メリーナイス
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メリーナイス | |
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品種: | サラブレッド |
性別: | 牡 |
毛色: | 栗毛 |
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生誕: | 1984年3月22日(24歳) |
死没: | - |
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父: | コリムスキー |
母: | ツキメリー |
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生国: | 日本(北海道静内町) |
生産: | 前田透 |
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馬主: | 浦房子 |
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調教師: | 橋本輝雄(美浦) |
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競走成績 | |
生涯成績: | 14戦5勝 |
獲得賞金: | 2億0355万4900円 |
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メリーナイスは、日本の元競走馬、元種牡馬で現在は功労馬となっている馬である。父コリムスキーと母ツキメリーの間に生まれた四白流星の栗毛の牡馬で、第54回東京優駿(日本ダービー)、朝日杯3歳ステークスの優勝馬。1986年JRA賞最優秀3歳牡馬。主戦騎手は根本康広。
目次 |
[編集] 戦績
[編集] デビュー~東京優駿まで
1986年8月3日、函館競馬場でデビュー。均整の取れた馬体と、調教で見せる優れた瞬発力から注目され、1番人気に推され、これに応えて勝利する。続く2戦目コスモス賞はゴールドシチーの4着、3戦目りんどう賞はこの世代の一番馬と目されていたサクラロータリーにアタマ差の2着と敗れる。続くいちょう特別で2勝目を挙げると、GI朝日杯3歳ステークスに臨んだ。
頭ひとつ抜けた存在と見られたサクラロータリーが骨折で戦線を離脱していたため、レースは混戦模様となり評価が割れる中、メリーナイスは重賞2連勝でここに臨んだホクトヘリオスに続く2番人気に支持された。レースでは好位に取り付き、直線で力強く抜け出すと1馬身半差で快勝した。この勝利によって、メリーナイスは関西で阪神3歳ステークスを制したゴールドシチーと共に最優秀3歳牡馬に選ばれた。
明けて迎えた4歳シーズンは、スプリングステークスから始動する。しかしマティリアルの世紀の差し切り劇の前に見せ場なく9着に敗れ、続くクラシック初戦、皐月賞でも7着に敗れる。そして迎えた東京優駿では、皐月賞馬サクラスターオーの不在で同3着のマティリアルに人気が集中する中、4番人気に推された。
レースではマティリアルにマークされる形で中団を進んたが、4コーナーでらスルスルと先行集団に取り付くと、直線では逃げ粘るサニースワローをあっさりとかわしてそのまま差を広げ続け、最終的にサニースワローに6馬身差を付けて見事に勝利を収めた。この着差はダービーの着差としては史上4番目の大差で手綱を取った根本康広は「後続馬の足音が聞こえなかった」と語り、後にJRAが作成したメリーナイスのポスターで、『四白流星、六馬身』というキャッチコピーに使われるほどの圧勝だった。
[編集] その後
秋は菊花賞トライアルのセントライト記念から始動し、これを勝利。しかし本番の菊花賞では一番人気に支持されたが、骨折からぶっつけで参戦したサクラスターオーの激走の前に9着に敗れ、年末の有馬記念に至ってはスタートと同時に根本騎手を振り落としてしまい落馬競走中止となってしまう。
翌年緒戦の目黒記念こそ2着に粘りこむものの、天皇賞(春)では、クラシックの頃は一介の条件馬だった同期のタマモクロスの前に14着と大敗を喫する。捲土重来を期した函館記念では、1歳下の阪神3歳ステークス勝ち馬・サッカーボーイの日本レコード駆けに完敗するも、シリウスシンボリ、マックスビューティといったGI馬を抑えて2着となり意地を見せた。その後、秋の天皇賞に向けて調整が行われていたが、調教中に骨折。この函館記念を最後に現役引退した。
[編集] 引退後
引退後は、1989年からレックススタッドで種牡馬入りした。しかし重賞馬を2頭輩出したものの、1999年に後継馬を残せないまま種牡馬から引退した。
種牡馬引退後は長野県のスエトシ牧場で繋養されていたが、2007年11月27日に浦河町の渡辺牧場へ移動した。
[編集] 主な産駒
- マイネルリマーク(共同通信杯4歳ステークス)
- イイデライナー(京都4歳特別)
[編集] 備考
- メリーナイスがクラシック戦線を戦っている最中に、映画『優駿』が日本中央競馬会の肝煎りで制作されており、本馬は映画作中に登場する競走馬オラシオンのモデルとなっている。最初この映画には本物の東京優駿のシーンが使われる予定であった。しかし、映画の関係者は1番人気のマティリアルのあまりの前評判ゆえ、この馬が東京優駿に勝つものと信じきってカメラはマティリアルだけを追い、勝ったメリーナイスを撮影していないという、毎週馬券を買う競馬ファンからすればとても信じられない様なミスを犯してしまった。このため、後に別の馬で映像を作成して代用せざるを得なくなったと言うエピソードがある。
- なお、この映画でメリーナイスの仔役を「演じた」栗毛の馬には、流星の化粧を施してまで彼に似せて撮影をし、後にこの馬はマヤノオラシオンという馬名でデビューしたものの、良い成績は残せなかった、という後日談まである。
[編集] 外部リンク
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