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パターナリズム - Wikipedia

パターナリズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

パターナリズムpaternalism)とは、強い立場にあるものが、弱い立場にあるものに対して、後者の利益になるとして、その後者の意志に反してでも、その行動に介入・干渉することをいう。日本語では「父権主義」「温情主義」などと訳される。

社会生活のさまざまな局面において、こうした事例は観察されるが、とくに国家と個人の関係に即していうならば、パターナリズムとは、個人の利益を保護するためであるとして、国家個人の生活に干渉し、あるいは、その自由権利に制限を加えることを正当化する原理である。

目次

[編集] 概要

「パターナリズム」という用語自体の起源[1]については、16世紀には「父権的権威(Paternal authority)」という言葉がすでに存在し、それが19世紀後半に「パターナリズム(Paternalism)」という言葉になったという[2]。また、J.S.ミル『自由論』(1859年)の「侵害原理 harm principle」における議論には、今日のパターナリズム論に底通する論点が提示されている[3]

近年、この用語が英米の法哲学者・政治哲学者のあいだで注目を集めるようになったきっかけは、1950年代、成人間の同意の下での同性愛売春行為を刑事上の犯罪行為とみなすか否かをめぐって行われた「ハート=デヴリン論争」であった[4]

また、医療現場においても、1970年代初頭に、フリードソンが医者患者の権力関係を「パターナリズム」(医療父権主義、家父長的温情主義)として告発したことによって、パターナリズムが社会的問題として喚起されるようにもなった[5]。現在では「患者の利益か、患者の自己決定の自由か」をめぐる問題として議論され、医療現場ではインフォームド・コンセントを重視する環境が整いつつある[6]

[編集] パターナリズムの類別

パターナリズムの類型については、以下のような類型区分が提起されている[7]

[編集] 強いパターナリズムと弱いパターナリズム

この類別は、介入・干渉される者に判断能力、あるいは自己決定する能力があるかないかという点で区分される。強い(硬い hard )パターナリズムは、個人に十分な判断能力、自己決定能力があっても介入・干渉がおこなわれる場合をいう。他方、弱い(柔らかい soft )パターナリズムは、個人に十分な判断能力、自己決定能力がなくて介入・干渉がおこなわれる場合をいう。

成熟した判断能力をもつ個人への干渉や介入に反対する、反パターナリズムの論者も、子供や十分な判断能力のない大人への保護は必要であるとしている。そのように弱いパターナリズムを容認する場合でも、「個人の十分な判断能力、自己決定能力」の範囲をどのように見極めるのかといった点で、慎重な検討が必要となる[8]

[編集] 直接的パターナリズムと間接的パターナリズム

この類別は、パターナリスティックな介入・干渉を受ける者と、それによって保護される者とが同一であるか否かで区分される。

直接的パターナリズムは、オートバイ運転者のヘルメット装着義務のように、パターナリスティックにその義務を強制される者と、それによって保護される者が同一の場合である。他方、間接的パターナリズムは、クーリングオフ制度のように、保護されるのは一般の消費者だが、 パターナリスティックに規制を受けているのは販売業者であるように、両者が同一ではない場合をいう[9]

[編集] パターナリズムの典型例

[編集] 専門家と素人

専門知識において圧倒的な格差がある専門家と素人のあいだでは、パターナリスティックな介入・干渉が起こりやすい。たとえば、医師(専門家)から見れば、世話を焼かれる立場の患者(素人)は医療に関して無知蒙昧であり、自分で正しい判断を下すことが出来ない。その結果、医療行為に際しては、患者が医師より優位な立場には立てない[10]。そうした状況で患者の自己決定権をどのように確保していくかについては「インフォームド・コンセント」の項を参照(あわせて「尊厳死」の項も参照)。

[編集] 国家と国民

国家がいわば「親」として「子」である国民を保護する、という国家観にもパターナリスティックな干渉を正当化する傾向がみられる[11]。実際に施行されている事例としては、自動車運転者に対するシートベルトの装着義務化(道路交通法71条の3)、賭博禁止(刑法186条)などが挙げられる[12]。こうした立法措置以外にも、官公庁による行政指導や、市町村における窓口業務などにも同様の傾向がみられる[13]

[編集] 国際政治

かつての宗主国植民地の間には、『白人の責務』(キップリング)に代表される白人優位神話のもとで“「遅れた」現地住民を「善導」する”として、段階的に民主的制度を導入するといった植民地経営が実施されたりしていた[14]。また、今日の先進国開発途上国の関係にも同様のパターナリスティックな関係が見られる場合がある[要出典]

[編集] パターナリズム批判

国家と個人の関係については、国家が国民の生命や財産を保護する義務を負っているのは当然であるにせよ、少なくとも心身の成熟した成人に対する過剰な介入が、いわば「余計なお節介」であるとして批判が加えられている。

国民の自由である自己決定権を広く認めるのか、ある程度国家の介入を許容するのかという、根本的かつ巨視的な観点からの検討が必要である。

[編集] 脚注

  1. ^ パターナリズム paternarism の「パター pater」の語源は、父親 (father) を意味するラテン語からである(江崎一郎「パターナリズム - 概念の説明 - 」、加藤・加茂編、1998年、65頁)。模様規範を意味する英語の「パターン (pattern) 」とは無関係である。
  2. ^ 横山謙一「パターナリズムの政治理論」、澤登俊雄編著、ゆみる出版、1997年、166頁。
  3. ^ J.S.ミル(早坂忠訳)『自由論』(世界の名著38『ベンサム、J・S・ミル』)、中央公論社、1967年、224-225頁。
  4. ^ ハート=デヴリン論争については、Hart,H.L.A., Law, Liberty and Morality, Stanford University Prress,1963.および、井上茂「法による道徳の強制」、『法哲学研究』3、1972年有斐閣、を参照。
  5. ^ フリードソン、恒星社厚生閣1992年
  6. ^ 患者の自己決定とインフォームド・コンセントについては、上村貞美「患者の権利 - インフォームド・コンセントを中心に」、虫明満編 『人のいのちと法 - 生命倫理と法』、法律文化社1996年、58頁、を参照。
  7. ^ 以下のパターナリズムの類型については、花岡正明「パターナリズムとは何か」、澤登編、ゆみる出版、1997年、中村直美 「パターナリズムの概念」、『井上正治博士還暦祝賀論集・刑事法学の諸相』(上)、有斐閣、1981年、Kleinig,John, Paternalism, Manchester University Press, 1984, p.14.を参照。なお、クライニッヒの議論については、パターナリズム研究会「紹介 : J・クライニッヒ著『パターナリズム』」(1) - (4)、『國學院法学』25巻1号 - 4号、1987年-1988年、に詳しい。
  8. ^ 花岡、同上、34-35頁。
  9. ^ 花岡、同上、35-37頁。
  10. ^ 本田裕志「医療におけるパターナリズム」、篠崎・加茂編、世界思想社、1989年、を参照
  11. ^ パターナリズムに直接言及してはいないが、明治憲法体制下の日本で、天皇を「父親」とし、臣民を「子」とする国家観について、石田雄『明治政治思想史研究』、未来社1954年、および、同「家族国家観の構造と特質」、松本三之介編 『明治思想における伝統と近代』、東京大学出版会1996年、を参照。
  12. ^ ジェラルド・ドゥオーキンが挙げているパターナリズムの例のなかで、国家と国民に関係するものとして、オートバイ運転者にヘルメット着用を義務づける法律、自殺を犯罪とする法律、両者の同意を得ている決闘を禁止する法律、などがある(Gerald Dworkin, 'Paternalism' in Rolf E. Sartorius ed., Paternalism, University of Minnesota Press, 1983,p.20)。なお、ドゥオーキンのパターナリズムについての紹介は、中村直美「ジェラルド・ドゥオーキンのパターナリズム論」、『熊本法学』32号、1982年、を参照。
  13. ^ 直接パターナリズムに言及してはいないが、市町村などの行政機関の窓口で、クライアント(行政サービスの受け手)に対して「善意の支配」を及ぼす「第一線職員」の動態について分析した研究として、畠山弘文 『官僚制支配の日常構造 善意による支配とは何か』、三一書房1989年 ISBN 4380892131
  14. ^ これについて直接パターナリズムに言及する研究はみあたらないが、一例として、20世紀初頭のオランダ領東インド(現在のインドネシア)で、宗主国オランダは、現地住民に初等教育の機会を与え、また下級官吏や医師を養成するための専門教育機関の設置した。また、1918年には現地住民の代表を含む植民地議会 (Volksraad) を開設した。これらの諸政策は現地住民の自治能力の育成と、本国から現地政府への権限委譲を目的としていた。これらは「オランダ=白人=キリスト教徒=文明の光が、東インド=有色人=非キリスト教徒=野蛮の闇をはらい、蒙を啓き、文明に導くのだ」との発想に基づいていた(早瀬晋三・深見純生「近代植民地の展開と日本の占領」、池端雪浦編 『東南アジア史Ⅱ 島嶼部』、山川出版社<新版 世界各国史6>、1999年、283頁)。

[編集] 関連項目

[編集] 関連文献

  • 山田卓生 『私事と自己決定』、日本評論社、1987年 ISBN 4535576742
  • 篠崎智・加茂直樹編『生命倫理の現在』、世界思想社、1989年 ISBN 4790703533
  • フリードソン、エリオット(進藤雄三・宝月誠訳)『医療と専門家支配』、恒星社厚生閣、1992年 ISBN 4769907354(原著は、Eliot Friedson, Professional Dominance : The Social Structure of Medical Care, Atherton Press, 1970)
  • 澤登俊雄編訳『現代社会とパターナリズム』、ゆみる出版、1997年 ISBN 4946509089
  • 加藤尚武・加茂直樹編 『生命倫理学を学ぶ人のために』、世界思想社、1998年 ISBN 4790706907

[編集] 外部リンク


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