バリー・ゴールドウォーター
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バリー・モリス・ゴールドウォーター(Barry Morris Goldwater,1909年1月1日 - 1998年5月29日)はアメリカの政治家。連邦上院議員(アリゾナ州選出、1953年-1965年,1969年-1987年)。1964年の共和党大統領候補。
1909年、当時未だ準州であったアリゾナのフェニックスで生まれる。彼の父親は元来ユダヤ教徒であったが、結婚を機に監督派(米国聖公会)に改宗する。1928年、ゴールドウォーターはアリゾナ大学を中退し、家業のデパート経営を引き継いだ。
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[編集] 初期の経歴
ゴールドウォーターは民主党の改革派としてスタートした。後に共和党に鞍替えし、1952年の上院議員選挙に立候補した。対立候補は、当時民主党上院院内総務であったアーネスト・マクファーランドであった。ゴールドウォーターはマクファーランドを破って当選し、1958年に再選された。上院でゴールドウォーターは共和党内の急進派とみられた。彼はアイゼンハウアー政権の政策の一部が、民主党の政策と類似したニューディール路線を踏襲するものだとして批判した。加えてジョセフ・マッカーシー上院議員と親しい議員の1人として知られ、マッカーシーの譴責決議案に反対した。一方でジョン・F・ケネディ上院議員の親しい友人でもあり、ケネディは大統領となった後も、ゴールドウォーターとしばしば面会した。(ちなみに、ケネディ兄弟、とりわけロバート・ケネディは、同じアイルランド系であることもあって、マッカーシーと親しかったといわれている。)ゴールドウォーターはケネディのあとを継いだジョンソン大統領とは犬猿の仲で、ジョンソンの主要な政敵と看做されてきた。
[編集] 1964年の大統領選挙
ゴールドウォーターはネルソン・ロックフェラーニューヨーク州知事との熾烈な指名争いを勝ち抜き、1964年大統領選挙における共和党の大統領候補に指名された。ゴールドウォーターは、ロックフェラーに代表される共和党の主流派及び穏健派が、実際には民主党の政策と類似した、ニューディール路線を踏襲した政策を実行してきたに過ぎず、共和党の独自色を打ち出していないと批判した。そこで、彼は共和党の本来の主張、「小さな政府」、政府の市場経済への介入の限定化、強硬な反共路線、反共主義に基づくNATO加盟国との協調、NATOの強化、ヴェトナムにおけるドラスティックな解決、を直截な言葉で訴え、国民の前に従来より明確な選択肢を提示した。こうした姿勢から、彼は現代アメリカにおける保守主義運動の先導者と看做されることが多い。同時に1964年の公民権法に反対し、同法に対する不満を抱く南部の白人層を取り込み、共和党の南部への進出を図った。実際彼は選挙戦で極右とのレッテルを貼られ、特にヴェトナムにおいて核兵器の使用も視野に入るとした彼の発言は、彼が大統領に当選すれば核戦争が勃発するとのジョンソン政権のネガティヴ・キャンペーンに利用されてしまった。しかし、公民権法を巡る問題以外での彼とロックフェラーら穏健派との相違点は当時言われたほど大きなものではなく、同じ原理原則に基づいていた。ゴールドウォーターがより急進的、ロックフェラーがより慎重かつ穏健というだけの話であった。1975年に蒋介石が死去した際、当時副大統領だったロックフェラーとゴールドウォーターは葬儀に向かうため同じ飛行機に乗り合わせた。その際ゴールドウォーターとロックフェラーは、実に多くの問題で両者の見解が一致することに気づいた。
しかし、彼が極右と看做され、良心的な有権者の離反を招いた最大の原因は、1964年の公民権法に対する彼の態度であった。彼は共和党員の大半がこれに賛成したにもかかわらず反対した。このことは彼が人種差別主義者であるというイメージを生み出し、ジョンソン政権はうまくこれを利用した。最も甚だしいのは、KKKとゴールドウォーターを結びつけたキャンペーンである。しかし、ゴールドウォーターは決して人種差別主義者ではなく、むしろ人種差別に強く反対した。その証拠に彼は、アリゾナ州におけるNAACP(全米有色人種地位向上協会)の設立者の一人であり、1950年代から60年代にかけては上院で最も公民権問題、人種差別撤廃に熱心な議員の一人と看做されていた。にもかかわらず、彼が同法に反対したのは、この法案が連邦政府による州の権利の制限を必要以上に認めすぎているという、州の権利を尊重すべきとの信念に基づいた理由があってのことだった。この点でゴールドウォーターは彼を支持した人種差別的な南部の政治家とは異なっていた。
大統領選挙において、ゴールドウォーターは歴史的大敗を喫したが、ディープ・サウスで勝利し、同地域における共和党の勢力伸長の端緒を開いた。
[編集] 大統領選以後
ゴールドウォーターは、現代アメリカの保守主義運動の象徴にまつりあげられ、その流れはロナルド・レーガンに引き継がれた。さらに、経済的自由を強調し、政府の個人の問題に対する介入に強く反対する姿勢から、彼はリバタリアンの先駆者とも看做されている。またこれ以後、リチャード・ニクソンやロナルド・レーガンといった政治家は、伝統的価値観の尊重を従来より強く打ち出し、白人層全般にアピールした。これにより、共和党は人種差別主義的傾向に陥ることなく、保守的白人層の多い南部に進出することができた。
一方レーガン政権が誕生すると、政権を支える一つの有力勢力として宗教右派などの社会的保守主義者が台頭した。ゴールドウォーターはこれらの新しい右派勢力に強い反発を示した。
上院では情報委員長(1981年 - 1985年)、軍事委員長(1985年 - 1987年)を歴任した。1986年には文民としては最高の栄誉である、大統領自由勲章を授けられた。
ジョン・マケイン上院議員はゴールドウォーター引退後の議席を引き継ぎ、ゴールドウォーターの後継者を自認している。
[編集] 関連項目
- 1964年アメリカ合衆国大統領選挙
- [1] ゴールドウォーターの1964年共和党大会における演説。アメリカ史に残る100の演説の一つ(64位)に選ばれている。
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