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ヘンリー・クリントン - Wikipedia

ヘンリー・クリントン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ヘンリー・クリントン
ヘンリー・クリントン

ヘンリー・クリントン (英:Henry Clinton1738年4月16日 - 1795年12月23日バス勲章)は、イギリス軍人政治家である。クリントンを有名にしたのは、アメリカ独立戦争中にイギリス軍の北アメリカ総司令官を務めたことである。

目次

[編集] 生い立ち

クリントンは1738年ニューファンドランドで生まれた。ニューファンドランドは当時イギリスの植民地であり、父親のジョージ・クリントンが知事を務めていた。クリントンの少年時代の大半は、父親が1741年から1753年までニューヨークの知事を務めた関係でニューヨークで過ごした。成長するとニューヨーク民兵組織に入った。

1751年にイギリスに渡り、父親が購入してくれた階級でイギリス軍に入り、軍歴を積み始めた。最初はゴールドストリーム近衛兵の大尉であり、1758年には擲弾近衛兵の中佐となった。七年戦争の終盤にカール・ウィルヘルム・フェルディナンド公の副官(1760年 - 1762年)として頭角を現した。1762年には大佐となった。終戦後クリントンは一歩兵連隊の指揮官となった。1772年に少将となり、同じ年に従兄弟のニューカッスル公ヘンリー・キャベンディッシュの伝でイギリスの議会の席を手に入れた。最初はボロブリッジの、後にニューアーク・オン・トレント選出の代議員として、1784年まで務めた。[1]

[編集] アメリカ独立戦争

1775年3月、アメリカ独立戦争の勃発に対応して、イギリス王ジョージ3世はクリントンと僚友のウィリアム・ハウ将軍、およびジョン・バーゴイン将軍に部隊を付けてボストンのイギリス軍を増強するための軍隊を送った。イギリス軍は4月以降、包囲されていたが、6月17日バンカーヒルの戦いが起こり、クリントンも作戦の指揮に加わった。この戦いではボストン港の北の丘から大陸軍を追い出すことに成功したが、1,000名以上の被害をイギリス軍にもたらした。[2] 同じような事態がボストン港の南にあるドーチェスター高地に起こることを恐れたクリントンは、大陸軍に占拠される前にそこを抑えるよう強く主張したが、ハウによって却けられた。1776年1月、クリントンは小さな船隊と1,500名の将兵を連れて、カロライナでの戦略的な機会を探るために南に向かった。彼が留守中の3月、恐れていたことが現実となった。大陸軍はドーチェスター高地を占領し、要塞化してしまった。イギリス軍はノバスコシアハリファックスに撤退した。[3]

6月にクリントンはサウスカロライナチャールストン港にあるサリバン砦に対する攻撃を行った。これは屈辱的な失敗に終わり、カロライナ方面作戦は中止された。イギリス海軍との協働で行われたこの攻撃はクリントンがチャールストンの大陸軍を過小評価していたために失敗した。海軍の指揮官ピーター・パーカー卿はサリバン島のムールトリー砦にむなしい攻撃を行ったが、そこは予想以上に防御が厚く、逆にイギリス軍に損害を与えた。この戦いにはチャールズ・コーンウォリス将軍やホレーショ・ネルソンも参加した。[4][5]

クリントンと25隻の船隊はmハウ将軍の主力艦隊と合流し、8月のニューヨーク攻撃に加わった。クリントンはハドソン川を遡って攻撃を続ける提案をしたが、これもハウ将軍に却下された。イギリス軍がロングアイランドのグレーブセンドに陣を構えた後で、クリントンの提案に従ってロングアイランドの戦いで大きな勝利を納め、このことでクリントンは中将となり、バス勲章を授けられた。

12月にハウはクリントンに6,000名の兵士を付けてロードアイランドニューポートに送り、首尾良く占領させた。[6]

[編集] 総司令官

1778年5月、イギリス軍がサラトガ方面作戦で大敗を喫し、ハウに変わってクリントンが北米イギリス軍の総司令官となった。彼はフィラデルフィアで指揮を執ることにした。この時フランスがアメリカ側で参戦した。このため、イギリス本国からの要請で、クリントンの部隊から5,000名をカリブ海に派遣することになり、フィラデルフィアからの撤退を余儀なくされた。クリントンは巧妙な撤退を行いニューヨークに移動した。クリントンは部隊を集結させて、しばらくはニューヨーク近辺での小戦闘を続ける方針にした。1778年の暮れにクリントンの発案で南部遠征隊を派遣し、ジョージアを襲わせた。12月中にサバンナを落とし、1779年早くにはその後背地を支配した。[7]

このジョージア方面作戦は、イギリス軍がその威力を示せば直ぐにその地のこれまで潜伏していた王党派が支持してくれるもの考えられていた。南部はイギリス軍に対して友好的であるらしいという考えは、イギリス本国のアメリカ植民地担当大臣のジョージ・ジャーメインが言い出したものだった。ジャーメインは、ロンドンに亡命した王党派からの証言を得ていた。[8] 南部はその農産物の主要な輸出先であるイギリスからの独立に概して消極的であったが、イギリス軍が到着してみると期待したほどの歓迎の波は起こらなかった。クリントンと彼の部下達は孤立した。南部での戦争の残り期間、イギリス軍の指揮官は王党派の支持を集めようと務めたが、結果は期待したほどのものが得られなかった。[9]

1779年遅く、ニューポートの船隊を呼びつけたクリントンは、この戦略の次のステップ、すなはちサウスカロライナ侵攻に強力な部隊をあてた。クリントンは自らこの作戦の指揮を執り、その年の暮れにニューヨークから14,000名の部隊と共に南部に向かった。1780年早く、クリントンはチャールストンを包囲した。5月には海軍提督マリオット・アーバスノットと協働し、5,000名の兵士がいたチャールストン市を降伏させた。大陸軍側にとっては深刻な敗戦であった。チャールストンの包囲と占領の間、クリントンと同じ階級の士官と協力してやっていく能力にクリントンが欠けていることが明らかになってきた。アーバスノットとクリントンの間は決してうまくいっていなかった。この確執は戦争の終わりまで続き、イギリス高官の連帯に悲惨な結末をもたらすことになった。[10][11]

クリントンは、南部戦線で彼の副官であったチャールズ・コーンウォリス将軍に8,000名の兵を預け、ニューヨークに戻った。[12]クリントンはニューヨークから南部の方面作戦の監視を続けた。クリントンとコーンウォリスの間に交わされた書簡からは、クリントンの南部方面軍に対する関心の強さが分かる。[13]しかし、南部方面作戦が進展するにつれて、クリントンは彼の部下から遊離していった。方面作戦の終わり頃は、往復書簡の中身が辛辣なものに変わっていった。このことはジョージ・ジャーメインのせいでもある。ジャーメインはコーンウォリスに書簡を送り、上官の命令を無視しコーンウォリス自身が独立した指揮官と考えるようにし向けた可能性がある。[14]

1782年、クリントンは北アメリカイギリス軍総司令官の職を解任され、ガイ・カールトン卿が継いだ。この人事は、ジョージ・ワシントンロシャンボー伯爵が指揮した米仏連合軍によるヨークタウン包囲戦の結果、南部方面軍が降伏したことによっていた。クリントンはイギリスに戻った。

[編集] 評価

クリントンは4年の間アメリカ大陸で指揮を執り、惨敗という結果に終わった。彼の名前はイギリスによる植民地支配の終焉と永遠に結び付けられることになった。歴史家はコーンウォリスの方に非難を集めがちである。[15]クリントンは汚名を雪ぐために、戦争の体験談を出版した。クリントンに仕えたウェミス少佐が次のように書いている。クリントンは、「ドイツ流の栄誉あるまた尊敬すべき士官である。フェルディナント・フォン・プロイセンやブランズウィック公に仕えた。お世辞を言っても始まらないが、軍事ではなくあらゆる業績に対する強い嫌悪感から、しばしば副官やお気に入りの者によって誤った方向に導かれるものである。」 辛らつなチャールズ・スチュアート大佐は、「馬の指揮もできないでいるのに軍隊の指揮を執ろうとした愚か者」と評している。マッケジーは、「戦場では有能な将軍」と評した。ウェミスはクリントンの本当の弱さを指摘している「彼の興味の範囲は狭く、自己不信に陥っていた。政治的また管理的な問題が指揮官に集中する状態にあって、彼の副官達の貧弱さも手伝って引っ込み思案となり、アメリカの世論には心を閉ざし、王党派の価値を誇大に考えていた。彼は仲間として扱いにくい人間であり、嫉妬深く、短気で、好き嫌いがはっきりし、侮辱に敏感だった。1778年の初めに、彼の処遇についてハウに悪口を浴びせた。彼の指揮は提督たちとの絶え間ない喧嘩によって特徴付けられた。」[16]

[編集] その後の経歴

クリントンは1790年にイギリス議会に選出され、1793年10月には大将となった。翌年、ジブラルタルの総督に任命されたが、着任前にコーンウォルで亡くなった。

クリントンには2人の息子があり、ともに高位に昇った。将軍ウィリアム・ヘンリー・クリントン(1769 - 1846)と中将ヘンリー・クリントン(1771 - 1829)である。

[編集] 脚注

  1. ^ Willcox, (1964)
  2. ^ Bicheno, 2003
  3. ^ Willcox, (1964)
  4. ^ Willcox, 1963
  5. ^ Hibbert, 2001
  6. ^ Willcox,(1964)
  7. ^ Willcox (1964)
  8. ^ McEvedy, 1962
  9. ^ Hibbert, 2001
  10. ^ Harvey, 2001
  11. ^ Wyatt, F: “Sir Henry Clinton: a Psychological Exploration in History, William and Mary Quarterly, 3rd Ser. Vol. 16, No. 1, (January 1959), pp. 3-26. Wyatt argues that Clinton had mild neurosis and was unable to work with those whom he considered equal.
  12. ^ Borick. A Gallant Defense: The Siege of Charleston, 1780. (2003)
  13. ^ Cornwallis Papers, en:Public Records Office
  14. ^ Germain Papers, Clements Library, An Arbor. Germain Papers
  15. ^ Willcox,(1964)
  16. ^ Mackesy p 213

[編集] 参照文献

  • Borick, C: A Gallant Defense: The Siege of Charleston, 1780. (2003)
  • Bicheno, H: Rebels and Redcoats: The American Revolutionary War, London, 2003
  • Hyma, A : Sir Henry Clinton and the American Revolution. (1957)
  • Mackesy, P: War for America: 1775-1783. (1992), online edition
  • McCullough, D: 1776. Simon & Schuster. ISBN 0-7432-2671-2 (2005).
  • McEvedy, C: The Penguin Atlas of North American History to 1870. (1988). ISBN 0-14-051128-8.
  • Willcox, W: Portrait of a General. Sir Henry Clinton in the War of Independence. (1964)
  • Buchanan, J: The Road to Guilford Courthouse: The American Revolution and the Carolinas, New York, 1997
  • Clement, R: “The World Turned Upside down At the Surrender of Yorktown”, Journal of American Folklore, Vol. 92, No. 363 (Jan. - Mar., 1979), pp. 66-67
  • Ferling, J: The World Turned Upside Down: The American Victory in the War of Independence, London, 1988
  • Harvey, R:A Few Bloody Noses: The American War of Independence, London, 2001
  • Hibbert, C: Rebels and Redcoats: The American Revolution Through British Eyes, London, 2001
  • Peckham, H:The War for Independence, A Military History, Chicago, 1967
  • Weintraub, S: Iron Tears, Rebellion in America 1775-1783, London, 2005

[編集] 関連項目


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