ニュー・オーダー
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ニューオーダー(New Order)は、マンチェスターにて結成されたイギリスのニューウェーブロックバンド。前身はポスト・パンクの代表的なバンドの一つジョイ・ディヴィジョン。
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[編集] メンバー
- バーナード・サムナー(Bernard Sumner) -ボーカル、ギター、キーボード - 通称バーニー
- ピーター・フック(Peter Hook) -ベース、ドラム - 通称フッキー
- スティーヴン・モリス(Stephen Morris) -ドラム、キーボード
- ジリアン・ギルバート(Gillian Gilbert) -キーボード、ギター 1982年加入、2001年脱退
- フィル・カニンガム(Phil Cunningham) -ギター 2005年加入
[編集] 概要
1980年に作詞兼ヴォーカル担当であったイアン・カーティス(Ian Curtis)が自殺したため活動停止を余儀なくされたジョイ・ディヴィジョン。残された3人のメンバーは紆余曲折の末、バーナードがイアン・カーティスに代わりにボーカルとギターを担当し、当時モリスのガールフレンド(のちにモリスと結婚することとなる)でパンクバンドで活動していたジリアン・ギルバートをキーボードとギター担当の新メンバーとして迎え入れ、バンド名も新たに「ニューオーダー」として活動を開始。途中、家庭の事情(子供の病気)でジリアンが脱退し、サポートメンバーだった元マリオンのフィル・カニンガムを正式メンバーに加え現在に至る。その命名の由来はナチス・ドイツの提唱した「新秩序」であるが、メンバーによると政治的な意図は無く単に響きで選んだものであるとのこと。
ファーストアルバムこそジョイ・ディヴィジョンの延長線上ともいえる陰鬱なサウンドだったが、12インチシングル「エヴリシングス・ゴーン・グリーン」を発表した時期から元々導入していたエレクトリックサウンドの比重が高まり、ギターとエレクトロニクスを融合させたロックバンドの草分け的存在の一つとなった。また1983年の「ブルーマンデー」のロングヒット、さらにヒップホップにおける代表的なプロデューサーであったアーサー・ベイカーと組んだ「コンフュージョン」等により今や世界のクラブシーンで直接的、間接的を問わず「彼らの影響を受けていない人間を探すことは難しい」とさえいわれる。
彼らの楽曲はフォークロック然としたギターサウンドから完全なエレポップまでと曲毎のアレンジの振幅が激しく、また同じ名前を冠する曲でもシングルとアルバムではまったく別物であったりする場合があるため、アルバムメインのリスナーとシングルメインのリスナーではかなり印象の違うバンドである。
特にベース担当のピーター・フックのベースをヒザ近くまで低く構えた演奏スタイル、そして高音域でメロディーを引っ張っていくメロディアスなプレイは独特で、世界中のミュージシャンからリスペクトされている。
また、彼らは大胆に電子音楽、ハウス音楽の要素を最初に本格的に取り入れたバンドの一つであるのみならず、所属レーベルのファクトリー・レコードの社長であるトニー・ウィルソンと共にクラブ、ハシエンダをマンチェスターに1982年にオープンし経営に参加、英国の初期のクラブ文化の発展に寄与し、1980年代終わりから1990年代始めに掛けて世界中に衝撃を与えたマッドチェスターやセカンド・サマー・オブ・ラブといった音楽シーンを生み出す母体となった。こうした経緯と、ロックとダンスの融合を試みた数多くのシングルのリリースにより、現在の若いDJやダンス系のアーティストにはニュー・オーダーへの憧憬と彼らからの影響を公言するアーティストが少なくない。
レコードジャケットなどのグラフィックデザインは前身のジョイ・ディヴィジョン時代からその殆どをグラフィックデザイナーのピーター・サヴィルが手がけているが例外もある。例えばジョイ・ディヴィジョン時代の自主制作シングルレコードの「An Ideal for Living」のジャケットデザインはバーナード自身によるものである。またニュー・オーダーの作品の中でも「エヴリシングス・ゴーン・グリーン」のジャケットデザインはバーナードとジリアンの共同デザイン。
活動期間の長いバンドの例にもれず、メンバー間の確執は根強い。特に顕著だったのは「リパブリック」のプロデュース等をめぐりバーナード・サムナーと他の3人が対立。文字通り解散一歩手前の状態に陥り、メンバーそれぞれが別プロジェクトの活動に専念した事も重なり、結果的に「ゲット・レディ」製作までに8年近くのブランクが生じたことである。
さらに2007年、ピーター・フックは複数のメディアで「バーナードとは一緒にやっていない」と述べ「ニュー・オーダーは解散した」と明言したが、2007年6月、バーナードとモリスは英BBC Newsに宛てた文書を通じて正式に「解散はせず今後も2人で活動を続けて行く」とコメントし、事実上フッキーは脱退したとの認識を明らかにした。これに対しフッキーはMySpace上の自身のページにて「バンドはもう終わった。残り三分の二(バーナードとモリス)に活動を続ける権利は無い。俺にも三分の一の権利がある」と改めて解散を宣言、交渉に応じるとも述べながら、裁判を示唆するコメントを残している。また、『5番目のメンバー』フィル・カニンガムの立場については不透明な状況になっている。
[編集] ディスコグラフィー
[編集] オリジナルアルバム
- ムーブメントMovement(1981)
- 権力の美学Power, Corruption and Lies(1983)
- ロウ・ライフLow-Life(1985)
- ブラザーフッドBrotherhood(1986)
- テクニークTechnique(1989)
- リパブリックRepublic(1993)
- ゲット・レディーGet Ready(2001)
- ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コールWaiting For The Sirens' Call(2005)
[編集] ベストアルバム
- サブスタンスSubstance 1987(1987)
- ザ・ベスト・オブ・ニュー・オーダー(the best of)New Order(1994)
- ザ・レスト・オブ・ニュー・オーダー(the rest of)New Order(1995)
- インターナショナルInternational(2002)
- レトロRetro(2004)
- シングルスSingles(2005)
[編集] ライブアルバム
- ジョン・ピール・セッションズPeel Sessions(1990)
- BBC レディオ1 ライヴ・イン・コンサートBBC Radio 1 Live In Concert(1992)
- In Session(2004) 国内盤未発売
[編集] シングル
- セレモニーCeremony(1981)
- プロセッションProcession/エヴリシング・ゴーン・グリーンEverything's Gone Green(1981)※同時発売
- テンプテイションTemptation(1982)
- ブルー・マンデーBlue Monday(1983)
- コンフュージョンConfusion(1983)
- シーヴス・ライク・アスThieves Like Us(1984)
- マーダーMurder(1984)
- パーフェクト・キスThe Perfect Kiss(1985)
- サブ・カルチャーSub-Culture(1985)
- シェルショックShellshock(1986)
- ステイト・オブ・ザ・ネイションState of the Nation(1986)
- ビザール・ラヴ・トライアングルBizzarre Love Triangle(1986)
- トゥルー・フェイスTrue Faith(1987)
- タッチト・バイ・ザ・ハンド・オブ・ゴッドTouched by the Hand of God(1987)
- ブルー・マンデー88Blue Monday 88(1988)
- ファイン・タイムFine Time(1989)
- ラウンド&ラウンドRound & Round(1989)
- ラン2Run 2(1989)
- ワールド・イン・モーションWorld in Motion(1990)
- リグレットRegret(1993)
- ルーインド・イン・ア・デイRuined in a Day(1993)
- ワールド (プライス・オブ・ラヴ)World (The Price of Love)(1993)
- スプーキーSpooky(1993)
- トゥルー・フェイス 94True Faith 94(1994)
- 19631963(1995)
- ブルー・マンデー 95Blue Monday 95(1995)
- ビザール・ラヴ・トライアングルBizarre Love Triangle(1995)
- ビデオ 5 8 6Video 5 8 6(1997)
- クリスタルCrystal(2001)
- 60マイルズ・アン・アワー60 Miles an Hour(2001)
- ヒア・トゥ・ステイHere to Stay(2002)
- クラフティーKrafty(2005)
- ジェットストリームJetstream(2005)
- ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コールWaiting for the Sirens'call(2005)
[編集] 映像作品
- Taras Shevchenko(1983年発売(日本では輸入版のみ流通)。1981年にニューヨークのUkranian National Homeで行われたコンサートを収録。)
- Pumped Full Of Drugs(1986年発売。1985年の日本公演を収録、2001年にDVDとして再発。)
- Substance 1989(1989年発売。PVのコンピレーション。)
- New Order Story(1993年発売。BBC制作の特別番組がベースの作品。)
- New Order 316(2001年発売。上記Taras Shevchenkoと1998年のレディング・フェスティバルの演奏をDVDとしてリリース。)
[編集] 来日公演歴
- 1985年5月に単独公演のため初来日。その演奏能力とバーニーのヴォーカルは物議を呼んだ。東京厚生年金会館でのコンサートはFM生中継の為アンコールが無く会場内では相当なブーイングだった。ステージが終了し観客が帰って行く中、機材の不調で納得のいく演奏ができなかったメンバーが突如として再びステージにあらわれジョイディビジョンの曲を演奏を始めた。当然一旦ホール外に出かけた観客なども押し寄せ、軽いパニック状態になり、主催者側から演奏途中で強制的に中止された。
- 1987年1月。東京2回、大阪・名古屋各1回の計4回の公演を行った。
- 2001年7月28日FUJI ROCK FESTIVALのホワイトステージに出演。サポートミュージシャンとして元スマッシング・パンプキンズのビリー・コーガンが参加。ホワイトステージは入場規制がかかった。
- 2005年7月31日FUJI ROCK FESTIVALのグリーンステージにメインアクトとして出演。ステージ脇の巨大スクリーンに「クラフティー」の日本語版歌詞を表示し、ファンらと大合唱した。
- フッキーはDJとして来日し、代官山でプレイしていた。
[編集] メンバーによるソロプロジェクト
[編集] エレクトロニック
エレクトロニック(Electronic)はバーニーと元ザ・スミスのジョニー・マーによるプロジェクト。
- エレクトロニックElectronic (1991)
- レイズ・ザ・プレッシャーRaise The Pressure (1996)
- トゥイステッド・テンダネスTwisted Tenderness (1999)
[編集] リヴェンジ
リヴェンジ(Revenge)は、フッキーが中心となって結成されたバンド。
- ワン・トゥルー・パッションOne True Passion(1990)
[編集] モナコ
モナコ(Monaco)は、リヴェンジの後にギタリストであるデヴィッド・ポッツと結成されたバンド。
- ミュージック・フォー・プレジャーMusic For Pleasure(1997)
- モナコMonaco(2000)
[編集] フリーベース
フリーベース(FreeBass)は、フッキーの呼びかけによりザ・スミスのアンディ・ルークと元ストーン・ローゼズ、現プライマル・スクリームのマニの全員ベーシストの三人で結成された(らしい)バンド。
[編集] ジ・アザー・トゥー
ジ・アザー・トゥー(The Other Two)は、ニュー・オーダーの「残り二人」、スティーヴン・モリスとジリアン・ギルバートによるサウンドユニット。(この二人は夫婦である)
- ジ・アザー・トゥー・アンド・ユーThe Other Two & You (1993)
- スーパー・ハイウェイズSuper Highways (1999)
[編集] 備考
[編集] メンバー
- ジリアン・ギルバートは公私共にパートナーであるスティーブン・モリスとの間の子供が難病を抱えていたため、1990年代後半のバンドの再始動以降は一部の曲のレコーディングを除き、ライブツアーなどバンドの活動には関わってこなかったが、2001年に正式に脱退が表明された。彼女の欠けたツアーには後に正式メンバーとして加入するフィル・カニンガムが代役を務めることとなった。
- バーニーとフッキーそれぞれ二人は離婚し、再婚経験がある。
- 1stアルバム「ムーブメント」の第一曲目「Dreams Never End」はフッキーがヴォーカルを担当。また、初期のシングル「Procession」はスティーヴン・モリスがヴォーカルを担当。当時はまだヴォーカルが定まっていなかった(バーニー以外は歌が上手かったという)。メンバーの4人それぞれをボーカルとした編成で担当楽器なども取り替えつつリハーサルを繰り返して試行錯誤の末に現在の楽器担当、バンド編成にたどり着いたといわれている。
- 1987年に日本テレビの深夜番組「11PM」に出演「ビザール・ラヴ・トライアングル」を生演奏で披露した(正確な放映日は不明)。
- アルバム「ロウ・ライフ」のジャケットはスティーヴン・モリスの写真である。アルバム・シングルのジャケットでメンバーが登場するのは「ロウ・ライフ」のみ。
- ツアー中の行動の破天荒さは、とあるバンドのメンバーをして「正真正銘の24アワー・パーティー・ピープル」と言わしめるほどである。
[編集] プロモーション・ビデオ
- 「トゥルー・フェイス」のPVは1987年のBrit Awards PV賞を受賞した。監督は1992年のアルベールビルオリンピック開会式・閉会式の演出を担当した舞踏家・映像作家のフィリップ・ドゥクフレ。
- 「パーフェクト・キス」のPVは同曲をスタジオで生演奏する様をほぼそのまま収録したもの。監督は「羊たちの沈黙」などで知られるジョナサン・デミ。
- 「ビザール・ラヴ・トライアングル」のPVはさまざまな映像がコラージュされ、まさに映像の洪水ともいえる美しい作品となっている。監督は現代芸術家、映像作家で「JM」(Johnny Mnemonic)の監督で知られるロバート・ロンゴ(en:Robert Longo)。
- 「シェルショック」のPVには1985年の来日公演時の映像と京都タワーなど新幹線からの風景映像が出てくる。
- 「ワールド・イン・モーション」は1990 FIFAワールドカップイタリア大会のサッカーイングランド代表チームの公式応援歌であり、曲の中でイングランド代表選手たちがコーラスを担当していて、チャートでも大ヒットを記録した。2006年現在、彼らにとって唯一の全英ヒットチャート1位を記録したシングルである。
- 「ワールド・イン・モーション」のPVにはエルビス・プレスリーの扮装をしたバーニーがオープンカーの座席上で踊りまくるシーンがある。
- 「タッチト・バイ・ザ・ハンド・オブ・ゴッド」のPVではメンバー全員がニューオーダーとは対極にあるとも言えるLAメタルの扮装で登場、ファンを笑わせた。監督は後に「K-19」の監督を務めたキャスリン・ビグロー。
- 「ラン2」のPVのメンバーが登場するシーンでは、バーニーが腰を曲げて回るなど奇妙な踊りをしている。
[編集] その他
- 「権力の美学」のレコードジャケットに使用されている絵画はフランスの画家アンリ・ファンタン=ラトゥールによるもの。
- 「ステイト・オブ・ザ・ネイション」は85年5月の来日時に日本コロムビアのスタジオで録音された(当時の音楽誌には坂本龍一がプロデュースを担当するという噂レベルの記事が掲載された)。
- 「リバプリック」以降のアルバムはピーター・ガブリエル所有のリアル・ワールド・スタジオで制作されている。
- 「ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール」はブライアン・イーノにプロデュースを依頼しておりイーノも応じるつもりだったようだが、スケジュールの都合等により実現しなかった。
- 「ウェイティング・フォー・ザ・サイレンズ・コール」はトーレ・ヨハンソンがプロデュースを担当するという噂があった。
- バーニーは80年代来日時、Logic System(YMOのマニピュレイター松武秀樹 のソロ・プロジェクト)やカシオペア を愛聴していると公言。
[編集] 関連項目
- 日産・セレナ - 日本国内のテレビCM(カイト篇)で「クラフティー」が採用された。
- トップランナー - NHK教育テレビのトーク番組。2004年度のテーマ曲に「レッツ・ゴー」が採用され、オープニングではメインMCだった武田真治・本上まなみ出演のショートムービーが同曲に乗せて放送されていた。
- ポップジャム - NHK総合テレビの音楽番組。現在オープニングアニメーションのBGMとして「リグレット」が使用されている。