マイケル・キネーン
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マイケル・キネーン(Michael Kinane, 1959年6月22日 - )はアイルランドの騎手である。ティペラリー州出身。香港における名前の中文表記は「靳能」。
20年以上に渡りアイルランド、イギリス、フランスのクラシック競走で活躍し、2000ギニーは3度、エプソムダービーを2回、そしてアメリカ合衆国でもベルモントステークスに勝った世界を代表する名騎手のひとりである。1988年から2004年の間に12回アイルランドリーディングジョッキーになっている。
父トミー・キネーンは騎手で、1978年のチャンピオンハードルをモンクスフィールドで制したナショナルハント(イギリス・アイルランドの障害競走のこと)のリーディングジョッキーである。
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[編集] 略歴
1975年、アイルランドの調教師リアム・ブラウンに弟子入り。同年3月19日にレパーズタウン競馬場で初勝利。1978年にアイルランドの見習騎手チャンピオンとなる。
1982年にアイリッシュ2000ギニーを優勝しクラシック初制覇。1984年からはダーモット・ウェルド、1998年からはエイダン・オブライエン、2004年からはジョン・オックスと主戦騎手の契約を交わしており、他ジョン・マグナー、香港のデヴィッド・オートン厩舎とも関係が深い。ロンシャン競馬場やエプソム競馬場の大舞台を得意としている。
1999年エルコンドルパサーが凱旋門賞に出走した際にはモンジューで、2005年ゼンノロブロイがインターナショナルステークスに出走した際にはエレクトロキューショニストで、それぞれ海外遠征した日本馬を打ち負かしていることで知られる。そのためジャパン・キラーの異名を持つ。
近年は日本の競馬雑誌『サラブレ』において、日本のGI競走に関する評論を行っている。
2007年、12月19日に自身初となる日本中央競馬会の短期免許を12月22日と12月23日の2日間だけ取得したことが発表された。身元引き受けは堀宣行厩舎と吉田和美オーナーで、第52回有馬記念では堀厩舎所属で吉田オーナーの所有馬であるロックドゥカンブに騎乗した。同レースには初参戦であったが、結果は4着であった。
[編集] 主な勝鞍
[編集] アイルランド
- アイリッシュダービー - Galileo(2001年) High Chaparral(2002年)
- アイリッシュチャンピオンステークス - Carroll House(1989年) Cezanne(1994年) Pilsudski(1997年) Giant's Causeway(2000年) High Chaparral(2003年) Azamour(2004年)
[編集] イングランド
- ダービー - Commander in Chief(1993年) Galileo(2001年)
- キングジョージ - Belmez(1990年) King's Theatre(1994年) Montjeu(2000年) Galileo(2001年) Azamour(2005年)
[編集] フランス
- 凱旋門賞 - Carroll House(1989年) Montjeu(1999年)
- ムーランドロンシャン賞 - Rock of Gibraltar(2002年)
[編集] アメリカ
- ベルモントステークス - Go and Go(1990年)
- ブリーダーズカップターフ - High Chaparral(2002年、2003年連覇)
[編集] 日本
- ジャパンカップ - ピルサドスキー Pilsudski(1997年)
- 阪神3歳牝馬ステークス - ヤマカツスズラン(1999年)