ミノックス
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ミノックス(Minox GmbH, Wetzlar )とは、ドイツの光学機械メーカー、および同社の製造する小型カメラのブランド名。
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[編集] 歴史
1936年、ラトビアのリガに在ったVEF社(Valsts Electrotechniska Fabrika )でヴァルター・ツァップを中心とするチームによってミノックスI型が開発された。
まもなく第二次世界大戦が始まり、ラトビアが1940年にソビエト連邦に併合されるなどでミノックスも混乱の影響を受けた。戦後新生ミノックスはラトビア時代のかつてのVEFの責任者ビトルツ博士に権利金を支払ってミノックスの製造権を手に入れたが、破産した。このためリンー家の葉巻会社からの資金援助を仰いで再建を図り、製造拠点を西ドイツのギーセンに移転してカメラ生産を開始した。拠点はその後ヴェッツラーに移転している。
1974年に一般的な135フィルムを使用する24×36mm(ライカ)判のミノックス35シリーズが追加された。
1995年には光学機器メーカーであるライカの傘下に入ったが、2004年にはライカから再独立した。現在もレンズや露光計自動連動機構等の改良がなされたが、開発以来の基本機構を存続させたミノックス・カメラを製造し続けている。
[編集] ミノックスシリーズ
幅9.5mmのマガジン入りフィルムを使用し8×11mm判。金属製ライターを引き延ばしたような形状でわずか100mm強程度の大きさ、成人男性の掌に収まるほどの小型カメラである。小型化と高性能を両立させるため様々なアイデアが取り入れられ、一般の小型カメラに劣らない鮮明な写真が撮影でき接写も容易であるなど優れた性能を備え、「スパイ・カメラ」として世界的に知られるカメラとなった。
スライド羽根型のフォーカルプレーンシャッターは横走り金属製の露光スリットをもった先行枠をシャッター作動中とシャッターチャージの時に遮光を受け持つ後行枠が追尾し、シャッター動作中のみ同期して開く。シャッタースピードは遮光幕スライド形式の歯車不使用のスプリングとシャッター・アンクルによるガバナー制御で1/2秒から1/1000秒まで制御できる。
レンズの性能はきわめて優秀であり、大倍率の引き伸ばしに堪える。ただし拡大率が大きいためブレ、粒子、現像ムラ、埃等の影響は大きく、写りが悪いと誤解されていることもある。ビルトインフィルター、焦点調節に連動するパララックス補正のファインダーも特徴である。
巻き上げはボディーのプッシュプル操作によるもので、速写性に優れている。フィルム送り自動補正機能(USPTO.Reg.2218966)(Cf:ドイツ特許登録番号698952:1940年11月20日:Kl.57a)は、偏心カムを用いた画面間隔の一定給送システムである。巻き上げ軸の頂に変形歯車が固定されていてスプリングの力で押されているが、操作桿が左に動き変形歯車の腕に接する時から軸の左回転が始まり、ラックが歯車と噛み合い回転を続け、回転を終え軸の回転角の量だけドラムがフィルムを巻き取る。当初は撮影しなくてもプッシュプルすればフィルムが無駄送りされてしまったがC型で改善された。
最初期に製造されたシリアルナンバー3000番初期のものは12の歯を有する現在のマガジンサイズより僅かに小さい菊の花びら状の巻取軸給送機構を有していたが、すべり易いため三本爪の巻取軸に改良し、そのまま現行品に受け継がれている。
- ミノックスI型(1936年試作、1937年発売。リガモデル) - ミノックスの基本モデルであり、露光計は別売された。ゲルツ社から技術移転を受けた優秀な3群3枚ミノスティグマート(Minostigmat )15mmF3.5を固定装着する。回折による画質低下を抑えるため常時F3.5開放で使用し、光量不足条件下においても補助光なしに文献複写が可能であった。像面湾曲が大きくなるトリプレット型レンズの欠点を補正するため、収差に合わせてフィルム面を湾曲させる形状のフィルム圧板を使用した。この圧板は極めて高度の精密加工技術を要する。シャッター、フィルム給送機構、ファインダーパララックス補正機構等の基本機構は現行品と同一又は類似である。1940年8月以降はラトビアがソビエト連邦に併合されたため「Made in USSR」のモデルが存在した。連続番号08300~12000番が該当する。
- ミノックスII型(1949年発売) - ドイツに移りリガモデルを再生産した。ただしレンズは3群4枚テッサー型のコンプランとなり、内部機構も一部改良されている。なおフィルム安定目的で装着された第5レンズがフィルム面にすり傷を与えたり埃を付着させたりしたため、後期では外された。製造台数12,000。
- ミノックスIII型(1951年発売) - II型の改良モデル。製造台数12,000。
- ミノックスIIIs(A)型(1954年発売) - III型にシンクロ接点を加えた。露出計は付いていないため掌中に収まるほどで、このモデルまではプロトタイプのリガミノックスとほぼ同一の大きさである。B型の発売後、A型と呼称された。製造台数87,000。
- ミノックスB型(1958年発売) - セレン光電池発電方式の連動する露出計が内蔵されているがシャッタースピードとは連動しておらず、針を読み取りシャッター速度を手動で回転させて移し換える。セレン光電池の連動範囲が広く、使い易くなった。内蔵フィルターは4×(ごく初期のものは10×)のNDフィルターとグリーンのポートレート用のフィルター。フィルムの感度設定はシャッターダイヤルを1/100秒の位置にして引き出して、裏面の歯車を回転させISO/DIN感度にあわせる。製造台数385,000。
- ミノックスC型(1969年発売) - 電子シャッター組み込み。絞りは常にF3.5開放のため、その絞り値での絞り優先AEとなる。最長露光時間は10秒。レンズは最初期はコンプランだったが後に新設計の像面平坦型ミノックス・レンズを装着、ボディーのレンズ窓がひとまわり大きくなった。ボディーサイズは120mmでリガミノックスの83mm、B型の98mmに比較して長くなったが、これはそれまでの超小型ガバナーの代わりに電子シャッターのマグネットや電池などが入ったためである。このため、デザイン上の観点から上面のシャッター速度と距離のダイヤルにフィルム感度ダイヤルを加えた。またB型以前にあった、フィルムが無駄送りされる問題点が改善された。アメリカ人ソ連スパイ、ジョン・ウォーカーが使っていたことで知られる。製造台数174,000。
- ミノックスBL型(1972年発売) - 露出計の素子をCdS受光素子に換えたのが大きな改良点。C型が大きくなったため従来からのユーザーには不評で、その要望に応えたもの。上面は2ダイヤルに戻された。フィルムの無駄送り防止などはC型の機構を踏襲した。製造開始が第一次オイルショック後の不況期に当たったため各部コストダウンが進められたと言われる。たとえば、ダイヤルの文字はそれまで刻印されていたが、BL型の途中からプリントになっているため使用しているうちに消えてくる場合がある。製造台数18,000。
- ミノックスLX型(1978年発売) - 絞り優先式AEで電子シャッターを搭載。AEの場合シャッター速度は15秒~1/2000秒まで完全連動する。特に高速度シャッターは超小型カメラの大敵である手ぶれ防止に効果がある。電子回路もC型より一段と改良された。ボディー長108mm、90g。手ぶれ防止ランプと電池の電位の低下の警告ランプ・露出オーバー警告ランプが附された。製造台数35,000。
- ミノックスEC型(1981年発売) - F5.6固定焦点の自動露光連動の電子シャッター機。アマチュア写真愛好家向け。ミノックス初の低価格普及機であったが好評で、B型C型に次ぐ台数が製造された。製造台数145,000。
- ミノックスAX型(1992年発売) - LX型の外装で手動式。完全メカニカルシャッター機。高級志向のハイレベルのユーザー向けに限定販売された。製造台数1,222。
- ミノックスTLX型(1996年発売) - LX型の後継機。チタン仕上げ。電子シャッター回路を改良し耐久性の向上を図った。現行品。
- ミノックスMX型(1998年発売) - 日本のアクメルMDの改良型でAEシャッターを単速1/125秒とし、距離計機能はそのままの機構を有する普及機。現行品。
- ミノックスCLX型(1999年発売) - LX型をベースとし、ボディーは真鍮製でハードクロームメッキの、外装のみを高級化した改良機種。重量150g。現行品。
[編集] ミノックス35シリーズ
135フィルムを使用する24×36mm(ライカ)判カメラ。バルダのOEM製品。ボディーはプラスチック製で軽量。レンズは沈胴するため小型軽量である。
- ミノックス35EL(1974年発売) - ミノックスブランドで最初に発売されたライカ判カメラ。
- ミノックス35GT
- ミノックス35GL
- ミノックス35GT-X
- ミノックス35GT-E
- ミノックス35GT-Eニュー(1999年4月発売)