ノーフォーク島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
|
|||||
公用語 | 英語、ノーフォーク語 | ||||
主都 | キングストン | ||||
女王 | エリザベス2世 | ||||
総督 | グラント・タンブリング(Grant Tambling) | ||||
領土議会議長兼首席大臣 | ジオフリー・ロバート・ガードナー(Geoffrey Robert Gardner) | ||||
面積 - 総計 - 水面積率 |
34.6km² 極僅か |
||||
人口 - 総計(2004年) |
1,841人 |
||||
通貨 | オーストラリア・ドル | ||||
時間帯 | UTC+11:30 | ||||
ccTLD | .nf | ||||
国際電話番号 | + |
ノーフォーク島(Norfolk Island)とは太平洋にあるオーストラリア領の島。オーストラリアの東、南緯29度02分、東経167度57分に位置する。面積34.6 km²、人口1,841人(2004年)。主都はキングストン。
目次 |
[編集] 歴史
1774年、ジェームズ・クックが発見し、ノーフォーク公爵の名に因んでノーフォーク島と命名した。クックが上陸した時、島は無人島だったが、1788年にポートジャクソンから囚人が移送され、オーストラリアのシドニーと共にイギリスの流刑殖民地となった。しかし港湾施設の不備、高いコスト、オーストラリア本土から遠いと言う悪条件のため、島の流刑は1813年に一時閉封された。1825年に再開され1856年までに流刑地として存続し続けた。オーストラリアが流刑地でなくなるに従いノーフォーク島も流刑地でなくなり、1856年にバウンティ号の反乱者の子孫194人がピトケアン島から移り住み、それ以来ピトケアン島民がノーフォーク島の主要な定住者となった。オーストラリア本土から島への移民は第二次世界大戦後に増加した。1913年にニューサウスウェールズ州に代わってオーストラリア連邦政府が管理する特別地域になり、1979年にはノーフォーク島法により立法評議会が設立された。
[編集] 政治
ノーフォーク島法により立法評議会がある。島民は平等な自治を営み、1991年にオーストラリア連邦の州の一部になる事を拒否した。総督はグラント・タンブリング(Grant Tambling)。
[編集] 地理
太平洋に位置し火山性の島で、島の北部は標高の低いは山地で最高地点のベイツ山(318m)とピット山(316m)がある。島の南部は標高の低い緑豊かな丘がほとんどで牧草が多い。付近に無人島のネピアン島とフィリップ島がありノーフォーク島の国立公園の一部になっている。オーストラリアの東、ノーフォーク島は南緯29度02分、東経167度57分に位置する。ノーフォークマツ(別名パインツリー)と言う島の特産のマツが島のあちらこちらに生い茂る。 主な町は島の南海岸のシドニー湾に主都のキングストン(Kingston)で人口の大半はここに集中している。後は南西の空港近くの湾にロッキー・ポイント(Rocky・Point)とロングリッジ(Longridge)、島の中央部にバーント・パイン(Burnt Pine)とミドルゲート(Middlegate)、北西のアンソン湾にアンソン・ベイ(Anson Bay)、東にスティールス・ポイント(Steeles Point)、ピット山近くの北西のカスケード湾にカスケード(Cascad)などの集落の村々がある。
[編集] 経済
島の生活水準は対照的に高い。観光が盛んで1970年代から観光業が重要な産業になっており、観光客が急増している。これに従い労働市場が開拓された。観光客の増加により、1961年の人口844人から、現在の1,841人に増えた。主作物には柑橘類、コーヒー、バナナなど。1956年には捕鯨の基地が島に造られたが、1962年以降は休止している。
[編集] 交通
島の西にノーフォーク島空港があり、シドニーからの直行便がある。
[編集] 住民
住民はピトケアン島から来たバウンティ号の反乱者の末裔(イギリス人水夫とポリネシア人の混血)とオーストラリアから来た白人などである。
言葉は公用語が英語だが、ノーフォーク語(イギリス西部地方の英語とゲール語と現地語であるポリネシア語の混成言語)を話す。
宗教はキリスト教がほとんどである。
[編集] 文化
ノーフォーク島といえばパインツリーともいわれるノーフォークマツが有名である、オーストラリアやハワイのラナイ島などにも見られるが、原産地は、ここノーフォーク島であり、島のあちらこちらでこのマツが見られるし、ノーフォーク島の旗にも描かれている。クックがノーフォーク島に来た時、丈夫で大きく見事なこのマツに関心しており、島で壊れた、エンデバー号のマストにノーフォークマツを使用し新しいマストを作って再び航海に出たと言うエピソードがある。ノーフォークマツは現在、島の重要な材木輸出でもある。
島の主都キングストンは流刑地(ジャッキー・ジャッキーやオーストラリアで有名なアウトローネッド・ケリーの息子ジョン"レッド"・ケリーら犯罪者らはノーフォーク島に送られている。)として発展し、イギリスの南太平洋の植民地ではオーストラリアのシドニーに続いて2番目に古い植民地だった。
オーストラリアの女性作家コーリン・マカラックはノーフォーク島に魅せられてノーフォーク島に移り住んでいる。
[編集] 外部リンク
- Norfolk Island(英語版)
- Norfolk Island Tourism(英語版)
- Norfolk Island on The Net(英語版)
- Norfolk Island Online(英語版)
- Australian Department of Transport and Regional Services(英語版)
- ノーフォーク島旅行記(日本語)
|
|
---|---|
州 | クイーンズランド | タスマニア | 西オーストラリア | ニューサウスウェールズ | ビクトリア | 南オーストラリア |
準州 | ノーザンテリトリー |
首都特別地域 | キャンベラ |
特別地域 | アシュモア・カルティエ諸島 | オーストラリア南極領土 | クリスマス島 | コーラル・シー諸島 | ココス (キーリング) 諸島 | ジャービス湾 | ノーフォーク島 | ハード島とマクドナルド諸島 |