宇宙旅行
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宇宙旅行(うちゅうりょこう)とは、国家政策や科学的研究を目的とした宇宙開発と対比して、専ら個人的な興味関心のもとに宇宙空間に赴く行為を指す。2008年1月時点では宇宙飛行士になるためには高度な知識や様々なミッションをフライト中にこなし続ける技能と経験、宇宙飛行に付随する様々な訓練を要する。しかし、多くの民間企業が特別な訓練などを必要とせず、現在で言うところの海外旅行程度の手続き的・身体的負担で短時間、宇宙空間に滞在し帰還することをまずは目指し、技術開発にしのぎを削っている。
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[編集] 日本人初の民間宇宙旅行人
1990年12月2日にソビエト連邦のソユーズTM-11に搭乗、宇宙ステーションミールに9日間滞在した秋山豊寛は、世界で初めて宇宙空間に到達したジャーナリストであり、日本人初の宇宙旅行を体験した人物である。TBSが宇宙特派員として派遣した彼は、長期間にわたる訓練の後に宇宙へと旅立った。
予定では、日本人初の宇宙飛行として宇宙開発事業団に所属する毛利衛が秋山より先に宇宙へと旅立つ事となっていた。しかし、チャレンジャー号事故の影響で秋山のフライトが延期され、結果として日本人初の宇宙飛行参加者は民間人である秋山となった。純粋な科学者ではない教育関係者などもスペースシャトルなどに搭乗しており、秋山は一応睡眠実験などの科学実験に参加しているので厳密な定義は出来ないが、彼が民間企業のスポンサーによって宇宙飛行を果たした人間の1人であることは間違いない。
[編集] 「宇宙旅行」第一号
民間人が全額自己負担で宇宙旅行に旅立った世界初の例は、スペースアドベンチャーズ社がロシア宇宙局と契約を仲介することで実現したアメリカの大富豪デニス・チトーによるものである。彼は国際宇宙ステーション(ISS)に人員と物資を補給するソユーズの定期便でロシアから旅立ち、2001年4月28日から5月6日までISSに滞在した。それに続き、2002年には南アフリカ共和国の実業家マーク・シャトルワースが宇宙旅行を実現している。コロンビア号の事故からも分かるように2000年代においても宇宙開発には危険が伴い、気軽に民間人が宇宙旅行をする時代が来ているとは言い難い。ロシアは国家経済の事情で民間企業にソユーズの座席を売ることで打ち上げ資金を確保している状況であり、「宇宙旅行」に消極的なアメリカ航空宇宙局も、コロンビア号の事故以来ソユーズにISSの維持に必要な物資の輸送を頼っていることから、こうした宇宙開発の冷え込みが皮肉なことに宇宙旅行を実現させている側面もある。
[編集] 民間宇宙船の開発状況
米国の旅行会社「ジグラム社」は、ジェット機の背に搭載されたロケットプレーンを高度16kmで切り離し、そこからはロケットエンジンで高度100kmまで上昇し、地球を見ながら弾道飛行による2分半の無重力状態を体験できるという宇宙旅行を企画した。1998年、ペプシコーラを日本で販売するサントリーは、懸賞でこのロケットプレーン搭乗券をプレゼントするというキャンペーンを行った。当初は2000年に実現予定であったが、ロケットプレーンの開発の遅れなどから、未だ実現していない。
X-prizeは民間による宇宙船開発に対する賞金制度であり、1996年に発足した(2004年、Ansari X Prizeに名称変更)。 3人以上の乗員(乗員1名と、2名の乗員に相当する重量のバラストでも可)を高度100km以上の弾道軌道に打ち上げ、さらに、2週間以内に所定の再使用率を達成し、同じ機体で再度打ち上げを達成した非政府団体に賞金1000万ドルが送られるというものである。地球一周旅行をはじめ、多くの長距離旅行の壁は資本家による賞金制度をきっかけに実現されてきたが、X-prizeは資金面のみならず、法律面でも発射試験までには煩雑な点が多く、脱落者が続出した。その中でスケールド・コンポジッツ社の有人宇宙船「スペース・シップ・ワン」は2004年6月21日に高度100キロの試験飛行に成功し、続けて賞金獲得のための本飛行も2004年9月29日と2004年10月4日に2度目の飛行を行った。9月29日のフライトにおいては一時機体が不安定になるなどのトラブルがあったものの、いずれも乗員1名とバラストを載せた飛行を達成し、同社は賞金を獲得した。
2005年10月、堀江貴文は個人プロジェクトとして「ジャパン・スペース・ドリーム」を立ち上げることを発表した。このプロジェクトはロシアの宇宙機関NPO Mashinostroyeniaが所有するカプセル型宇宙船「Almaz Capsule」を使用し、事業の運営は米国のExcalibur Almazが行なう。
ヴァージングループに設立された宇宙旅行会社「ヴァージン・ギャラクティック」(Virgin Galactic)はスペース・シップ・ワンからの技術供与を受け、宇宙旅行ビジネスを開始することを発表、同飛行のスポンサーとなった。2009年からのサービス開始を目指しており、スペース・シップ・ツーによる宇宙旅行ビジネスの実現を目指す。最初の宇宙旅行者として100人が世界中から選ばれ、ファウンダーと呼ばれている。日本人では稲波紀明が世界最年少のファウンダーに選ばれている。
[編集] SFに描かれた宇宙旅行
初めて宇宙旅行を描いたSF小説は1865年のジュール・ヴェルヌによる『月世界旅行』である。この作品とハーバート・ジョージ・ウェルズの『月世界最初の人間』(1901年)から着想され、1902年に発表されたジョルジュ・メリエスによる映画も有名である。ヴェルヌの小説の原題は『地球から月へ(De la Terre a la Lune)』、メリエスの映画の原題は『月世界旅行(Le Voyage dans la Lune)』だが、日本では双方とも『月世界旅行』となっている。また、ヴェルヌの小説には、後編にあたる『月世界探検』(原題『月めぐり(Autour de la Lune)』(1869年)がある。ヴェルヌは270mの巨大な大砲を用いて宇宙空間に到達する方法を比較的に科学的説得力のある内容で描いており、赤道付近に発射場を設置することなど、一世紀以上先に実現されることになる宇宙開発の基礎をいくつかの点で言い当てている。
映画『2001年宇宙の旅』でも、地球から月に向かう宇宙旅行が描かれている。ロケットプレーン(パン・アメリカン航空のオリオン号)で地球軌道上の宇宙ステーションにランデブーした後、月着陸船に乗換え、月に向かうというものだが、宇宙での機内食、客室添乗員の履くグリップシューズ、宇宙トイレなど、綿密な科学考証のもと、宇宙旅行の様子が詳細に描かれている。
[編集] 関連項目
- ヴァージン・ギャラクティック
- 宇宙飛行関係者
- ロケット・ミサイル技術の年表
- 宇宙開発
- 宇宙開発競争
- コンスタンチン・E・ツィオルコフスキー - 「宇宙旅行の父」と呼ばれるロシアのロケット研究者
- スペース・シップ・ワン
- ロケットプレーンXP