低体温症
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
低体温症(ていたいおんしょう、Hypothermia ハイポサーミア)とは、恒温動物である所の生き物が、寒冷状態に置かれたときに生じる様々な症状の総称。凍冱ともいう。また、低体温症による死を凍死(とうし)と呼ぶ。
ご自身の健康問題に関しては、専門の医療機関に相談してください。免責事項もお読みください。 |
目次 |
[編集] 低体温症の機序
低体温症は、恒温動物の体温が、通常の温度よりも下がっている場合に発生する。軽度であれば自律神経の働きにより自力で回復するが、重度の場合や自律神経の働きが損なわれている場合は、死に至る事もある症状である。これらは生きている限り、常に体内で発生している生化学的な各種反応が、温度変化により、通常通りに起こらない事に起因する。
[編集] 温度と生化学反応
生化学的反応の例を挙げるなら酵素の反応だが、これらは通常の場合において、特に動物が利用する酵素は、至適温度が40°C前後である(=40°C前後で最も効率良く働くということ)ものが多いが、これはヒトの中心温度(37°C前後。直腸温度などが最も近い)に近いため、体内で効率よく働くことができる。俗に「腹を冷やすと下痢(消化不良)になる」と言われるのは、消化管の温度低下によってこれらの酵素の一種である消化酵素の働きが鈍り、消化作用が阻害されるためである。
また、ブドウ糖などの糖を酸化・分解してエネルギー通貨としてアデノシン三リン酸 (ATP) を生成する「解糖系」という過程も、周辺温度によって生成速度に差が生じ、低い温度ではこのATP生産が低下する。そしてATPは筋肉、神経、内臓など全身の細胞の生命活動全般においてエネルギー源として使用されているため、供給が滞れば致命的な問題に発展する。
[編集] 逆利用
低体温症では、体中心温度の段階によって様々な症状が発生し、最終的には意識喪失・心肺機能停止による仮死・生理機能停止による死亡に至る。しかし逆に低体温状態には組織の代謝を低下させることによる保護的な作用もあるため、さまざまな応用が試みられている。
例えば日本では1990年代に始まった脳低温療法は、冷却ブランケットなどを用いて人為的に低体温を起こし、脳を保護するという治療法であり、実際に臨床で使用されている。脳外傷の蘇生後などが適応となる。冬季に溺水した子供が通常は蘇生できないほど長時間(一般には心肺機能停止から3 - 10分以内程度であるが、同事例では40分 - 3時間)水の中にいたにもかかわらず蘇生し回復した例が報告されているが、これは冷水が身体を冷やし偶然低体温療法的に作用したためと考えられている(下記参照)。
他にも低体温状態で心臓手術を行う方法が旧ソビエト連邦で開発された。しかし蘇生率があまり高くないため、安全性に問題があり、人工心肺の普及した現代では、ほとんど行われていない。
また低体温症による仮死状態を上手にコントロールすれば、酸素消費や食糧消費を抑え、老化も抑えられる可能性もあるため、長時間の宇宙旅行においては、それを利用した人工の冬眠をクルーに使わせる事も考えられており、これらの「人工冬眠」の研究は、恒星船等への応用が期待されている。
[編集] 低体温症の種類
- 偶発性低体温症 (accidental hypothermia)
- 末梢組織障害
- 凍傷 (frostbite)
- 凍瘡 (chilblain)
[編集] 偶発性低体温症
何らかの原因で中心体温(直腸温)が35°C以下に低下した病態。
直腸温 | 意識 | 震え | 心拍数 | 心電図 | 消化管 |
---|---|---|---|---|---|
35 - 33°C(軽度) | 正常 | (+) | 正常 | 正常 | 正常 |
33 - 30°C(中度) | 無関心 | (-) | 軽度低下 | 波形延長 | イレウス |
30 - 25°C(重度) | 錯乱・幻覚 | (-) | 著明低下 | Osborn-J波 | イレウス |
25 - 20°C(重篤) | 昏睡・仮死 | 筋硬直 | 著明低下 | 心房細動 | イレウス |
20°C以下(非常に重篤) | ほぼ死亡状態 | 筋硬直 | 消失 | 心室細動 | イレウス |
幼児は、凍結した池等で冷水に落ちて急激な体温低下に伴う仮死状態に陥った場合に、体の容積が小さく、全身が速やかに冷却されるため、脳への酸素供給停止以前に脳細胞が仮死状態に陥るため、酸素欠乏症による脳死に至らずに済む事があり、心臓停止から3時間以上経ってから蘇生した事例がある。成人でも心臓停止から30分以上経って蘇生した事例もあるが、これらは適切な救急救命医療を必要とする。
[編集] 凍傷
凍傷を参照
[編集] 凍瘡
凍瘡を参照
[編集] 対処法
症状によって、必要な対処法が異なる。慌てて手足を温めると、急激に心臓に負担が掛かって、ショック状態に陥る危険性があるので注意する。アルコール飲料は確かに体が温まるが眠気を誘い、余計に事態を悪化させる危険があるので避けるべきである。体の温まる甘い飲み物は効果的だが、意識がはっきりしていないと、飲み物で溺死する危険性があるので、意識障害が在る者には飲ませてはいけない。
[編集] 対処法・基礎
風雨に晒されるような場所を避け、衣服が濡れている場合は、それらを乾いた暖かい衣類に替えさせ、暖かい毛布などで包む。衣類は緩やかで締め付けの少ない物が望ましい。脇の下やそけい部(又下)等の、太い血管(主に静脈)がある辺りを湯たんぽなどで暖め、ゆっくりと体の中心から温まるようにする。この時、無理に動かすと、手足の冷たくなった血液が、急激に内臓や心臓に送られる結果になるため、体を温めさせようとして運動させるのは逆効果であるので、安静とする。
[編集] 対処法・軽度
とりあえずどんな方法ででも、体を温めるようにして、暖かい甘い飲み物をゆっくり与える。ただし目が醒めるようにとコーヒーやお茶の類いを与えると、利尿作用で脱水症状を起こすので避ける。アルコール類は体は火照るが、血管を広げて熱放射を増やし、さらには間脳の体温調節中枢を麻痺させて震えや代謝亢進などにより体温維持のための反応が起こりにくくなるため、絶対与えてはいけない。リラックスさせようとしてタバコを与えてはいけない。タバコにより末梢血管が縮小して、凍傷を起こす危険があるためである。この段階では、少々手荒に扱っても予後はいいので、出来るだけこの段階で対処すべきである。
[編集] 対処法・中度
運動させたりすると、心臓に冷たい血液が戻って、心臓が異常を起こす事もあるので、出来るだけ安静に努める。急激に体の表面を暖めるとショック状態に陥る事があるので、みだりに暖めない。比較的穏やかに暖める事は可能であるが、裸で抱き合うと、体の表面を圧迫して余計な血流を心臓に送り込んで負担を掛けるので避けるべきである。同様の理由で手足のマッサージも行ってはいけない。とにかく安静にする必要があるので、風雨を避けられる場所に移動するにも、濡れた衣服を着替えさせるにも、介助者がしてやるようにし、出来るだけ当人には運動させないようにする。心室細動により非常に苦しむ事も在るが、心臓停止状態以外では、胸骨圧迫も危険であるため、してはならない。
[編集] 対処法・重度
呼吸が停止しているか、または非常にゆっくりな場合は、人工呼吸を行って、呼吸を助ける。心臓停止状態にある場合は、胸骨圧迫を併用する。心臓が動き出したら胸骨圧迫を止め、人工呼吸を行う。この場合はマウス・トゥ・マウス式(仰向けに寝かせた要救護者の後頭部から首に掛けて手を宛がって持ち上げ、鼻をつまんで、介護者が口を使って、要介護者の口へ息を吹き込む・喉の奥に吐いた物が詰まっている場合は、これを取り除いてから行う)人工呼吸の方が、人間の吐息であるために暖められていて都合がよいとされる。
[編集] 救命活動の重要性
ちなみに低体温症においては、仮死状態と完全に死んでいる状態の違いを、明確に判定する事は非常に難しいが、それと同時に、この状態が生物学的に完全に死んでいる状態であると断定できない部分も大きい。しかし放って置けば確実に死亡するため、医療機関に搬送され、専門医の適切な治療と診断を受けるまでは、何があっても・何時間でも、介護者が二次遭難する危険にないかぎりは、救命活動を続行すべきとされている。
[編集] 救命活動事例
2006年4月に日本の長野県で雪崩に巻き込まれた20代男性が、発見からは約4時間・心肺停止確認後からは2時間45分後に蘇生・後遺症もなく回復した事例が報じられている。
- 前日午後2時ごろに雪崩に遭い遭難。翌午前9時ごろに捜索隊により発見、低体温による心肺停止のためヘリコプターで地元病院に搬送されたが回復せず、更に同県内の大学病院に搬送されて11時52分に人工心肺に接続、その1時間後に心臓の自力での鼓動を確認した。
発見から近隣病院へ搬送、更に人工心肺のある医療施設に搬送されるまでの間、救急隊員が人工呼吸と胸骨圧迫を行っていたという事で、男性は2か月ほど入院生活を送った後、歩行や会話を行うといった日常生活に支障のないレベルに回復、2006年6月には近く退院することが報じられた。なお2006年6月9日に読売新聞などが男性の退院に併せ同件を報じており、同記事中治療にあたった信州大医学部付属病院の岡元和文教授の談話として、これは心肺停止後の蘇生としては日本国内の最長記録であるという[1]。同教授は救急隊員の活動と低体温症による代謝の低下で酸欠によるダメージが軽減されたこと、加えて男性が若く体力があったことを回復した理由として示している。
2006年10月7日兵庫県在住の男性(35歳)が兵庫県六甲山中にて遭難、その後24日後の10月31日意識不明の状態で発見された。
- 発見時は直腸温度が22℃まで下がり、浅い呼吸と一分間に40 - 50回程度の弱い心拍があった。神戸市消防局のヘリコプターにより神戸市内の病院に搬送された直後に心肺停止状態に陥ったが、治療開始4時間後には心拍が戻り、その後の集中治療の結果50日後の12月19日にほとんど後遺症もなく退院した。発見当時は携帯していた食品並びに水分を摂取し生存していたと考えられていたが、蘇生後従来の常識では考えられない事実があきらかになった。山道を踏みはずし崖下に滑落、腰骨を骨折し身動きの取れない状態となり、遭難初日及び2日目に若干の水分摂取をしたのち意識を喪失し、その後発見されるまでの3週間一切の食物及び水分の摂取を行わないままに過ごしたと証言した。発見現場周辺には排泄の痕跡もなかった。診察した医師の記者会見によると、低体温症による冬眠状態で生命の維持が可能になったのではないかとの仮説が示されている。(新聞報道による)
従来の仮説では体温30℃以下の生存、並びに10日を超える絶食での生存は不可能とされていたが(値については狭い範囲での幅はある)、本件ではいずれの値を大きく上回るものであり経緯の真偽を含めさらなる検証が必要である。しかしながら低体温による人体代謝の機能が従来の常識を大きく覆した可能性が高い事例である。