伊藤達也
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生年月日 | 1961年7月6日(46歳) |
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出生地 | 東京都 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部 |
学位・資格 | 法学士(慶應義塾大学) |
前職 | 自営業 |
所属委員会 内閣役職 |
内閣総理大臣補佐官 |
世襲 | 世襲ではない |
選出選挙区 | 東京都第22区 |
当選回数 | 衆5回 |
所属党派 | 自由民主党(津島派) |
党役職 | |
会館部屋番号 | 衆・第二議員会館435号室 |
ウェブサイト | 伊藤達也公式HP |
伊藤 達也(いとう たつや、1961年7月6日 - )は、日本の政治家。衆議院議員。戸籍上の表記は「達」でなく「逹」(ただし、しんにょうの点は一つ)である。内閣府特命担当大臣(金融担当)、内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)を歴任した。
目次 |
概要
- 生い立ち
1980年、府中白百合幼稚園、府中市立第一小学校、調布市立第一小学校、調布市立調布中学校を経て、慶應義塾高等学校を卒業。高校時代、母を難病の全身性エリテマトーデスで約3年間の闘病生活の後亡くす。このとき、国の医療制度や福祉政策に疑問を持ち、政治家を志しはじめる。
大学卒業後、松下幸之助が創設した財団法人松下政経塾に第5期生として入塾し、政策通の論客として知られる。
- 衆議院議員に当選
1993年、日本新党から出馬し、衆院初当選。1996年の第41回衆議院議員総選挙では新進党から出馬し、東京都第22区(調布市・稲城市・狛江市・三鷹市)で再選。1997年7月に新進党を離党後、無所属クラブを経て1998年1月民政党結成に参加した。しかし4月27日の民主党結成大会に参加せず、同年7月、自民党に入党し平成研究会入会した。
2002年、第1次小泉第1次改造内閣にて内閣府副大臣に任命された。2004年、第2次小泉改造内閣にて内閣府特命担当大臣(金融担当)に就任した。松下政経塾出身者では初の閣僚となり、バブル崩壊後の日本経済再生への最大の足かせであった不良債権問題の解決に取り組んだ。
第44回衆議院議員総選挙では山花郁夫を破って再選。
衆議院予算委員会理事としてねじれ国会の与野党協議の最前線に立つとともに、党においては調査会長として国政の重要課題である地域再生問題に取り組んだ。
2008年、福田内閣にて内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)に就任した。社会保障国民会議を運営し、視察や国民の声を集約し内閣総理大臣福田康夫へ具申しているほか、首相動静にも連日名を連ねている。同年、地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合の自民党事務局長に就任した。
政策
小泉政権にて金融担当の副大臣、大臣として不良債権問題に力を注いだ。
中川秀直や竹中平蔵と近い考え方で、成長重視路線を主張する上げ潮派と自他共に認めている。「増税なき財政再建」を標榜しており、名目で3〜4%の経済成長による税収の自然増と約11兆の無駄を省く徹底した歳出改革により、基礎的財政収支を黒字化できると主張している。
経歴
- 1980年 調布市第一小、調布中学校を経て慶應義塾高等学校卒業
- 1984年 慶應義塾大学法学部法律学科卒業、松下政経塾入塾(第5期生、同期に高市早苗)
- 1987年 カリフォルニア州立大学大学院行政学部客員研究員
- 1988年 ブレーン21研究所設立・日米技術交流会議(アライアンス'90)事務総長
- 1993年 衆議院議員(以来、現在5期目) ・衆議院商工委員会理事・衆議院予算委員会委員
- 1998年 党財政部会副部会長・党地方行政部会副部会長
- 1999年 党科学技術部会部会長代理・党法務部会副部会長
- 2000年 通商産業政務次官・党経済産業部会長・党行政改革推進本部幹事・衆議院環境委員会理事
- 2001年 衆議院経済産業委員会理事・党e-Japan重点計画特命委員会事務局長
- 2002年 衆議院経済産業委員会筆頭理事~内閣府副大臣
- 2003年 内閣府副大臣再任
- 2004年 内閣府特命担当大臣(金融担当)
- 2005年 内閣府特命担当大臣(金融担当)・党政務調査会会長補佐・対外経済協力特別委員会委員長・金融調査会会長代理
- 2006年 党幹事長補佐 衆議院財務金融委員会委員長
- 2007年 地域再生調査会会長 衆議院予算委員会理事 u-Japan特命委員会幹事長 松下政経塾評議員
- 2008年 内閣総理大臣補佐官(社会保障担当)
- 2008年 地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合自民党事務局長
人物
政治の原点は学生時代に母を難病で亡くし、福祉政策の重要性を感じて松下政経塾の門を叩き政治を志した。また、政治を志すにあたり、自分と家族の生活費くらいは自分で賄えなくてはいけないという、松下幸之助の教えを実践して20代の時に夫婦で宅配ピザのチェーン店を営んだ。
大学時代は映画サークルに所属し、生まれ変わったら映画監督になりたいとしている。好きな映画はスター・ウォーズ。憧れの女優は吉永小百合。最近の愛読書は「坂の上の雲」。
- 趣味
野球・映画鑑賞。
事務所のソフトボールチームもあり、地元で大会に出場している。
- 家族
妻と一男一女の四人家族。
- 座右の銘
「成功の要諦は成功するまで続けることにある」
村上ファンドとの関係
- ライブドア堀江貴文がニッポン放送株を村上ファンドから一気に買い集めた時間外取引について、市場関係者からは株式公開買い付けを逃れる手法ではないかとの疑義が持ち上がったが、2005年1月当時は金融大臣であった伊藤は「(証券取引法上の)株式公開買い付け(TOB)規制の対象とはならない」との見解を記者会見で示し、ライブドアの時間外取引は「合法」との流れが出来上がった。しかし、後に村上世彰と堀江貴文は逮捕されている。[1]
- 村上ファンドに出資した政治家や財界人の実名と投資額・投資時期が書かれた「投資家リスト」が流出し、その中に名前が載っていると報じられた。[2]
不祥事
選挙時の燃料費不正請求
2005年の第44回衆議院議員総選挙にて、伊藤が選挙カーへのガソリン給油量を実際とは異なる数値で申請し、東京都選挙管理委員会から燃料代を不正に受領したことが明らかになっている[3]。さらに、あらかじめ契約したガソリンスタンドでの給油のみが認められているが、伊藤は対象外のガソリンスタンドも利用していた。
マスコミによる取材に対し、伊藤は事実を認めたうえで謝罪し、受領した燃料代を東京都選挙管理委員会に全額返金した。伊藤は自身のブログなどでも謝罪を表明している[4]。不正な請求を行った際、伊藤は第2次小泉改造内閣にて内閣府特命担当大臣(金融担当)を務めていた。
所属議員連盟
- 地域・生活者起点で日本を洗濯(選択)する国民連合 - 自民党事務局長
- 日韓議員連盟
著書
- 永田町からの政治論(PHP研究所)
- 21世紀・日本の繁栄譜(PHP研究所)
脚注
外部リンク
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