LAメタル
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LAメタル(えるえい めたる)は、1980年代中頃に誕生したヘヴィメタルのムーブメントであり、そのジャンル名である。アメリカのロサンゼルス(L.A.)が中心地となっていたためこう呼ばれる。LAメタル・ムーヴメントを活性化させたのは、1983年5月にアメリカロサンゼルスで開催され、数多くの有名アーティストが出演し、何十万人ものの観衆を集めた第2回USフェスティヴァルだった。その後、クワイエット・ライオット(Quiet Riot)のCome On Feel The Noise が全米No.1ヒットとなったのがきっかけでシーンの活況を呈し、1980年代後半のアメリカでのヘヴィメタルブームの発端となったムーブメントである。
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[編集] 音楽性
いかにもアメリカ西海岸といった明るく能天気な曲が多く、欧州のバンドで重視される「哀愁」や「湿り気」といった要素はほとんど感じられない。歌詞も「パーティがどうした」、「女の子がこうした」などといったものが多い。ギターのリフのザクザクとした調子がヘヴィメタルであることを表しているが、グラムロックからキッス(KISS)の流れをくむパーティロックンロールであるため、ハードロックに分類される場合もある。
アルバム中に必ず1、2曲バラードを入れており、それらがスマッシュヒットする場合が多かった。
[編集] ファッション
ルックス重視であり、髪の毛を大きく膨らませたり、口紅を塗るなどが典型的なスタイルであった。概してルックスが派手であるほど、よりポップな音楽性のバンドが多く、単に売れたいだけ、女性にモテたいだけとの揶揄を込めて化粧バンドと呼ばれていた。ポイズンなどがその代表格であるが、そういった当時の風潮そのものを客観視できる現在では、再評価も進んでいる。
いずれにせよLAメタルを特徴付けるのは華やかなファッションであり、ダーティなルックスのスラッシュメタルとは対極にあるといえる。
[編集] 歴史
モトリー・クルー(Motley Crue)とラット(RATT)を頂点とし(売れる前までモトリーのニッキーとラットのロビンはルームメイトとして互いに極貧生活を凌ぎ合うなどして音楽的な交流を促進させた)、ドッケン(Dokken)、ストライパー(Stryper)、W.A.S.P.、ポイズンなど一時は大盛況であったが、1980年代終盤の ガンズ・アンド・ローゼズ(Guns'N Roses)の大ブレイクを最後に急速に勢いを失う。その後続いたスラッシュメタル全盛期を経て、オルタナティブ・ミュージックの台頭と引き換えにアメリカのメタルシーンは長い停滞期を迎える。
そして2000年代に入り、グランジに代表される内面的なロックのブームが一段落すると、再びエンターテインメントとしてのロックが注目されるようになり、LAメタルからの影響を前面に出した若手バンドが登場してきた。ハードロック・ヘヴィメタルの新たな中心地である北欧では、バックヤード・ベイビーズやネガティヴ、アメリカではビューティフル・クリーチャーズ、バックチェリーらが代表的だ。
また、若者からのリスペクトを背景としたベテランの復活も顕著で、ハノイ・ロックスなどは1980年代以上の成功を収めている。ガンズ・アンド・ローゼズの元メンバーらが中心のヴェルヴェット・リヴォルヴァーはデビュー前から大きな話題を集め、1stアルバムが世界中でヒットした。
[編集] 余談
- 日本でしか言われない言葉でありアメリカではこのような言い方はしないという説もあるが、ただ日本ほど強烈なインパクトがないだけで実際にそう呼ばれている。80年代当時から米国MTVのヘッドバンガーズボールという番組でもこの言葉は使用されている。
- 「LAメタル」は、アメリカでいう「グラム・メタル」、「ヘア・メタル」、「ヘア・バンド」と、ジャンルとしてほぼ同じ。