ニューディール政策
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ニューディール政策(−せいさく、New Deal)は、アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトが世界恐慌を克服するために行った一連の経済政策。新規まき直し政策とも[1]。それまでアメリカの歴代政権が取っていた古典的な自由主義的経済政策(政府は市場には介入せず、経済政策も最低限なものにとどめる)から、政府がある程度経済へ関与する社会民主主義的な政策へと転換したものであり、第二次世界大戦後の資本主義国の経済政策に大きな影響を与えた。世界で始めてケインズの理論を取り入れたと言われる。
1933年にアメリカの失業率は25%に達していたといわれている。
ルーズベルトは1933年3月4日に大統領に就任すると、議会に働きかけて矢継ぎ早に景気回復や雇用確保の新政策を審議させ、最初の100日間でこれらを制定させた[2]:
- 緊急銀行救済法
- TVA(テネシー川流域開発公社)などの公共事業。
- CCC(民間資源保存団)による大規模雇用。
- NIRA(全国産業復興法)による労働時間の短縮や最低賃金の確保。
- AAA(農業調整法)による生産量の調整。
これによってアメリカは景気回復を図り、1930年代中ごろには回復の兆しが現れたが、いち早く均衡財政へ回帰しようとする動きから、政策後退が起きたために1930年代後半には危機的な状況へ陥り、また政策のいくつかが最高裁で違憲判決が出た。以後、本格的な景気の回復は第二次世界大戦による軍需の増加を待たねばならなかった。実際、1941年の第二次世界大戦参戦以降は軍需の増大によってアメリカ経済は回復した。このため、ニューディール政策が成功したのかどうかについては賛否両論が有る。
近年では太平洋戦争が無くても成功したのではないかという意見と、最初から太平洋戦争の開戦が無ければ成功しえない政策であったという意見が対立し、議論の対象になっている。
[編集] 注釈
- ^ Deal はそれ自体が「政策」を意味する語なので、“New Deal” を「ニューディール政策」と訳すのは実は重複である。
- ^ これ以降、新大統領が「最初の100日間で何をするか」というのが大統領選挙における最も重要な公約となる。