ブルックリン区
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ブルックリン区(Brooklyn)は、ニューヨーク市に置かれた行政上の5つの区(ブロンクス区、ブルックリン区、マンハッタン区、クイーンズ区、スタテンアイランド区)の1つ。オランダの都市ブルーケレンから名づけられた。
1898年に行われた区画整理までは、独立した市として存在していた。ブルックリンは5つの区の中で最も人口が多く、250万人の人々が居住している。ニューヨーク市の5つの区を独立した市として考えるならば、ブルックリンはロサンゼルス市、シカゴ市に続き全米で3番目に人口の多い市となる。
ブルックリン区は、キングス郡と全く同じ地域のことである。このキングス郡は、ニューヨーク州で最も人口の多い郡であり、アメリカでニューヨーク郡(マンハッタン区)に次ぎ、2番目に高い人口密度を誇っている。
ニューヨーク市の一部ではあるが、ブルックリンには独特な雰囲気が備わっている。比類なき文化的多様性を示し、最先端の音楽を発信し、地域が固い絆で結ばれ、19世紀の建造物が立ち並んでいる。
[編集] 地区
ブルックリン区には、地区分けがはっきりしており、それらの多くが、1600年代はじめのオランダ植民地時代に築かれた町や村に起源がある。
ダウンタウンブルックリン地区(通称ダウンタウン・旧市役所所在地)は、ニューヨーク市で、マンハッタン区のミッドタウン地区、ローワー・マンハッタン地区に次ぎ、3番目に大きなビジネス街である。数多くの商業施設、又キングズ郡の様々な裁判所施設、拘置所、区役所が立ち並び、近年では住居施設も増えてきている。
ブルックリン橋とプロスペクト公園に挟まれた北西部地域にある地区、ブルックリン・ハイツ地区、キャロル・ガーデン地区、コブル・ヒル地区、クリントン・ヒル地区、ダンボ地区、フォート・グリーン地区、ゴワナス地区、パーク・スロープ地区、プロスペクト・ハイツ地区、レッド・フック地区には、19世紀に建てられた煉瓦造りのタウンハウスや、ブ正面に赤褐色砂岩を配した住宅などが立ち並んでいるのが印象的である。これらの地区の中には、高級住宅化した地区や裕福な地区などが含まれており、駅が多く設置された地下鉄が走り、文化施設や高級飲食店が建ち並んでいる。
北部のイースト川沿いにはウイリアムズバーグ地区やグリーンポイント地区がある。長きに渡り、様々な文化が鮮やかに溶け合いながら、中流階級の地域が形作られてきた。1990年代以降、数多くのアーティストや流行に敏感な人々が、これらの地区に移り住んできている。2005年、ニューヨーク市は、ブルックリン臨海地区の拡張に伴う再編成を完了し、数多くの分譲マンションが建設されている。臨海地区の物価が上昇するにつれ、再開発の波が臨海地区から西へと移り変わり、地下鉄のLルートの沿線にあるブッシュウィック地区に注目が集まっている。もともとはブッシュウィック地区はサンセットパーク地区やコニーアイランド地区、サイプレスヒル地区同様ヒスパニック系の住民が多い。
ブルックリン中部/南部地区には、建築的・文化的に個性のある地区が多い。その中には、マンハッタン区のローワー・イースト・サイド地区などのアパートから階級上昇を果たした移民たちが移り住んできたために19世紀後半から20世紀前半に急激な成長を遂げた地区もある。ボロー・パーク地区、ミッドウッド地区、ウィリアムズバーグ地区、クラウンハイツ地区には正統派ユダヤ教徒が集まり、ベッドフォード・スタイベサント地区は、ニューヨーク市で最も有名なアフリカ系アメリカ人集住地区となっている。また、ベンソンハースト地区は、昔からイタリア系の住民が多い場所である。イースト・フラットブッシュ地区やフォート・グリーン地区は、中流階級のアフリカ系アメリカ人職業人たちが集まっている。ブライトン・ビーチ地区は、ロシア系アメリカ人やパキスタン系アメリカ人の居住区である。1990年以来、ブルックリンにやってくる移民の数が増えており、サンセット・パーク地区には、ヒスパニック系や中国系のコミュニティが花開いている。
[編集] その他
序々に廃れてきてはいるがブルックリンの労働階級は「ブルックリン訛り」または「ブルックリニーズ」という独特な英語を話す。実際は「ブルックリン訛り」とは言ってもニューヨーク5区全体及び隣接のニュージャージー州北部の労働階級でもよく聞かれる。
このブルックリン訛りは、主に、第二次世界大戦終了以前まで国語の教師にイギリス出身者を雇用していた影響と、ドイツから来たユダヤ系、アイルランド系、イタリア系の訛りや慣用表現、それに加えて最近では黒人系、ヒスパニック系の表現の影響もみられる。ブルックリン育ちのヨーロッパ系よりはかなり一般アメリカ英語に近いけれども、アジア系の間でも確認できる。基本的に人種を問わず公立の学校の生徒の間では幅広く聞かれる。
同区のコニーアイランド地区にあるネイザンズがホットドッグ発祥の地として知られる[要出典]。
1907年にヴィタグラフがミッドウッド地区のアヴェニューMにスタジオを構えたのが映画産業の始まり。後にワーナーブラザーズに売却されるが、1939年に現在のカリフォルニア州ロサンジェルス市ハリウッド地区に移動され現在の映画産業の元となる。
ブルックリンのいたるところで売っているポピュラーなストリートフードに、シンプルなチーズピザのスライス、ジャマイカンビーフパティー、ギリシャ・トルコ系のジャイロやシシカバブ、ホットドッグ、ヒーロー(他の町ではサブ等と呼ばれる)と呼ばれる長いパンにはさんだサンドイッチ、ユダヤ系のパストラミのサンドイッチ、中国系のフライドチキン等がある。
現在の大リーグ野球(MLB)のチームであるロサンゼルス・ドジャースは移転前現在のブルックリン区クラウンハイツ地区に「ブルックリン・ドジャース」として存在した。有名な選手にジャッキー・ロビンソンがいる。
世界最大のユダヤ人の町[要出典]としても知られ、世界中からさまざまな宗派及び無宗教のユダヤ人たちがあつまる。ブライトンビーチ地区に住むロシア系のほとんどがソビエト崩壊でキリスト教復活による差別を恐れたユダヤ人とされている[要出典](全米のロシア系移民の98%はユダヤ系)。旧市役所である現ブルックリン区役所には「市民のためのメノラ」があり、区長の手で毎年点灯される。
オランダ人とイギリス人が別々に開拓したために、東部と西部で街路の仕組みが異なる。西部ではマンハッタンと同じ方式で南北にアヴェニューが走り、東西にストリートが走るが、東部ではその逆で、南北にストリートが走り、東西にアヴェニューが走る。東部ではアヴェニューも数字ではなくアルファベット順となる。
一般にブルックリン訛りではマンハッタンを「ザ・シティー」と呼ぶ。古い世代ではマンハッタンに行く事を「ニューヨークに行く」と言う場合まである。
郡の区分で言うと「ブルックリン区=キングズ郡」だが、このキングズ郡とはイギリス王のチャールズ2世にちなんでつけられた郡名。ちなみに、隣のクイーンズはこのチャールズ2世の后のキャサリン王后にちなんでつけられた。
NY市内唯一多数のクリップスのセットが確認される。
有名なブルックリン出身のギャングにシカゴで組織を作ったアル・カポネとラスベガスのカジノ産業を始めたユダヤ系のバグジーがいる。
ニューヨーク市内で一番古いショッピングセンターのキングズプラザがある。
[編集] 外部リンク
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