バート・ブライレブン
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バート・ブライレブン Bert Blyleven |
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基本情報 | |
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国籍 | オランダ |
出身地 | オランダ |
生年月日 | 1951年4月6日(57歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5cm 207 lb =約93.9kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1969年 ドラフト3巡目 |
初出場 | 1970年6月5日 |
最終出場 | 1992年10月4日 |
経歴 | |
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■Template ■ウィキプロジェクト 野球選手 |
バート・ブライレブン(Rik Aalbert "Bert" Blyleven , 1951年4月6日 - )はアメリカ・メジャーリーグで活躍した投手。右投右打。 オランダ出身。「カーブボールの芸術家」とも言われた、絶妙なカーブの使い手として知られる。
目次 |
[編集] 人物・来歴
オランダで生まれたが、カリフォルニア州南部で育つ。ロサンゼルス・ドジャースのファンで、アメリカ野球殿堂入りの大左腕、サンディー・コーファックスの投げる試合をよく観戦していた。1969年のドラフト会議でミネソタ・ツインズから指名され、入団。一年足らずのマイナーキャリアを経て、1970年6月2日にメジャーに昇格し、6月5日に初登板。この年10勝をあげてチームの地区優勝に貢献し、スポーティング・ニュース社の選ぶア・リーグ最優秀新人投手に選出された。翌年以後も16勝、17勝、20勝、17勝、15勝と活躍。この頃が成績的には絶頂期だが、当時はファンやマスコミとの関係もいまひとつで、決して恵まれた時期ではなかったという。
1976年6月1日にテキサス・レンジャーズに移籍。ファンには大きな声援で迎えられ、この年はツインズ時代とあわせて13勝。1977年9月22日のカリフォルニア・エンゼルス戦ではノーヒッターを達成し、14勝をあげた。シーズン終盤に鼠径部損傷の故障を発症すると、その年の12月8日に、史上初の四球団が絡むトレード[1]でピッツバーグ・パイレーツに移籍。1978年には14勝をあげ、1979年には12勝をあげて、チームのワールドシリーズ制覇に貢献。しかし、チームに不安を持って1980年途中に移籍を希望し、かなわなければ引退すると発言。
その年12月9日にクリーブランド・インディアンスに移籍。ストライキでシーズンが短縮された1981年にも11勝をあげるが、1982年は肘の故障で4試合の登板に終わる。1983年もその影響で苦しいシーズンを送るが、1984年には19勝7敗と、自己2番目に多い勝ち星を記録。1985年シーズン途中に、古巣ツインズに9シーズンぶりに復帰すると、今度は大きな声援に迎えられた。その年は両球団合計で17勝(16敗)をあげ、奪三振206はリーグ1位であった。1982年に誕生したツインズの本拠地メトロドームは、打者に有利な球場で、そのため球速の衰えたブライレブンには厳しく、1986年には17勝14敗をあげる間に、50本のホームランを喫した。そして1987年、15勝12敗の活躍でチームを地区優勝、リーグ優勝に導き、自身2度目のワールドシリーズに出場。第2戦では勝利投手となる。第5戦ではカージナルスが、シリーズでは1907年以来となる5盗塁を記録し、ブライレブンは敗戦投手となるが、2勝3敗と追い込まれたチームは本拠地での第6戦、第7戦に連勝して、「Home Sweet Dome」でのワールドチャンピオンを決めた。
1988年は被本塁打こそ21だが、防御率5.43と乱調で、10勝17敗に終わり、この年限りでカリフォルニア・エンゼルスに移籍。 初年度の1989年には17勝5敗、防御率2.73と活躍し、カムバック賞を受賞するが、1990年は8勝7敗。回旋筋を痛めた1991年は1シーズン登板がなく、1992年に復帰するが8勝12敗に終わる。あと13勝に迫った通算300勝に意欲を持ち、42歳で1993年のスプリング・トレーニング[2]で古巣ツインズのトライアウト(テスト)を受けるが契約には至らず、現役引退を発表した。
引退後はツインズ専属のコメンテーター(解説者)を務める。通算287勝250敗、防御率3.31、奪三振3,701と、殿堂入りに相応しい成績を残している。1998年に野球殿堂入りの投票(全米記者協会による投票)を受ける資格を得たが、2007年現在、最高でも53.3%の得票にとどまっている。[3]今後、得票率が5%を切らない限り2012年まで投票資格が残るが、殿堂入りを果たせるかどうか少し微妙なところである。3,000奪三振は、2007年終了時点で15人しか達成者がおらず、ブライレブン以外の選手は、現役(ロジャー・クレメンス、ランディ・ジョンソン、グレッグ・マダックス、カート・シリング、ペドロ・マルティネス)以外は全員殿堂入りを果たしている。
[編集] 受賞歴・記録
[編集] 年度別成績
年 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 防御 率 |
登板 | 先発 | 完投 | 完封 | セーブ | 投球 回 |
被安 打 |
失点 | 自責 点 |
被本 塁打 |
与死 球 |
与四 球 |
奪三 振 |
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1970年 | MIN | 10 | 9 | 3.18 | 27 | 25 | 5 | 1 | 0 | 164.0 | 143 | 66 | 58 | 17 | 2 | 47 | 135 |
1971年 | MIN | 16 | 15 | 2.81 | 38 | 38 | 17 | 5 | 0 | 278.1 | 267 | 95 | 87 | 21 | 5 | 59 | 224 |
1972年 | MIN | 17 | 17 | 2.73 | 39 | 38 | 11 | 3 | 0 | 287.1 | 247 | 93 | 87 | 22 | 10 | 69 | 228 |
1973年 | MIN | 20 | 17 | 2.52 | 40 | 40 | 25 | 9 | 0 | 325.0 | 296 | 109 | 91 | 16 | 9 | 67 | 258 |
1974年 | MIN | 17 | 17 | 2.66 | 37 | 37 | 19 | 3 | 0 | 281.0 | 244 | 99 | 83 | 14 | 9 | 77 | 249 |
1975年 | MIN | 15 | 10 | 3.00 | 35 | 35 | 20 | 3 | 0 | 275.2 | 219 | 104 | 92 | 24 | 4 | 84 | 233 |
1976年 | MIN / TEX | 13 | 16 | 2.87 | 36 | 36 | 18 | 6 | 0 | 297.2 | 284 | 106 | 95 | 14 | 12 | 81 | 219 |
1977年 | TEX | 14 | 12 | 2.72 | 30 | 30 | 15 | 5 | 0 | 234.2 | 181 | 81 | 71 | 20 | 7 | 69 | 182 |
1978年 | PIT | 14 | 10 | 3.03 | 34 | 34 | 11 | 4 | 0 | 243.2 | 217 | 94 | 82 | 17 | 6 | 66 | 182 |
1979年 | PIT | 12 | 5 | 3.60 | 37 | 37 | 4 | 0 | 0 | 237.1 | 238 | 102 | 95 | 21 | 6 | 92 | 172 |
1980年 | PIT | 8 | 13 | 3.82 | 34 | 32 | 5 | 2 | 0 | 216.2 | 219 | 102 | 92 | 20 | 0 | 59 | 168 |
1981年 | CLE | 11 | 7 | 2.88 | 20 | 20 | 9 | 1 | 0 | 159.1 | 145 | 52 | 51 | 9 | 5 | 40 | 107 |
1982年 | CLE | 2 | 2 | 4.87 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 20.1 | 16 | 14 | 11 | 2 | 0 | 11 | 19 |
1983年 | CLE | 7 | 10 | 3.91 | 24 | 24 | 5 | 0 | 0 | 156.1 | 160 | 74 | 68 | 8 | 10 | 44 | 123 |
1984年 | CLE | 19 | 7 | 2.87 | 33 | 32 | 12 | 4 | 0 | 245.0 | 204 | 86 | 78 | 19 | 6 | 74 | 170 |
1985年 | CLE / MIN | 17 | 16 | 3.16 | 37 | 37 | 24 | 5 | 0 | 293.2 | 264 | 121 | 103 | 23 | 9 | 75 | 206 |
1986年 | MIN | 17 | 14 | 4.01 | 36 | 36 | 16 | 3 | 0 | 271.2 | 262 | 134 | 121 | 50 | 10 | 58 | 215 |
1987年 | MIN | 15 | 12 | 4.01 | 37 | 37 | 8 | 1 | 0 | 267.0 | 249 | 132 | 129 | 46 | 9 | 101 | 196 |
1988年 | MIN | 10 | 17 | 5.43 | 33 | 33 | 7 | 0 | 0 | 207.1 | 240 | 128 | 125 | 21 | 16 | 51 | 145 |
1989年 | CAL | 17 | 5 | 2.73 | 33 | 33 | 8 | 5 | 0 | 241.0 | 225 | 76 | 73 | 14 | 8 | 44 | 131 |
1990年 | CAL | 8 | 7 | 5.24 | 23 | 23 | 2 | 0 | 0 | 134.0 | 163 | 85 | 78 | 15 | 7 | 25 | 69 |
1992年 | CAL | 8 | 12 | 4.74 | 25 | 24 | 1 | 0 | 0 | 133.0 | 150 | 76 | 70 | 17 | 5 | 29 | 70 |
通算 | 22年 | 287 | 250 | 3.31 | 692 | 685 | 242 | 60 | 0 | 4970.0 | 4632 | 2029 | 1830 | 430 | 155 | 1322 | 3701 |
※太字はリーグ最多。
[編集] エピソード
- パイレーツ時代、ボブ・ホーナー(当時ブレーブス、のちヤクルト)にメジャー初本塁打を打たれた。
- ジェイ・ベルには、メジャー初打席で、初球を本塁打とされた。
- ダグアウトでの悪戯で知られ、時折チームメイトのスパイクの紐に火をつける「Hot-foot」といういたずらを行う。これによって、「Flying Dutchman(飛ぶオランダ人、20世紀初頭の名遊撃手ホーナス・ワグナーのニックネーム)」ならぬ「Frying Dutchman(揚げるオランダ人)」というあだ名をつけられた。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、The Baseball Cube
先代: マーク・ラングストン |
ア・リーグ最多奪三振 1985年 |
次代: マーク・ラングストン |
先代: ストーム・デイヴィス |
ア・リーグカムバック賞 1989年 |
次代: デーブ・ウィンフィールド |
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3 フィル・ガーナー / 5 ビル・マドロック / 6 レニー・ステネット / 8 ウィリー・スタージェル / 10 ティム・フォーリ / 14 エド・オット / 15 エンリケ・ロモ / 16 スティーヴ・ニコシア / 17 リー・レイシー / 18 オマール・モレノ / 19 ジム・ルッカー / 22 バート・ブライレブン / 23 グラント・ジャクソン / 24 マイク・イースラー / 25 ブルース・カイソン / 26 ジム・ビビー / 27 ケント・テカルヴ / 28 ビル・ロビンソン / 34 ジョン・ミルナー / 35 マニー・サンギーエン / 36 マット・アレクサンダー / 39 デーブ・パーカー / 43 ドン・ロビンソン / 45 ジョン・キャンデラリア 監督 チャック・タナー |
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4 スティーブ・ロンバードッジ / 5 ロイ・スモーリー / 7 グレッグ・ギャグニー / 8 ゲイリー・ガイエティ / 9 ジーン・ラーキン / 14 ケント・ハーベック / 15 ティム・ロードナー / 16 フランク・バイオーラ / 17 レス・ストレーカー / 18 ドン・ベイラー / 21 ジョージ・フレージャー / 22 キース・アサートン / 24 トム・ブルナンスキー / 25 ランディ・ブッシュ / 26 アル・ニューマン / 27 マーク・デビッドソン / 28 バート・ブライレブン / 31 ダン・シャッツェダー / 32 ダン・グラッデン / 33 サル・ブテラ / 34 カービー・パケット / 36 ジョー・ニークロ / 40 ホワン・ベレンゲール / 41 ジェフ・リアドン 監督 トム・ケリー |
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