ピーター・ドラッカー
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ピーター・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker、1909年11月19日-2005年11月11日)はオーストリア生まれの経営学者・社会学者。なお、著書『すでに起こった未来』(原題"The Ecological Vision")では、みずからを、生物環境を研究する自然生態学者とは異なり、人間によってつくられた人間環境に関心を持つ「社会生態学者」と規定している。ベニントン大学、ニューヨーク大学教授を経て、2003年まで、カリフォルニア州クレアモント大学院教授を歴任。「現代経営学」、あるいは「マネジメント」(management)の発明者と呼ばれる。
ドラッカーの著書の日本での売り上げはダイヤモンド社刊行分だけで累計400万部余り(ドラッカー博士を悼んで)。
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[編集] 思想
彼の著作には大きく分けて組織のマネジメントを取り上げたものと、社会や政治などを取り上げたものがある。本人によれば彼のもっとも基本的な関心は「人を幸福にすること」にあった。そのためには個人としての人間と、社会(組織)の中の人間のどちらかのアプローチをする必要があるが、ドラッカー自身が選択したのは後者だった。
ナチスの勃興を目撃し、古い19世紀的ヨーロッパ社会の原理が崩壊するのを目撃した彼はアメリカに赴く。そこで彼が目にしたのは20世紀の新しい社会原理として登場した組織、巨大企業だった。彼はその社会的使命を解明すべく、GMを題材にした著作に取り掛かる。その著作は組織運営のノウハウすなわちマネジメントの重要性をはじめて世に知らしめた。彼は「分権化」などの多くの重要な経営コンセプトを考案したが、その興味・関心は企業の世界にとどまることをしらず、社会一般の動向にまで及んだ。「民営化」や「知識労働者」は彼の造語で、後に世界中に広まる。特に非営利企業の経営には大きなエネルギーを費やした。
『産業人の未来』『わが軌跡』などによると、エドマンド・バークの保守思想の影響があるとされる。
[編集] 略歴
- 1909年 オーストリアのウィーンに生まれる。
- 1917年 両親の紹介で精神科医フロイトに会う。
- 1929年 ドイツフランクフルトの「フランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー」紙の記者になる。
- 1931年 フランクフルト大学にて法学博士号を取得。このころ、A・ヒトラーやゲッベルスをたびたびインタビュー
- 1933年 自ら発表した論文がヒトラー率いるナチスの怒りを買うことを確信し、イギリスのロンドンに移住。ケインズの講義を直接受ける。イギリスの投資銀行に勤める。
- 1937年 ドイツ人ドリス・シュミットと結婚。アメリカに移住。
- 1939年 処女作『経済人の終わり』を著す。
- 1942年 アメリカ政府の特別顧問に就任。
- 1950年 ニューヨーク大学教授
- 1959年 初来日。以降たびたび来日。日本画のコレクションを始める。
- 1966年 日本から勲三等瑞宝章を授与される。
- 1971年 クレアモント大学大学院教授。
- 1979年 自伝『傍観者の時代』を著す。
- 1982年 初めての小説『最後の四重奏』を著す。
- 2002年 アメリカ政府から、民間人への最高位の勲章である自由勲章を授与される。
- 2005年 カリフォルニア州クレアモントの自宅にて老衰のため死去。95歳没。
[編集] 著書
[編集] 単著
- 『経済人の終わり――新全体主義の研究』(東洋経済新報社, 1963年)1939年著作。ナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺や独ソ不可侵条約を予言。これに対して、当時のイギリス首相チャーチルが激賞。
- 『変貌する産業社会』(ダイヤモンド社, 1959年)
- 『明日のための思想』(ダイヤモンド社, 1960年)
- 『明日を経営するもの』(日本事務能率協会, 1960年)
- 『新しい社会と新しい経営』(ダイヤモンド社, 1961年)
- 『競争世界への挑戦――日本の経営に提言する』(日本事務能率協会, 1962年)
- 『経営とはなにか』(日本事務能率協会, 1964年)
- 『産業にたずさわる人の未来』(東洋経済新報社, 1964年)
- 『創造する経営者』(ダイヤモンド社, 1964年)
- 『現代の経営(上・下)』(ダイヤモンド社, 1965年)1954年著作。目標管理を提唱。マネジメント・ブームに火をつける。
- 『産業人の未来』(未來社, 1965年)1942年著作。この著書をきっかけに、ゼネラルモーターズ(GM)から会社組織の変革と再建を依頼され、大成功を収める。「改革の原理としての保守主義」という副題を付けられてダイヤモンド社から1998年に復刊。
- 『会社という概念』(東洋経済新報社, 1966年)1946年著作。「事業部制」など企業の組織戦略について分権化の概念を提唱。
- 『現代大企業論(上・下)』(未來社, 1966年)
- 『経営哲学』(日本経営出版会, 1966年)
- 『経営者の条件』(ダイヤモンド, 1966年)
- 『ドラッカー経営名言集』(ダイヤモンド社, 1967年)
- 『知識時代のイメージ――人間主体社会を考える』(ダイヤモンド社, 1969年)
- 『断絶の時代――来たるべき知識社会の構想』(ダイヤモンド社, 1969年)知識社会の到来、起業家の時代、経済のグローバル化などを予言。ドラッカーの数多くの著書の中でも最高傑作のひとつ。1980年代にイギリスのサッチャー政権が推し進めた民営化政策はこの著書が大きな動機を与えたといわれる。
- 『知識社会への対話』(日本事務能率協会, 1970年)
- 『マネジメント――課題・責任・実践』(ダイヤモンド社, 1974年)
- 『見えざる革命――来たるべき高齢化社会の衝撃』(ダイヤモンド社, 1976年)高齢化社会の行く末を暗示。『年金基金社会主義』なる造語が使われている。
- 『企業の革新』(ダイヤモンド社, 1978年)
- 『イノベーションと企業家精神――実践と原理』(ダイヤモンド社, 1985年)
- 『新しい現実――政府と政治、経済とビジネス、社会および世界観にいま何がおこっているか』(ダイヤモンド社, 1989年)
- 『非営利組織の経営――原理と実践』(ダイヤモンド社, 1991年)非営利(NPO)組織の台頭を予告。その衰退をふせぐ方策にも言及。
- 「未来企業―生き残る組織の条件」(ダイヤモンド社、1992年)
- 『ポスト資本主義社会――21世紀の組織と人間はどう変わるか』(ダイヤモンド社, 1993年)
- 『未来への決断――大転換期のサバイバル・マニュアル』(ダイヤモンド社, 1995年)
- 『明日を支配するもの――21世紀のマネジメント革命』(ダイヤモンド社, 1999年)
- 『プロフェッショナルの条件――いかに成果をあげ、成長するか』(ダイヤモンド社, 2000年)
- 『チェンジ・リーダーの条件――みずから変化をつくりだせ!』(ダイヤモンド社, 2000年)
- 『イノベーターの条件――社会の絆をいかに創造するか』(ダイヤモンド社, 2000年)
- 『ネクスト・ソサエティ――歴史が見たことのない未来がはじまる』(ダイヤモンド社, 2002年)
- 『実践する経営者――成果をあげる知恵と行動』(ダイヤモンド社, 2004年)
- 『企業とは何か――その社会的な使命』(ダイヤモンド社, 2005年)1946年著作『会社という概念』の新訳。
- 『テクノロジストの条件――はじめて読むドラッカー』(ダイヤモンド社, 2005年)
- 『ドラッカー20世紀を生きて――私の履歴書』(日本経済新聞社, 2005年)
- 『ドラッカー――365の金言』(ダイヤモンド社, 2005年)
- 『ドラッカーの遺言』(講談社, 2006年)
- 『ドラッカー わが軌跡』(ダイヤモンド社, 2006年)自伝『傍観者の時代』の新訳。ドラッカーが生涯知り合ったさまざまな人物とその人生およびその時代背景を丁寧に描いた作品。主な登場人物には、フロイトやGM中興の祖スローン、雑誌TIME Lifeの創刊者ヘンリー・ルースなどがいる。ドラッカーの時代に対する優れた洞察力と人物描写が光る秀作。
[編集] 編著
- 『今日なにをなすべきか――明日のビジネス・リーダー』(ダイヤモンド社, 1972年)
- 『非営利組織の「自己評価手法」――参加型マネジメントへのワークブック』(ダイヤモンド社, 1995年)
[編集] 共編著
- (G・J・スターン)『非営利組織の成果重視マネジメント――NPO・行政・公益法人のための「自己評価手法」』(ダイヤモンド社, 2000年)
[編集] 関連項目
- カール・ポランニー
- 自生植物群落……権限を移譲された労働力を表わすのにドラッカーが使った言葉
- リュンケウス……社会生態学者としての自分の役割を、この神話的人物に喩えた。その際『ファウスト 第二部』の「物見の役」についての彼の台詞が引用された。