根拠規定
「全国戦没者追悼式の実施に関する件」昭和27年4月8日閣議決定によれば、「平和条約の発効による独立に際し、国をあげて戦没者を追悼するため」に実施するとされた。
「「戦没者を追悼し平和を祈念する日」について」(1982年(昭和57年)4月13日閣議決定)によれば、「先の大戦において亡くなられた方々を追悼し平和を祈念するため、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」を設け」て、その期日を8月15日とし、この日に政府は「昭和38年以降毎年実施している全国戦没者追悼式を別紙のとおり引き続き実施する」ものとしている。
別紙「全国戦没者追悼式の実施について」の内容は、以下の通り。
- 全国戦没者追悼式は、天皇皇后両陛下の御臨席を仰いで、毎年8月15日、日本武道館において実施する。
- 本式典における戦没者の範囲及び式典の形式は、昭和56年の式典と同様とする。
- 本式典には、全国から遺族代表を国費により参列させる。
- 式典当日は、官衙(が)等国立の施設には半旗を掲げることとし、地方公共団体等に対しても同様の措置をとるよう勧奨するとともに、本式典中の一定時刻において、全国民が一斉に黙とうするよう勧奨する。
[編集] 歴史
- 1952年(昭和27年)5月2日 第1回を新宿御苑で開催。
- 1963年(昭和38年) 日比谷公会堂で開催。
- 1964年(昭和39年) 靖国神社で開催。
- 1965年(昭和40年) 日本武道館で開催し、以後ここで行われる。
- 1982年(昭和57年) 8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」とすることを閣議決定する。
- 1988年(昭和63年) 昭和天皇が最後の臨席。静養中の那須御用邸から陸上自衛隊のヘリコプターで帰京した。この日、正午の黙祷が20秒遅れた。
- 2005年(平成17年) 戦没者の父母の高齢化に伴い、初めて戦没者の父母が1人も参列しなかった(なお、翌2006年(平成18年)、2007年(平成19年)には、戦没者の母が参列している)。
[編集] 備考
- 戦犯
政府は、連合国によって戦争犯罪人として裁かれ、死刑判決を受けたいわゆるA級戦犯やB・C級戦犯が全国戦没者追悼式の戦没者の対象となるかどうかについて、明確にしていない。戦犯遺族にも招待状が出されているが、これは各都道府県に参列遺族の選定を委ねた結果としている。小泉純一郎が首相在任当時、靖国神社に参拝しつづけたことに対して批判的な菅直人や坂口力が厚生労働大臣(旧・厚生大臣)の時も、戦犯を対象外とする決議や声明は出されていない。これに関しては、靖国神社が戦犯を顕彰の対象としていることを問題視しているのであり、戦犯を追悼することは問題視していないためとされる。
- 衆議院議長の欠席
2005年(平成17年)には、8月8日に衆議院が解散(郵政解散)し、衆議院議長が空席となった。このため、三権の長の一人である衆議院議長が全国戦没者追悼式を欠席する異例の事態となった。
- 式次第の変更
1998年(平成10年)までは、天皇・皇后が厚生大臣の先導により臨場する際に、国歌「君が代」が演奏された。1999年(平成11年)の国旗国歌法施行後は、天皇・皇后の臨場後、君が代を斉唱することになった。
- 戦争責任論への言及
2006年(平成18年)には、河野洋平衆議院議長が、追悼の辞で「戦争を主導した当時の指導者たちの責任をあいまいにしてはならない」と異例の戦争責任論に言及し、本来の追悼の意味を逸脱したと右派からの論難を起こした。