大陸軍 (アメリカ)
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大陸軍(たいりくぐん、英:Continental Army)は、アメリカ独立戦争中にイギリス軍に対抗するために作られた、アメリカ13植民地の統一された命令系統を持つ軍隊である。大陸軍は1775年6月14日、大陸会議の決議に基づいて結成された。パリ講和条約が締結された後の1783年11月3日、ほとんどの大陸軍部隊が解散した。1784年6月3日の大陸会議の決議によって、アメリカ陸軍が結成されるまでの間、小さな地域軍隊が、ウエストポイントと幾つかの辺境前哨基地に残された。
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[編集] 結成、組織化、再編成
1775年6月7日、第二次大陸会議が開催され、植民地共通の防衛のために大陸軍を設立することを決議した。「12の連合した植民地」(この時点ではジョージアがまだ会議の代表を送っていなかった)として、大陸会議はマサチューセッツのケンブリッジに既に在った軍隊を大陸軍の最初の部隊に公認した。この時の軍隊はニューイングランド植民地の民兵から成っており、4月19日の戦争勃発以来ケンブリッジに駐屯して、ボストンを占領しているイギリス軍の包囲を続けていた。6月15日、大陸会議は全会一致でジョージ・ワシントンを最高司令官に選んだ。彼は必要経費を除いて無償でその役割を引き受けた。
4人の少将、アートマス・ウォード、チャールズ・リー、フィリップ・スカイラー、イズラエル・パットナムと8人の准将、セス・ポメロイ、リチャード・モントゴメリー、デイビッド・ウースター、ウィリアム・ヒース、ジョセフ・スペンサー、ジョン・トーマス、ジョン・サリバン、ナサニエル・グリーンが数日の内に指名された。ウォードとヒースはマサチューセッツ民兵の出であり、既にケンブリッジ駐屯軍に在籍していた。
大陸会議は独立した国家の立法府として徐々に責任を引き受け政策を出していたので、大陸軍の役割は相応の議論の対象となった。アメリカ植民地人の間には常備軍を維持することに一般的な嫌悪感があった。一方で、イギリスとの戦争には近代的な兵制の訓練と組織化を必要としていた。その結果、軍隊は幾つかの明白な段階を経て、部隊の解体と再編成によりその性格を与えられた。
大まかに言って、大陸軍は幾つかの連続的な変化を経ている。
- 1775年の大陸軍:元々のニューイングランド軍からなる。ワシントンが3旅団に組織化。シャイラー少将がカナダ侵攻作戦に10連隊を派遣。
- 1776年の大陸軍:1775年軍隊の兵士が兵役服務期間を終えた後に再編成されたもの。ワシントンが最高司令官を引き受けた直後に大陸会議に推奨した形態だが、大陸会議での検討と導入に時間を要していた。ニューイングランド全体に募兵を拡げる試みであったが、その構成や地理的な要因のために北東部に偏っていた。
- 1777年から1780年の大陸軍:イギリス軍が独立戦争に決着を付けようと大部隊を送ろうとしていることが明らかになった時の幾つかの大きな編成替えと政治的決断の結果。大陸会議はそれぞれの邦が人口に応じた軍への貢献を命じる88大隊決議を通し、ワシントンは新たに15の大隊を作ることを認められた。また、兵役服務期間がそれまでの1年から3年または「戦争が終わるまで」に延長され、年の瀬に起こっていた軍隊崩壊を避けられるようにした(戦争を終わらせる可能性のあった1776年暮れに、軍隊がほとんど崩壊状態になった)。
- 1781年から1782年の大陸軍:アメリカ植民地軍の大きな危機。大陸会議が破産状態になり、3年の服務期間が終わった兵士を再雇用できなくなった。一般大衆の戦争に対する支持が最低の時期にあたり、ワシントンがペンシルバニアとニュージャージーの防御線での反乱を鎮圧しなければならなかった。大陸会議は大陸軍の予算を削ろうとしたが、ワシントンは戦略的に重要な戦いで勝利を収めた。
- 1783年から1784年の大陸軍:今日まで続くアメリカ陸軍に受け継がれる時期。イギリスとの停戦が成立し、ほとんどの連隊が規律正しく解体された。
大陸軍の正規兵士の他に、個々の植民地(邦)によって組織化され予算も付けられた民兵組織があり、戦闘にも参加した。時には民兵の部隊が大陸軍と離れて行動することもあったが、多くは大陸軍が作戦を実行するときの支援や増援であった。民兵は撤退が早すぎるという評判があった。カウペンスの戦いではこのことを逆手に取ってうまく戦略に結びつけた。
兵士への給与、食料、防備、兵装、兵器やその他の装備に対する財政的な責任は、各邦にその調達ともども割り当てられた。各邦はこの義務を果たすやり方が異なっていた。戦争中は財政を保つことや兵士の士気を保つことが常に問題であった。
[編集] 戦闘能力
1775年6月、ボストン包囲戦中に大陸軍がケンブリッジで結成された時、およその戦力はニューイングランドの14,000名から16,000名と見られている。脱走などがあって実際の戦力は11,000名程度であった可能性もある。ワシントンの到着までは、アートマス・ウォードの指揮下にあり、ジョン・トーマスが副隊長、リチャード・グリドリーが砲兵隊長と技師長を兼ねていた。
ボストンのイギリス軍は援軍が到着してその数を増していた。その数は約10,000名であった。5月遅くにはウィリアム・ハウ、ヘンリー・クリントン、ジョン・バーゴインの3将軍が到着してトマス・ゲイジ将軍と合流し、反逆者達を追い払う計画を立て始めた。実戦経験のあるこれら将軍やイギリス海軍の数隻の戦列艦を指揮するサミュエル・グレイブス提督の存在に意を強くしたゲイジは、戒厳令を発して大陸軍とその支持者達を反逆者と決めつけ、憲法を犯す者として糾弾する宣言を行った。大陸軍や大陸会議への忠誠を放棄しイギリス側に付いた者には恩赦が提案されたが、大陸会議のサミュエル・アダムズやジョン・ハンコックの二人だけは大逆罪で指名手配されていた。この宣言は、大陸会議と大陸軍の決意をさらに強固なものにするために役だったに過ぎなかった。
1776年3月、大陸軍がボストンを見下ろす河内に大砲を運び上げたことで、イギリス軍がボストン市から撤退した後、大陸軍はニューヨークに移動した。それに続く5年間、大陸軍とイギリス軍は、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルバニアで作戦行動を続けた。これらの作戦行動には、トレントン、プリンストン、ブランディワイン、ジャーマンタウン、モーリスタウンなどの特筆すべき戦闘が含まれている。
大陸軍は常に乏しい兵站、不適切な訓練、短期間の兵役、邦間の摩擦、そして大陸会議の各邦に対する食料、金、物資を賄うように指導する力の不足に悩まされ続けた。当初、兵士の兵役服務期間は1年であり、多くは愛国主義に動機付けられていた。しかし、戦争が長引くにつれて、報奨金やその他の刺激策がより必要になった。戦争の後半には2つの大きな反乱が起こり、主力部隊のうちの2部隊の信頼性をひどく損なうことになった。また常に訓練不足の問題につきまとわれた。、
大陸軍は試行錯誤の末に、多くは人命を犠牲に、実効性と成功率を高めた。ワシントン将軍と他の傑出した士官達が結束を固めるための有益な指導者となり、戦争の8年間を通じて学び、適応し、規律を保っていった。1777年から1778年にかえての冬は、プロイセン出身のストイベン男爵が加わり大陸軍を訓練して大きくその能力が改善された(バレーフォージの冬として知られる)。ワシントンは軍隊を常に一時的な手段として見ており、軍隊の文民統制を心がけた。
戦争末期、大陸軍はフランスのロシャンボー将軍指揮下の遠征隊とフランス海軍のバラス提督指揮下の船隊によって補強され、1781年の晩夏には、主力部隊がバージニアに南下してフランスのグラス提督配下の西インド諸島艦隊と合流した。これがヨークタウン包囲戦につながり、チェサピーク湾の海戦での勝利とイギリス南部方面軍の降伏という結果を生んだ。これによってアメリカ大陸での戦いは終わりを告げ、2年後のパリ講和条約締結とその効力が有効となるまで、大陸軍はニューヨークのイギリス北部方面軍を封じ込めるためにニューヨーク近郷に戻って駐屯した。その後は大陸以外の場所で、イギリスとフランスおよびその同盟軍の間の戦いが続いた。
[編集] 主要な戦闘
- ボストン包囲戦
- ロングアイランドの戦い
- トレントンの戦い
- プリンストンの戦い
- ブランディワインの戦い
- ジャーマンタウンの戦い
- サラトガの戦い
- モンマスの戦い
- チャールストン包囲戦
- キャムデンの戦い
- キングスマウンテンの戦い
- カウペンスの戦い
- ギルフォード郡庁舎の戦い
- ヨークタウンの戦い
[編集] 大陸軍体系
- 正規軍:
- 本部大隊/第5野戦砲連隊
- 国防軍:
- コネチカット:
- 第102歩兵連隊;第2コネチカット民兵連隊
- 第192野戦砲連隊;第3、第4、第8、第9、第16、第20コネチカット民兵連隊
- デラウェア:
- 第198通信大隊;第1デラウェア連隊
- ジョージア
- 第118野戦砲連隊;ジョージア連隊
- メリーランド:
- 第175歩兵連隊;メリーランド戦列
- マサチューセッツ:
- 本部/第211憲兵大隊
- 第772憲兵中隊;第3連隊/ブリストル郡旅団
- 第101技術大隊;フライ連隊;第12、第14大陸連隊;第5マサチューセッツ連隊;リー追加大陸連隊;エセックス郡民兵旅団
- 第101野戦砲連隊;ヘンリー・ジャクソン追加大陸連隊;第16マサチューセッツ連隊
- 第104歩兵連隊;ダニエルソン連隊;フェロー連隊;ウッドブリッジ民兵連隊;ポーター連隊;第1、第4マサチューセッツ連隊;ハンプシャーおよびバークシャー民兵旅団
- 第181歩兵連隊;第3、第4、第5、第6、第7ミドルセックス連隊;第2、第6、第13マサチューセッツ連隊;第4、第7、第23大陸連隊
- 第182歩兵連隊;第13、第7マサチューセッツ連隊;第25大陸連隊
- ニューハンプシャー:
- 砲兵隊 C/第1大隊/第172野戦砲連隊;第2ニューハンプシャー連隊
- ニュージャージー:
- 砲兵隊 C/第3大隊/第112野戦砲連隊
- 第113歩兵連隊;第1ニュージャージー連隊
- ニューヨーク:
- 中隊A/第1大隊/第69歩兵連隊;第1ニューヨーク連隊
- 砲兵隊 A/第1大隊/第156野戦砲連隊
- ペンシルバニア:
- 中隊A/第1騎兵大隊/第104騎兵隊
- 第103技術大隊
- 第109野戦砲連隊;第24コネチカット民兵旅団
- 中隊C/第337技術大隊
- 第111歩兵連隊;フィラデルフィア民兵連隊
- ロードアイランド:
- 中隊A/第2大隊/第19ノースプロビデンス・レンジャーズ
- 第169憲兵中隊
- 砲兵隊C/第103野戦砲連隊
- サウスカロライナ:
- 中隊B/第202騎馬連隊
- 第263防空砲兵連隊
- バージニア:
- 第276技術大隊;第1バージニア連隊
- 第116歩兵連隊;第2、第8、第9バージニア連隊
- ウエストバージニア:
- 第150武装連隊
- 第201野戦砲連隊;メリーランド及びバージニア狙撃連隊