ジョン・マクラフリン
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ジョン・マクラフリン | |
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ジョン・マクラフリン(1986年) |
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基本情報 | |
出生名 | ジョン・マクラフリン |
別名 | マハヴィシュヌ・ジョン・マクラフリン |
出生日 | 1942年1月4日(66歳) イングランド ヨークシャー州ドンカスター |
出身地 | イングランド |
ジャンル | フュージョン ジャズ インド音楽 フラメンコ クラシック |
職業 | ギタリスト 作曲家 |
担当楽器 | アコースティックギター エレクトリックギター |
共同作業者 | マイルス・デイヴィス マハヴィシュヌ・オーケストラ カルロス・サンタナ シャクティ アル・ディ・メオラ パコ・デ・ルシア |
ジョン・マクラフリン(John McLaughlin, 1942年1月4日 - )またはマハヴィシュヌ・ジョン・マクラフリン(Mahavishnu John McLaughlin)はイングランド・ヨークシャー・ドンカスター出身のジャズ・ロックギタリスト。テクニシャンとして知られ、1970年代ジャズ・ロックシーンにおいて重要なグループマハヴィシュヌ・オーケストラのリーダーだった。ヒンドゥー教徒でもあり一時期はインド音楽に傾倒したが、現在ではフラメンコ・クラシックなどのスタイルも広く取り込んだ演奏を行っている。
[編集] バイオグラフィ
アメリカでの活動前にはジョン・サーマン、トニー・オックスレーらと組んで1969年に「エクストラポレーション(extrapolation)」というジャズ要素の濃い作品を出している。当時からジャズを主流にした非凡なセンス・テクニック・フィーリングの持ち主だった。
1969年にアメリカに渡り、トニー・ウィリアムスのライフタイムに参加。その後マイルス・デイヴィスグループに入り、『イン・ア・サイレント・ウェイ(In A Silent Way)』、マクラフリンの名がタイトルで入っている『ビッチェズ・ブリュー(Bitches Brew)』、『オン・ザ・コーナー(On The Corner)』、『ビッグ・ファン(Big Fun)』、『ジャック・ジョンソン(A Tribute to Jack Johnson)』等に参加した。デイヴィスはジャック・ジョンソンのライナーノート中でマクラフリンのプレイを「far in(奥深い)」と表現したように、彼を高く評価していた。
セッション・プレイヤーとしての評価も獲得し、ミロスラフ・ヴィトウス、カーラ・ブレイ、ウェイン・ショーター、ラリー・コリエル、ローリング・ストーンズらとセッションを行っている。
1970年初頭にダグラス・レコード社からアルバム『ディボーション(Devotion)』を発表。1971年に発表した二作目の『マイ・ゴールズ・ビヨンド(My Goal's Beyond)』でインド音楽に傾倒した初期のスタイルを確立する。これには彼がこのときヒンドゥー教に改宗して、ヒンドゥー教の高名な指導者であるシュリ・チンモイ師の弟子となった事が大きく影響している。このアルバムはチンモイに捧げられ、ライナーノートには彼の作った詩が掲載されている。マクラフリンが初めて自分の名前に「マハヴィシュヌ」を付け加えたのもこのアルバムである。
『マイ・ゴールズ・ビヨンド』の発表直後に、マクラフリンは自己バンドのマハヴィシュヌ・オーケストラを結成。初期メンバーはマクラフリンと、ジェリー・グッドマン(vl)、ヤン・ハマー(key)、リック・レイアード(b)、ビリー・コブハム(ds)。いずれもテクニック自慢の精鋭ぞろいである。アルバム『内に秘めた炎(The Inner Mounting Flame)』・『火の鳥(Birds Of Fire)』などの中で、彼らはジャズ・インド音楽・ロック等を独特の高度なアンサンブルで融合させることにより大きな成功を収めた。一度の一時的解散(1973年)と幾度かのメンバーチェンジを経て、最終的には1975年にバンドは解散するが、彼らの成功はフュージョンというジャンルの発展に大きく貢献した。
マハヴィシュヌ・オーケストラの解散と前後して、マクラフリンはインド人音楽家たちと一緒にバンドシャクティを結成した。シャクティでの彼はシンプルなアコースティックギターを用い、ワールドミュージックのはしりとでもいうべきインド音楽をジャズでアレンジした演奏を行なう。欧米だけではなくインド国内などでも演奏活動を繰り広げて高い音楽的評価を受けたが、やや時代を先取りしすぎた感があり、商業的成功という意味では今ひとつ物足りなかった。
マクラフリンはヒンドゥー教の導師シュリ・チンモイ師に師事しており、同じく弟子入りしたラテン・ミュージシャンのカルロス・サンタナとは宗教上の兄弟弟子である。1973年には二人でコラボレーションアルバム『ラブ・デボーション・サレンダー(Love Devotion Surrender)』を発表した。これにはジョン・コルトレーンのカバー曲なども収録されている。しかしテクニックで優位のマクラフリンが前に出すぎてしまい、音楽的にはイマイチのしろものである。
1979年、パコ・デ・ルシア、ラリー・コリエルと組んでトリオを結成する。1980年にはコリエルが去り、その代わりとしてアル・ディ・メオラが加入する(この二人はこのあともその時々の都合で入れ替わる。1981年の日本公演にやってきたのはコリエル)。どちらにしても、史上類を見ないビッグネームのトリオであることはまちがいない。この三人は1996年にも再結成され、レコーディングと世界ツアーを行っている。
1980年代終わりから1990年代の初め、彼はガットギターにシンセサイザーを同調させた楽器を使い、パーカッション奏者のトリロク・グルトゥ、ベース奏者のカイ・エクハルト、ドミニク・デ・ピアッツァと組んでツアーを行い、アルバム『John Mclaughlin Trio Live』、『Que Alegria』を発表。またロンドン交響楽団をバックにした『地中海』を発表するなど精力的に活動。そして1995年にはこれまでの活動を集大成した金字塔『The Promise』をリリースし、一時期彼に影響を受けたと言われるロックギタリストジェフ・ベックとの共演が話題となった。
近年ではエレクトリック・サウンドのハート・オブ・シングス・バンドの活動や、シャクティの元メンバーに新規加入メンバーを加えてリメンバー・シャクティとして活動した。2004年と2007年にエリック・クラプトン主催の、クロスロード・ギター・フェスティヴァルに参加。2007年には、ゲイリー・ハズバンド、アドリアン・フェロー、マーク・モンデシールと共に、ジョン・マクラフリン&4thディメンションとして北米ツアーを行った。2008年にはヨーロッパツアーが決まっている。
[編集] ディスコグラフィ
- リーダーアルバム
- 『エクストラポレーション』(1969年)
- 『ディボーション』(1971年)
- 『マイ・ゴールズ・ビヨンド』(1971年)
- 『エレクトリック・ギタリスト』(1978年)
- 『エレクトリック・ドリームス』(1978年)
- 『ベロリゾンティ~美しき水平線』(1981年)
- 『ミュージック・スポークン・ヒア~吟遊詩人』(1982年)
- 『ギター・コンチェルト~地中海』(1988年)
- 『ジョン・マクラフリン・トリオ・ライブ』(1989年)
- 『ケ・アレグリア』(1991年)
- 『タイム・リメンバード~プレイズ・ビル・エヴァンス』(1993年)
- 『トーキョー・ライブ』(1993年)
- 『アフター・ザ・レイン』(1994年)
- 『ザ・プロミス』(1995年)
- 『ハート・オブ・シングス』(1997年)
- 『ハート・オブ・シングス・ライヴ』(1998年)
- 『シーヴス・アンド・ポエッツ』(2003年)
- 『インダストリアル・ゼン』(2006年)
- 『フローティング・ポイント』(2008年)
- マハヴィシュヌ・オーケストラ名義でのアルバム
- 『内に秘めた炎』(1971年)
- 『火の鳥』(1972年)
- 『ロスト・トライデント』(1973年)
- 『虚無からの飛翔』(1973年)
- 『黙示録』(1974年)
- 『エメラルドの幻影』(1974年)
- 『内深界』(1975年)
- 『マハヴィシュヌ』(1984年)
- 『アドベンチャーズ・イン・ラジオランド』(1986年)
- シャクティまたはリメンバー・シャクティ名義でのアルバム
- 『シャクティ・ウィズ・ジョン・マクラフリン』(1975年)
- 『美しき創造』(1976年)
- 『大地の躍動』(1977年)
- 『リメンバー・シャクティ』(1999年)
- 『ビリーバー』(2000年)
- 『サタデー・ナイト・イン・ボンベイ』(2001年)
- セッションアルバム
多数