佐藤博 (ミュージシャン)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
佐藤 博 | |
---|---|
基本情報 | |
出生名 | 佐藤 博 |
出生日 | 1947年6月3日(61歳) |
出身地 | 日本・鹿児島県知覧町 |
職業 | シンガーソングライター 作曲家 編曲家 プロデューサー |
担当楽器 | キーボード ギター ドラムス他 |
活動期間 | 1970年~ |
レーベル | サラ・ミュージック |
事務所 | 株式会社ヒップランドミュージックコーポレーション |
影響 | ビートルズ エルヴィス・プレスリー レイ・チャールズ ナット・キング・コール ハリー・ベラフォンテ プラターズ |
公式サイト | [1] |
佐藤 博(さとう ひろし、1947年6月3日 - )は日本のシンガーソングライター、キーボーディスト、作曲家、編曲家、プロデューサー。鹿児島県川辺郡知覧町(現南九州市)生まれ。京都府育ち。
目次 |
[編集] 概要
- 当初はギターの弾き語りをしていたが、東京ユニオンの藤尾正重(p)氏のアドバイスにより、二十歳より独習でピアノを始める[1]。
- 二年間の独習の後、1970年頃より、大阪にてジャズコンボ系のバンドのピアニストとしてプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する[1]。1972年頃より京都にて、ウエストロード・ブルーズバンドや上田正樹といったブルース系のミュージシャンや、オリジナル・ザ・ディラン、大塚まさじ、加川良といったフォーク系のミュージシャンの演奏に参加。
- 加川良のバッキングで鈴木茂と知り合い上京する。以降、ハックル・バック結成~ティン・パン・アレーへの参加といった活動と平行して、1976年よりソロ・アルバムを発表。
- いわゆる同世代のシンガー・ソングライターと同様、エルヴィス・プレスリーやレイ・チャールズ、ビートルズに影響され音楽を始めたものの、前述の通り、ブルースを下敷きにしている部分が他の同世代ミュージシャンより大きい[1]。
- キーボード奏者ではあるものの、ピアノに関しても、大滝詠一氏曰く「ラグタイム(ピアノ)ならば日本一」と評価されており、彼の鍵盤演奏は初期の山下達郎作品や大滝詠一の「ナイアガラ・ムーン」、細野晴臣の「トロピカル・ダンディー」、「泰安洋行」、「はらいそ」といったトロピカル三部作、吉田美奈子の初期作品で聴く事ができる。
- 細野晴臣よりイエロー・マジック・オーケストラ (YMO) への参加を呼びかけられる[2]も、1979年に渡米。アメリカ滞在中にアルファ・レコードと契約し、1982年に帰国。3rdソロアルバムアルバム『awakening』を発表。以降国内に拠点を移して音楽活動を行う。
- 帰国後の1980年代以降は、非常に多くのCM音楽やテレビ番組のテーマ曲を発表している。その為、それら提供曲も多数収録されたベスト・アルバム「記憶の中の未来(1988年12月)」には、TVグラフィティというサブ・タイトルが付けられているほどである。
- 音楽制作に関しての特徴として、氏は基本的に一人多重録音というスタイルを取っている。
- 国内でも、いち早くシンセサイザーやリズムマシン、シーケンサーやコンピューターといった最新の機器を表現の道具として駆使したミュージシャンとして知られている[3]。
- しかし、氏が他の音楽家と一線を画する点は、「コンピューター」を自分がイメージしたサウンドを具現化する為の「道具」として捉えている事である[4]。
- つまり、その作品には「機械任せ」や「他人任せ」といった、いわば「おまかせ」の要素が一切ないのが特徴[3]でもある。
- 氏は基本的にレコーディングにおいて、ミュージシャンを起用することは「気分転換」と位置づけている[4]。
- 村上"ポンタ"秀一氏によると「YOU'RE MY BABY」(Awakening)のドラムが彼が打ちこみで作ったものであると知って、衝撃を受けており、「こんな人間くさい打ちこみ作れる奴いない」語っている。
- そうしたひとり多重録音の成果は、近年では特にリズム・トラックの制作において顕著に現れており、2008年現在、オリジナル作品へのドラマーの参加は、1990年2月発表の「Good Morning」(ドラムはジョン・ロビンソン)が最後である。
- また、デジタル録音における音響のスタンダードを確立する為、その初期からレコーディングに際して、自らコンソールを駆使しているのも大きな特徴であるが、中でも、プライベートスタジオ『Studio SARA』ではトラック・ダウンを行えることは特筆するべき点である[2]。
[編集] 年表
- 1947年 - 寺の長男として鹿児島県にて生まれる。
- 1949年 - 京都に移住。以降、1975年 に上京するまで、京都にて生活する。中学時代にギターを、16~17歳にてベースギターを演奏し始め、以降多重録音に没頭する。
- 1967年 - 独習にてピアノを始める。
- 1970年 - 荒川たつひこBANDに参加。
- 1972年 - 上田正樹とMZA、上田正樹とバッドクラブ・バンド結成。この頃よりウエストロード・ブルースバンド達と京都のライブ・ハウス(拾得)等でセッションを行いだす。
- 1973年 - オリジナル・ディラン、 西岡たかし等のレコーディングに参加。
- 1974年 - 春一番ライヴ 74に出演(金森幸介、石田長生、中川イサト、田中章弘、岩崎順、西岡たかし、長野隆、喜多浩二、佐藤博)。
- 1975年 - 上京。鈴木茂、林敏明、田中章弘でハックルバックを結成。また、ティン・パン・アレーに参加。
- 1976年 - 初渡米。現地にて録音したファースト・ソロアルバム『SUPER MARKET』を日本コロムビアより発表。吉田美奈子バンド結成(大村憲司、村上"ポンタ"秀一、坂本龍一、高水健司、松木恒秀、佐藤博、土岐英史)。
- 1977年 - 鳥山雄司、青山純、伊藤広規、ペッカー等とセッション・グループ、ハイ・タイムスを結成。
- 1979年 - キティレコードと契約。3rdアルバム『オリエント』を発表。L.A.に本拠地を移す。
- 1980年 - アルファ・レコードと契約し、アルファ・アメリカの専属アーティスト兼プロデューサーになる。また、Rogers&Burginと共演する[5]。
- 1981年 - Spencer Davis Groupと10ヶ月ほどクラブを回る。Randy Crawfordらと共演し、高い評価を得る。その後、Wendy Mattewsと出会う[5]。
- 1982年 - 帰国。アルファ・レコードよりリズム・マシンLINN LM-1を駆使して、バック・トラックの殆どを多重録音で仕上げた4thアルバム『awakening(featuring WENDY MATTHEWS)』を発表。
- 1983年 -1984年この頃より、機械的なアルペジオの部分などで補助的に使用していたローランドのMC-4から、コンピューターAPPLEⅡ を作品制作に使用し始める。それ以降はMARK OF THE UNICORNのMac用MIDIシーケンサーソフトのPerformerを用いている。
- 1990年 - HIROSHI SATO PC Network Station “AQUALANGUE”。また海外録音のアルバム『Good Morning』を発表。これが生ドラムを起用した最後のオリジナル・アルバムとなる。スタジオ「Studio SARA」を建設。
- 1991年 -角松敏生、渕上祥人の作品等に参加する。「Studio SARA」にてMIX&TRACK DOWNを行った「SELF JAM」を発表する。
- 1992年 - アースヴォイスコンサート '92にキーボーディストとして出演する(音楽監督はリー・リトナー。共演者はマイケル・マクドナルド、デヴィッド・サンボーン、ブレンダ・ラッセル、ボビー・コールドウェル、フィル・ペリー、マキシ・プリースト、リサ・フィッシャー、ジルベルト・ジル、アニタ・ベイカー、ジェイムス・イングラム、ロバータ・フラック、角松敏生)。
- 1993年 - この頃「Studio SARA」を改修。また、「HAPPY & LUCKY」を発表する。
- 1994年 - ソニー・ミュージックエンタテインメントよりサウンド・トラック『七都市物語』を発表。また、東芝EMIと契約する。
- 1995年 - アルバム『ALL OF ME』を発表。
- 1999年 - ハックルバック再活動(バンド名は「Talk-Age」)。又、ほぼ10年振りに単独ライブを行う(「佐藤博 LIVE at PIT INN」)。
- 2000年 - Tin Pan CONCERT 1975/2001(2000.12.20、渋谷 NHKホール)
- 2001年 - FM802主催の「MEET THE WORLD BEAT 2001」に小坂忠&FRIENDS(細野晴臣、鈴木茂、林立夫、浜口茂外也、佐藤博、佐橋佳幸)として参加する (2001.7.22) 。小坂忠「People」発売記念インストアイベントに参加 (2001.11.10、タワーレコード 渋谷店。2001.11.11、ヴァージンメガストア新宿)。
- 2002年 - 小坂忠「Love Peple Concert in Tokyo」(2002.9.8、六本木スイートベイジルSTB139)。2年半ぶりに単独ライブ活動を再開する。
- 2003年 - ボーナストラック追加+リマスタリングにて『Time』を再発。また、7年ぶりにオリジナル・アルバム『THAT'S ALL RIGHT』を発表。佐藤博LIVE『THAT'S ALL RIGHT』を行う(2003.6.21、六本木スイートベイジルSTB139)。
- 2004年 - 『HIROSHI SATO New Year LIVE 2004 “THAT'S ALL RIGHT 2”』を行う(2004.1.20、六本木スイートベイジルSTB139)。オリジナル・アルバム『Amazing』、同・ミニ・アルバム『Take it』を発表。原宿Blue Jay Wayにて2 DAYS LIVEを行なう(2004.10.30、31)。
- 2005年 - バンド『TAINUI』を結成。オリジナル・アルバム『Amazing2』を発表。
- 2007年 - ジョー・サンプル『ベスト・オブ・ベスト~セレクテッド・バイ 佐藤博(限定盤)』発売 (2007.6.20) 。ドリームズ・カム・トゥルー『DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007』に音楽監督兼キーボーディストとして参加。またSoulJaのサウンドプロデュースを手掛ける。
- 2008年 -青山テルマ『そばにいるね』の編曲およびサウンドプロデュースを手掛ける。I.H.L『ロマンチスタ』、『I HAVE LOVE 2008』のサウンドプロデュースを手掛ける。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] オリジナルアルバム
- 『SUPER MARKET』(1976.5)
- 『Time』(1977.1)
- 『ORIENT』(1979.6)
- 『awakening』(1982.6)
- 『SAILING BLASTER』(1984.6)
- 『SOUND OF SCIENCE』(1986.7)
- 『FUTURE FILE』(1987.5)
- 『AQUA』(1988.6)
- 『TOUCH THE HEART』(1989.6)
- 『Good Morning』(1990.7)
- 『Self Jam』(1991.7)
- 『HAPPY & LUCKY』(1993.6)
- 『ALL OF ME』(1995.5)
- 『Oracle』(1996.11)
- 『Time』【リマスター+ボーナス・トラック追加】(2003.3)
- 『THAT'S ALL RIGHT』【ミニ・アルバム】(2003.6)
- 『Amazing』(2004.1.20)
- 『awakening』【リマスター】(2005.9)
- 『AMAZINGⅡ』(2006.4)
[編集] シングル
- 『いとしのマリー』(1977年)
- 『孫悟空』(1979.5)
- 『Sun Grow』(1984.11)
- 『アンジェリーナ』(1985.4)
- 『LOVE ME DO(12インチシングル)』(1985.10)
- 『宇宙のエトランゼ』(1986.6)
- 『スウィート・インスピレーション(12インチシングル)』(1987.2)
- 『Seat For Two』(1988.6)
- 『Fuzzy Love』(1989)
- 『EVEの朝を』(1989.10.25)
- 『HEART TO YOU』(1995.5)
- 『約束』(1996.11)
- 『Day by Day』(1996.6)
- 『Take it』(2004.12)
[編集] ベスト・アルバム等
- 『THIS BOY』【コンピレーション・アルバム】(1985)
- 『記憶の中の未来』(1988.12)
- 『HIROSHI SATO'90-SNOW LAND』【コンピレーション・アルバム】(1990)
- 『HIROSHI SATO BEST SELECTION』(1990.9)
- 『PROSUMER』(1992.11)
- 『佐藤博べスト』(1994.2)
- 『FLY TO YOU 2000』(2000.4.12)
- 『CREAMY AQUA』(2007.8)
[編集] サウンド・トラック
- 『七都市物語』サウンドトラック(1994.4.21)
[編集] 主な提供曲
- 『熱い砂』(1977)りりィ[アルバム『りりシズム』]
- 『フライングソーサー』(1977)小坂忠[アルバム『モーニング』]
- 『ジェントルじゃいられない』(1984)秋本奈緒美[アルバム『My Friend』]
- 『想い出の After Hours』(1985)亜蘭知子[アルバム『IMITATION LONELY』]
- 『SOMETHING IN THE AIR』(1986)シンディ[アルバム『LOVE LIFE』]
- 『PRECIOUS TIME』、『CURTAIN CALL』(1986)杏里[アルバム『Trouble in Paradise』]
- 『MYSTERY ZONE』(1986)杏里[アルバム『MYSTIQUE』]
- 『OOH BABY...(Come Closer)』(1987)マリーン[アルバム『THIS TIME』]
- 『Tandem Run』(1988)鈴木雅之[アルバム『Radio Days』]
- 『TRIANGLE LOVE AFFAIR』、『スノー・ホワイトの街』(1988)中山美穂[アルバム『CATCH THE NITE』]
- 『山手ホテル』(1989)角松敏生[アルバム『Special Live '89.8.26〜MORE DESIRE〜』]
- 『ROSY HEART』他(1989)羽根田征子[アルバム『SORA』]
- 『無口な夢』、『雪のクリスマス・カード』他編曲(1989)南佳孝[アルバム『東京物語』(1989)
- 『明るくなるまで』(1989)今井美樹[アルバム『mocha under a full moon』]
- 『バスルームでランチ』(1992)野田幹子[アルバム『CUTE』]
- 『風になろう』(1996)YOU[アルバム『南向き』]
- 『THE FIGHT(HIRO P.J.名義)』(1998)オルケスタ・デル・ソル[(シングルCD) 1998年FIFAワールドカップのオフィシャル・サポート・ソング]
- 『ふうりん』(1998)高中正義[アルバム『Bahama』]
- 『去る者は日々に疎し~OUT OF SIGHT,OUT OF MIND』(2002)高橋真梨子[アルバム『time of love』]
- 『ここにいるよ』(2007)SoulJa feat.青山テルマ[マキシシングル] (編曲)
- 『そばにいるね』(2008)青山テルマ feat.SoulJa[マキシシングル] (編曲)
- 『ロマンチスタ』|『I HAVE LOVE 2008』(2008)I.H.L[マキシシングル] (サウンド・プロデュース)
[編集] 企画アルバム等
- 『幻のハックルバック』(1976)鈴木茂とハックルバック
- 『SEASIDE LOVERS』(1983年)オリジナル3曲起用(松任谷正隆、井上鑑とともに参加)。
- 『SNOW LAND '90』(1989年)ホイチョイプロダクション「極楽スキー'90」コンピレーションアルバム
- 『ゆりかごのうた』(1992年)(挿し絵:永田萌)
[編集] CM等に起用された主な作品
- 『輝きに向けて』(1982年~)鹿児島放送テーマ曲(オープニング・クロージングで使用)
- 『Sun Glow』(1984年)小杉産業“ジャンセン”CM曲
- 『アンジェリーナ』(1985年)小杉産業“ジャンセン”CM曲
- 『Shiny Lady』(1985年)小杉産業“ジャンセン”CM曲
- 『記憶の中の未来から』(1985年)小杉産業“ジャンセン”CM曲
- 『Future File』(1987年)東京建物CM曲
- 『Sweet Inspiration』(1987年)テレビ朝日“EAT9”オープニング・テーマ曲
- 『TOGETHER』(1987年)TBSテレビ“男女7人夏物語”挿入曲
- 『I WANT TO HOLD YOUR HAND』(1987年)テレビ朝日“EAT9”エンディング・テーマ曲
- 『FUNKY MULTI』(1987年~)フジテレビ“ねるとん紅鯨団”、テレビ朝日“EAT9”挿入曲、ヤナセ“ゴルフ”CM曲
- 『LOVE IS THE ANSWER』(1988年)国際証券CM曲
- 『ON THE WIND』小杉産業“ジャンセン”CM曲
- 『SEAT FOR TWO』(1988年)丸大食品“適塩食生活”CM曲
- 『ALL OF ME』(1995年)西友企業
- 『約束』(1996年)フジテレビTHE WEEKテーマ曲
- 『DOLPHIN』(1996年)関西テレビ・フジテレビ系花王ファミリースペシャルオープニング・タイトル曲
- 『THE FIGHT』オルケスタ・デル・ソル(1998年) 1998 FIFAワールドカップ・オフィシャル・サポート・ソング(HIRO P.J.名義にて作曲)
- 『ここにいるよ』SoulJa feat.青山テルマ(2007年) テレビ東京「JAPAN COUNTDOWN(2007年9月度)」、「やりすぎコージー」、「メデューサの瞳」、「カウントダウンTV」エンディングテーマ、「PVTV」オープニングテーマ(編曲、サウンド・プロデュース)
- 『そばにいるね 』青山テルマ feat. SoulJa NTTドコモCMソング(2008年)(編曲、サウンド・プロデュース)
- 『ロマンチスタ』I.H.L(2008年)NHK新大学生・新社会人応援キャンペーン 「がんばれ。ルーキー!」 キャンペーンソング(サウンド・プロデュース)
- 『I HAVE LOVE 2008』I.H.L(2008年)テレビ東京系たけしの誰でもピカソエンディングテーマ(サウンド・プロデュース)
[編集] 他ミュージシャンへの参加作品等
- 1974年 加川良「アウト・オブ・マインド」、ザ・ディランII「さようなら~この世を悲しむ風来坊に捧ぐ~」。
- 1975年 金森幸介「箱舟は去って」、大滝詠一「ナイアガラ・ムーン」、吉田美奈子「MINAKO」、岡林信康「誰ぞこの子に愛の手を」、西岡恭蔵「ろっかばいまいべい」、細野晴臣「トロピカル・ダンディー」、ブレッド&バター「Mahae」、南こうせつ「かえり道」。
- 1976年 めんたんぴん「MENTANPIN SECOND」、細野晴臣「泰安洋行」、大貫妙子「グレイ・スカイズ」、吉田美奈子「FLAPPER」、南佳孝「忘れられた夏」、大塚まさじ「遠い昔ぼくは…」。
- 1977年 小坂忠「MORNING」、渡辺勝「HELLO」、吉田美奈子「Twilight Zone」、山下達郎「SPACY」、やまがたすみこ「フライング」、いしだあゆみ「いしだあゆみ&ティン・パン・アレイ・ファミリー/アワー・コネクション」、マザー・グース「貿易風にさらされて/マリンブルー」、高中正義「TAKANAKA」、HI-FI SET「LOVE COLLECTION」、大滝詠一「NIAGARA CALENDAR」、Linda Carriere「Linda Carriere」(未発売)。
- 1978年 山下達郎「GO AHEAD!」、細野晴臣&イエロー・マジック・バンド「はらいそ」、大滝詠一「大滝詠一・デビュー」、秋山一将「DIG MY STYLE」、南佳孝「SOUTH OF THE BORDER」、尾崎亜美「STOP MOTION」、「プリズミイ」、後藤次利「ON BASS」、岡本一生「MOONLIGHT SINGING(編曲共)」、山本達彦「Sudden Wind」、細野晴臣&横尾忠則「コチンの月」、山下達郎/細野晴臣/鈴木茂「Pacific」。
- 1979年 竹内まりや「UNIVERSITY STREET」、山下達郎「MOON GLOW」、サディスティックス「ザ・ラスト・ショウ」、アン・ルイス「PINK SPECIALS」、ブレッド&バター「LATE LATE SUMMER」、杏里「FEELIN’」、南佳孝「SPEAK LOW」、朝比奈マリア「MARIA」、池田典代「DREAM IN THE STREET」、古谷野とも子「NEUTRAL TINTS」、佐藤奈々子「Pillow Talk」、サーカス「NEW HORIZON」、ジェフ・マルダー&エイモス・ギャレット「ライヴ・イン・ジャパン」。
- 1980年 山下達郎「ライド・オン・タイム」、エイモス・ギャレット「GO CAT GO」。
- 1981年 吉田美奈子「ライトゥン・アップ」。
- 1982年 山下達郎「FOR YOU」、フランク永井「WOMAN/愛のセレナーデ」。
- 1983年 吉田美奈子「In Motion」、山下達郎「MELODIES」、南佳孝「DAY DREAM」、尾崎亜美「MIRACLE」、濱田金吾「MUGSHOT」、上田正樹「HUSKY」、大野方栄「MASAE ALA MODE」、井上鑑 松任谷正隆 佐藤博「シーサイド・ラバーズ」。
- 1984年 石川秀美「SECRET」、秋本奈緒美「Poison 21」、竹内まりや「VARIETY」、角松敏生「AFTER 5 CLASH」、二名敦子「LOCO ISLAND」、太田貴子「GRADATION」、香坂みゆき「ジェット・ラグ(時差)」、尾崎亜美「PLASTICGARDEN」。
- 1985年 小泉今日子「Today's Girl」、石野真子「Saffran」、石川秀美「I」、天宮良「TURN YOU ON」、鳥山雄司「A Taste Of Paradise」。
- 1986年 シンディ「ラブ・ライフ」、EPO「PUMP! PUMP!」、高橋幸宏「ONLY WHEN I LAUGH」、山下達郎「POCKET MUSIC」、杏里「MYSTIQUE」、「TROUBLE IN PARADISE」。
- 1987年 角松敏生「She is A Lady」、藤本健一「アペリティフ」、国分友里恵「STEPS」、下成佐登子「KEEP IN TOUCH」、吉野千代乃 「SAY GOOD-BYE」。
- 1988年 鳥山雄司「Transfusion」、中山美穂「CATCH THE NIGHT」、TOKYO ENSEMBLE LAB(角松敏生)「BREATH FROM THE SEASON」、鈴木雅之「Radio Days」。
- 1989年 羽根田ユキコ「SORA」、南佳孝「東京物語」、サディスティック・ミカ・バンド「天晴」。
- 1990年 障子久美「RHYTHM OF SILENCE」。
- 1991年 角松敏生「ALL IS VANITY」、「TEARS BALLAD」、渕上祥人「AGUA」、小森田実「パノラマ」。
- 1992年 野田幹子「CUTE」、織田哲郎「ENDLESS DREAM」。
- 1993年 障子久美「Scope Of Soul」。
- 1995年 種市弦「両想いのススメ」。
- 1996年 熊谷幸子「Bahia」。
- 1997年 岩崎宏美「SHOWER OF LOVE」。
- 1998年 山下達郎「COZY」。
- 1999年 南佳孝「PURPLE IN PINK(HIRO P.J名義)」、岸田今日子、本木雅弘「泣かないで-小さな旅人へ」、Chappie「水中メガネ(シングル)」。
- 2000年 Tin Pan「Tin Pan」、KinKi Kids「KinKi Single Selection(Happy Happy Greeting)」
- 2001年 スムース エース「REMAINS」、小坂忠「PEOPLE」。
- 2002年 オムニバス「HAPPY END PARADE ~tribute to はっぴいえんど~」、銀河鉄道「ミルキーウェイ」(プロデュース。1977年制作)。
- 2003年 村上“ポンタ”秀一「MY PLEASURE ~FEATURING GREATEST MUSICIANS~」。
- 2005年 市原ひかり「一番の幸せ」、村井邦彦「COMPOSITIONS」。
- 2007年 竹内まりや「明日のない恋」(シングル)、SoulJa「DOGG POUND」。
- 2008年 青山テルマ「そばにいるね」、 DREAMS COME TRUE「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」、I.H.L「ロマンチスタ」|「I HAVE LOVE 2008」[Maxi] 。
[編集] 主なプロデュース作品
- 1983年 大野方栄「MASAE ALA MODE」
- 1989年 羽根田ユキコ「SORA」、南佳孝「東京物語」、STAR-FIX「STAR-FIX」
- 1992年 野田幹子「CUTE」
- 2001年 スムース エース「REMAINS」
- 2002年 銀河鉄道「ミルキーウェイ」(1977年制作)
- 2005年 市原ひかり「一番の幸せ」(鈴木茂と共同プロデュース)
- 2007年 DREAMS COME TRUE「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」(音楽監督)
- 2007年 SoulJa「DOGG POUND」「Spirits」(サウンド・プロデュース)
- 2008年 青山テルマ「そばにいるね」(サウンド・プロデュース)
- 2008年 I.H.L「ロマンチスタ」「I HAVE LOVE 2008」(サウンド・プロデュース)
[編集] 脚注
[編集] 関連項目・人物
[編集] 外部リンク
- HIROSHI SATO OFFICIAL SITE(公式サイト)
- 佐藤 博 応援委員会(ファン・サイト)