中払大介
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中払大介 | ||
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名前 | ||
愛称 | ハライ | |
カタカナ | ナカハライ ダイスケ | |
ラテン文字 | NAKAHARAI Daisuke | |
基本情報 | ||
国籍 | 日本 | |
生年月日 | 1977年5月22日(31歳) | |
出身地 | 静岡県 | |
身長 | 173cm | |
体重 | 69kg | |
血液型 | A型 | |
選手情報 | ||
在籍チーム | アビスパ福岡 | |
ポジション | MF | |
背番号 | 15 | |
利き足 | 右足
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中払大介(なかはらい だいすけ、1977年5月22日 - )は、静岡県出身のプロサッカー選手である。ポジションはミッドフィルダー。Jリーグディビジョン2・アビスパ福岡所属。」愛称は「ハライ」。SAGAWA SHIGA FC所属の中払伸吾は実弟。
目次 |
[編集] 略歴
静岡県立清水東高等学校を経て、1996年にこの年からJリーグに参入したアビスパ福岡に入団。山下芳輝、久永辰徳らとともに、福岡期待の若手としてチームに貢献した。しかし、チームは成績がなかなか上向かず、何度もJ2降格の危機を迎え、ついに2001年に降格を迎えた。これを機に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.)に移籍。
京都では2002年~2003年シーズンの天皇杯の優勝を経験したが、昇格と降格も2度ずつ経験することになる。2005年から2006年には主将を務め、当時監督を務めていた柱谷幸一の掲げるサッカーの中心選手であった。
しかし、2007年には出場機会が減少し、このシーズン限りで京都から戦力外通告を受けた。2008年は7年ぶりに古巣・福岡に復帰した。
[編集] プレースタイル
- 豊富な運動量・スタミナを持ち、テクニック・スピード・決定力等も高いレベルにある。また、FW・2列目・ボランチ・サイドハーフと、数多くのポジションをこなせる万能型の選手でもある。
- 過去に、セーブしようと滑り込んだ松永成立の顔面を踏みつけてシュートを決めたり(ゴールは認められた)、腕を巻き込むようにして転倒してケリー、伊藤哲也を立て続けに負傷させる等、悪質なプレーが目立った。近年は大幅に改善されているものの、いまだに「悪質なファウルを繰り返す選手」と見ているファンが多くいるのも事実である。
- 一方で、自身がファウルを貰うのは非常に巧く、試合を落ち着かせたい時や時間稼ぎをしたい時に、実に巧みに相手のファウルを誘うプレーを見せる。この時、フィールド上で彼が倒れている様子をサポーターは愛を込めて「ゴロゴロ」と呼んだりする。
- ちなみに足をバタバタさせて痛がっているときは演技である。ゆえに彼が倒されてもサポーターは「足をバタバタさせているから大丈夫」と判断している。
[編集] 人物
- 非常に明るく、人当たりのいい性格で、ファンサービスも熱心なため、選手・サポーターからも慕われている。
- その性格からか、非常に幅広い交友関係を持っており、競馬関係者や芸能関係者等、サッカー関係者以外の友人も多い。
- 京都入団の際は、入団挨拶の際に福岡時代に顔を踏みつけた松永成立にひよこまんじゅうをダッシュで手渡すなど、茶目っ気あるパフォーマンスはお手の物。
- 交代選手としてピッチに入る際に胸で十字を切ったり、パウリーニョ加入後は、胸のエンブレムを手で叩くパウリーニョ(アレモン)のパフォーマンスを取り入れるなど、かっこいいと思えば柔軟に取り入れる姿勢を持っているようである。
- 2004年11月6日のヴァンフォーレ甲府戦で、先制ゴールを決めた後、終了直前にPKを獲得し、キッカーとして蹴るもセーブされてしまい、カウンターを食らう。ディフェンス陣がそれを跳ね返したところで試合終了となったが、直後のヒーローインタビューでは苦笑いしながら「恥ずかしいです…」と答えていた。
[編集] 経歴
- 1993年 - 1996年 静岡県立清水東高等学校
- 1996年 - 2001年 アビスパ福岡
- 2002年 - 2007年 京都パープルサンガ/京都サンガF.C.(※2002年はレンタル移籍)
- 2008年 - アビスパ福岡
[編集] 個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | ナビスコ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996年 | 福岡 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1997年 | 福岡 | 27 | J | 27 | 2 | 6 | 1 | 3 | 0 | 36 | 3 |
1998年 | 福岡 | 13 | J | 15 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 17 | 3 |
1999年 | 福岡 | 10 | J1 | 27 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 32 | 0 |
2000年 | 福岡 | 10 | J1 | 22 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 24 | 4 |
2001年 | 福岡 | 10 | J1 | 27 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 30 | 1 |
2002年 | 京都 | 26 | J1 | 27 | 3 | 5 | 1 | 3 | 0 | 35 | 4 |
2003年 | 京都 | 14 | J1 | 27 | 3 | 4 | 1 | 0 | 0 | 31 | 4 |
2004年 | 京都 | 14 | J2 | 39 | 6 | - | 2 | 1 | 41 | 7 | |
2005年 | 京都 | 14 | J2 | 39 | 5 | - | 1 | 0 | 40 | 5 | |
2006年 | 京都 | 14 | J1 | 27 | 3 | 5 | 0 | 1 | 0 | 33 | 3 |
2007年 | 京都 | 14 | J2 | 24 | 0 | - | 1 | 0 | 25 | 0 | |
2007年 | 福岡 | 15 | J2 | - | |||||||
通算 | 日本 | J1 | 199 | 19 | 28 | 3 | 11 | 0 | 238 | 22 | |
日本 | J2 | 102 | 11 | - | 4 | 1 | 106 | 12 | |||
総通算 | 301 | 30 | 28 | 3 | 15 | 1 | 344 | 34 |
[編集] 出場・得点記録
[編集] 備考
- 清水東高校3年時、同校の1年に高原直泰がいた。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
GK |
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1神山竜一|22吉田宗弘|23六反勇治 |
DF |
2宮本亨|3山形辰徳|4ルダン|5長野聡|13柳楽智和|17中島崇典 |
MF |
6布部陽功|7久藤清一|8タレイ|10城後寿|14中村北斗|15中払大介|16久永辰徳|18鈴木惇|26本田真吾 |
FW |
9黒部光昭|11田中佑昌|19大久保哲哉|20ハーフナー・マイク|21大山恭平|24釘崎康臣|25グリフィス |
スタッフ |
監督リトバルスキー|ヘッドコーチクルーク|コーチ篠田善之|コーチ藤崎義孝|GKコーチ藤川孝幸|GKコーチ塚本秀樹|フィジカルコーチクレア|コンディショニングコーチ藤野英明|分析担当コーチ兼通訳志垣良 |
関連項目 |
前身|スタジアム|選手一覧 |