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京都市営バス醍醐営業所 - Wikipedia

京都市営バス醍醐営業所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

京都市営バス醍醐営業所(きょうとしえいばすだいごえいぎょうしょ)は、京都市伏見区醍醐にかつて存在していた、京都市営バスの営業所である。醍醐、山科地区を運行する路線を担当していた。京都市営地下鉄東西線の開業により、京阪バスに同営業所の管轄内の路線を移管する形で廃止された。なお、跡地はマンション(DELPA醍醐)となっている。開設時から1983年の移転前まで使用していた土地は、京都市醍醐西市営住宅となっている。

目次

[編集] 沿革

  • 1971年7月25日 - 京都市営バス醍醐営業所を開設する。
  • 1979年5月21日 - 八条営業所、北野支所の廃止、洛西営業所の開設に伴い、担当系統が変更となる。担当系統は、39、39乙、40、40甲、40乙、41甲乙、44、44甲、49、56、57C、64の各系統である。
  • 1981年5月29日 - 系統番号が一斉に変更となる。この時の担当系統は、東1、東2、東3、東4、東5、東6、東7、東8、東9、56、57(57Cを改称)の各系統である。
  • 1983年11月1日 - 営業所の敷地を移設する。また、東10、80の各系統を梅津営業所から、83号系統を九条営業所から、それぞれ移管する。
  • 1984年頃 - 83号系統を横大路営業所に移管する。
  • 1988年6月11日 - 地下鉄烏丸線京都-竹田間開業に伴い、56、57の各系統を廃止する。また、南6、南7の各系統を新設する。東7号系統を廃止する。
  • 1997年6月4日 - 80号系統の一部を梅津営業所に移管する。
  • 1997年10月12日 - 地下鉄東西線開業に伴うバス路線再編により、醍醐営業所および80号系統を除く全系統を廃止する。所管系統の一部は京阪バスに移管される。80号系統は梅津営業所に全面移管となる。

[編集] 廃止時所管路線

[編集] 80号・特80号系統

  • 80号 京都外大前~西京極~西大路五条~五条坂~山科団地前
  • 特80号 醍醐車庫前~醍醐高畑町~東野~山科団地前~京都外大前

1997年10月11日に京都市営地下鉄東西線開業に伴い特80号系統を廃止した。なお80号系統は四条河原町~京都外大前に改め、梅津営業所に移管した。

[編集] 東1号系統

  • 小栗栖団地~勧修寺~西野山団地~五条坂~四条河原町

醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東1号系統は、勧修寺、西野山団地を経由する系統であり、唯一醍醐車庫前ではなく小栗栖団地発着であった。操車は醍醐営業所で直接行なっていたため、醍醐営業所~小栗栖団地間は常に回送運転していた。

なお、1981年5月以前は40甲号系統と称していた。

[編集] 東2号系統

  • 醍醐車庫前~蚊ヶ瀬~勧修寺北出町~西野山団地~五条坂~四条河原町~四条烏丸

醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東2号系統は、蚊ヶ瀬、西野山団地を経由する系統であり、唯一四条河原町ではなく四条烏丸発着であった。なお、四条烏丸発着となったのは、1983年11月以降である。

1981年5月以前は40号系統と称していた。また、東2号系統は、他の東ブロック系統に比べて、比較的終バスが遅かった。

[編集] 特東2号系統

  • 特東2A号系統 醍醐車庫前→勧修寺北出町→西野山団地→五条坂→四条河原町→四条烏丸→四条河原町→五条坂→西野山団地→勧修寺北出町→山科小野→醍醐三宝院前→石田→醍醐車庫前
  • 特東2B号系統 醍醐車庫前→醍醐西大路町→醍醐三宝院前→山科小野→勧修寺北出町→西野山団地→五条坂→四条河原町→四条烏丸→四条河原町→五条坂→西野山団地→勧修寺北出町→醍醐車庫前

当系統は、醍醐新町バス停付近にある京都府立東稜高等学校への通学路線として朝に特東2A、夕に特東2Bの1本ずつが存在していた。

[編集] 東3号系統

  • 醍醐車庫前~小栗栖~勧修寺北出町~西野山団地~五条坂~四条河原町

醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東3号系統は、小栗栖、蚊ヶ瀬、西野山団地を経由する系統であった。

なお、1981年5月以前は40乙号系統と称していた。

[編集] 東4号系統

  • 醍醐車庫前~蚊ヶ瀬~勧修寺北出町~折上神社前~上花山久保町~五条坂~四条河原町

醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東4号系統は、蚊ヶ瀬、折上神社前を経由する系統であった。

なお、1981年5月以前は39号系統と称していた。

[編集] 特東4号系統

  • 特東4A 醍醐車庫前→勧修寺北出町→折上神社前→五条坂→四条河原町→五条坂→上花山久保町→折上神社前→勧修寺北出町→山科小野→醍醐三宝院前→石田→醍醐池田町→醍醐車庫前
  • 特東4B 醍醐車庫前→醍醐西大路町→醍醐三宝院前→山科小野→勧修寺北出町→折上神社前→上花山久保町→五条坂→四条河原町→五条坂→上花山久保町→折上神社前→勧修寺北出町→醍醐車庫前

特東4号系統は、特東2号系統と同じく醍醐新町にある東稜高校への通学路線として、朝夕に1回ずつ設定されている系統であった。

[編集] 東5号系統

  • 醍醐車庫前~小栗栖~蚊ヶ瀬~勧修寺北出町~折上神社前~上花山久保町~五条坂~四条河原町

醍醐地区から山科区西部を経由して四条河原町を結ぶ系統は東1号、東2号、東3号、東4号、東5号の5系統があった。東4号系統は、蚊ヶ瀬、折上神社前を経由する系統であった。

なお、1981年5月以前は39号系統と称していた。

[編集] 東6号系統

  • 醍醐車庫前~勧修寺~折上神社前~川田~北花山~日ノ岡~三条京阪前

当系統は、醍醐地区から山科区西部を経由して三条京阪を結ぶ路線であった。狭隘区間が多かったため、晩年は中型車を使用していた。

なお、1981年5月以前は49号系統と称していた。

[編集] 東8号系統

  • 醍醐車庫前~石田~蚊ヶ瀬~国道東野~川田道~五条坂~四条河原町

当系統は、醍醐地区東部から外環状線を経由して四条河原町を結ぶ路線であった。類似系統として、醍醐車庫から直接外環状線を経由する東7号系統が存在していたが、1988年6月に廃止となった。

なお、1981年5月以前は、東7号系統は44号系統、東8号系統は44甲号系統と称していた。

[編集] 東9号系統

  • 東9甲号系統 醍醐車庫前→醍醐西大路→醍醐三宝院前→小野→大宅甲ノ辻→国道音羽→四ノ宮→日ノ岡→蹴上→三条京阪前→四条河原町→河原町五条→山科西野→国道大塚→大宅甲ノ辻→醍醐三宝院前→石田→醍醐車庫前
  • 東9乙号系統 醍醐車庫前→石田→醍醐三宝院前→大宅甲ノ辻→国道大塚→山科西野→清閑寺前→池田町→河原町五条→河原町三条→三条京阪前→蹴上→日ノ岡→四ノ宮→国道音羽→大宅甲ノ辻→小野→醍醐三宝院前→石田→醍醐車庫前

当系統は、醍醐地区東部から山科区東部を経由して、四条河原町、三条京阪を結ぶ路線であった。東9甲号系統のみ、石田ではなく醍醐西大路を経由していた。当系統は、京都市営バスで最長距離の路線であったことがある。

なお、1981年5月以前は41甲号系統、41乙号系統と称していた。

[編集] 特東10号系統

  • 醍醐車庫前~勧修寺北出町~小山~国道大塚~河原町五条~四条烏丸

当系統は、醍醐地区から山科区音羽地区を経由して、四条河原町、四条烏丸を結ぶ路線であった。当初は三条京阪前・若松町発着(若松町~三条京阪前~河原町五条~国道大塚~小山)であったが、東山操車場が廃止となった1989年7月以降、四条烏丸発着(四条烏丸~四条河原町~河原町五条~国道大塚~小山)となった。

1990年5月に入出庫を兼ねて醍醐車庫前まで延伸した特東10号系統が誕生した。1996年3月にすべての便が醍醐車庫前発着となり、すべてが特東10号系統(つまり、東10号系統は廃止)となった。

狭隘区間が多かったため、東10号系統・特東10号系統とも、晩年は中型車を使用していた。

なお、1981年5月以前は64号系統と称していた。

[編集] 南6号系統

  • 醍醐車庫前~石田団地~六地蔵~桃陵団地~藤ノ森~竹田久保町~竹田駅東口

当系統は、醍醐地区から伏見区桃山地区を経由して、竹田駅を結ぶ路線であった。当初は醍醐地区から桃山地区を経由して京都駅(1981年5月以前は四条烏丸)を結んでいて56号系統と称していたが、地下鉄烏丸線が京都駅~竹田駅が開業した1988年6月以降、竹田駅東口発着に経路が短縮となり、現在の系統番号となった。

狭隘区間が多かったため、晩年は中型車を使用していた。

[編集] 南7号系統

  • 醍醐車庫前~勧修寺北出町~国立病院前~竹田出橋~竹田駅東口
    • 1988年6月11日 都心側の発着地を京都駅八条口より竹田駅東口に変更、また系統番号を57(以前は57Cであった時期もあり)より南7に変更して運行を開始する。
    • 1997年10月11日 京都市営地下鉄東西線開業に伴い廃止する。

この系統は南6号系統が桃山地区を経由するのに対し、京都市でも相当人口密度が少ない勧修寺地区を経由するという相違点があった。

[編集] 車両

醍醐営業所の車両は、日野自動車製のものが配置されていた。大型車の他、中型車も配置されており、主に東6号系統、東10号系統、南6号系統、南7号系統で使用していた。

大型車は、1984年製までは標準床車が使用されていたが、1986年製以降は他営業所と同じく低床車が配置された。

醍醐営業所の廃止後、大型車は西賀茂営業所梅津営業所烏丸営業所錦林支所、中型車は西賀茂営業所洛西営業所に転属となった。中型車のうち一部は、車齢が10年未満であるにもかかわらず、廃車となった。

[編集] 関連項目


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