ジェレミー・ゴンザレス
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ジェレミー・ゴンザレス Geremi Gonzalez |
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基本情報 | |
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国籍 | ベネズエラ |
出身地 | スリア州マラカイボ |
生年月日 | 1975年1月8日 |
没年月日 | 2008年5月25日(満33歳没) |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1991年 アマチュアフリーエージェント |
初出場 | MLB / 1997年5月27日 NPB / 2007年5月9日 |
最終出場 | NPB / 2007年 |
経歴 | |
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ジェレミー・ゴンザレス(Geremis Segundo González Acosta, 1975年1月8日 - 2008年5月25日)は、ベネズエラ出身のプロ野球選手(投手)。巨人時代の登録名は「GG」。
目次 |
[編集] 来歴・人物
速球はフォーシームとツーシームを投げ分け、時速140km後半に達する。チェンジアップとカーブも有し、セットポジションからの投球も得意(だが、巨人入団後、セットポジションからの投球に課題が残った)。
[編集] 米球界時代
コレグロ・ラ・チニータ高校を卒業後、1991年にドラフト外のフリーエージェントとして、シカゴ・カブスと契約した。将来を嘱望されていたが、1997年にデビューを果たし1998年にも投げた後は、3つの手術を含む複数の怪我により、およそ5年のブランクを経験する。
2003年、ゴンザレスは6勝11敗に終わるも、タンパベイ・デビルレイズでもっとも好調の投手だった。先発したうち17回で3失点以下に抑えたものの、アメリカンリーグ東地区の先発投手中、1試合平均3.91得点と最低の援護しかもらえなかった。防御率3.91、156投球回で97奪三振を記録する。
2005年シーズン初頭には、ボストン・レッドソックスで3試合先発するも、1勝1敗、防御率6.65に終わる。5月下旬にはマイナーリーグのポータケット・レッドソックスに降格されたものの、7月上旬に中継ぎ要員として昇格した。
2006年シーズン、ゴンザレスはニューヨーク・メッツで3試合先発したが、結果を残せずミルウォーキー・ブルワーズにトレードされる。
メジャーリーグの実働6シーズンで、131試合出場(うち83先発)、573⅔回投げ、30勝35敗、354奪三振、防御率4.93、4完投、2完封を記録した。
[編集] 日本時代
2007年5月9日、読売ジャイアンツと契約。背番号は94[1]。登録名は「GG」となり、ニックネームの登録は巨人にとって初めてのことになる[2]。当時巨人に同姓のルイス・ゴンザレス、ファーストネームの同じ[3]ジェレミー・パウエルがいたため、登録名が重ならないように球団側がニックネームで登録することを決めた事情があったからである。後付けで清武球団代表は「『グレートジャイアンツ』という意味でもある」と述べている。
5月17日に入団会見を行い、「巨人は日本で一番人気のあるチーム。先発でも中継ぎでもアジャストしたい」と意気込みを語った。
6月14日のオリックス戦(スカイマークスタジアム)に初登板初先発。6回4失点自責点2という内容で打線の活躍もあり来日初勝利をあげた。しかしその後の登板試合では5回持たずにKOされるなど、先発・リリーフともに打ち込まれた。またこの頃にはパウエル・上原の穴を埋める投手が台頭、緊急補強の意義も薄まっていた。7月8日の二軍降格以降は一軍に上がることなくシーズン終了後に戦力外通告を受けた。
10月21日の帰国直前に「苦しんだ部分もあったけどいい経験ができたと思う。チャンスがあれば来年も日本でプレーしたいし、巨人相手に投げて力があることを証明してみたい」とコメント。「巨人に復讐を宣言し、横浜が興味を示した」といった報道(いわゆる「飛ばし記事」か)もあったものの、結局どの球団も獲得には動かなかったため帰国となった。
[編集] 巨人退団後
2008年5月25日に実家付近であるベネズエラ西部スリア州マラカイボ湖で水上バイクをしていたところ落雷を受け死亡したと地元のスポーツ紙が伝え[4]、5月26日にはゴンザレスのマネージメント会社がそのことを認めた[5]。なお、この時にはどの球団にも所属していなかった。
[編集] 年度別投手成績
年度 | チーム | 背 番 号 |
登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | 勝率 | 投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴投 | ボーク | 失点 | 自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997年 | CHC | 54 | 23 | 1 | 1 | 11 | 9 | 0 | .550 | 144.0 | 126 | 16 | 69 | 2 | 93 | 1 | 1 | 73 | 68 | 4.25 |
1998年 | 30 | 20 | 1 | 1 | 7 | 7 | 0 | .500 | 110.0 | 124 | 13 | 41 | 3 | 70 | 2 | 3 | 72 | 65 | 5.32 | |
2000年 | メジャー登板なし | |||||||||||||||||||
2001年 | メジャー登板なし | |||||||||||||||||||
2002年 | メジャー登板なし | |||||||||||||||||||
2003年 | TB | 54 | 25 | 2 | 0 | 6 | 11 | 0 | .353 | 156.1 | 131 | 18 | 69 | 12 | 97 | 3 | 2 | 71 | 68 | 3.91 |
2004年 | 11 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | .000 | 50.1 | 72 | 9 | 20 | 3 | 22 | 4 | 0 | 42 | 39 | 6.97 | ||
2005年 | BOS | 28 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | .667 | 56.0 | 64 | 7 | 16 | 2 | 28 | 1 | 0 | 39 | 38 | 6.11 | |
2006年 | NYM | 32 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 14.0 | 21 | 4 | 6 | 0 | 8 | 0 | 0 | 12 | 12 | 7.71 |
MIL | 21 | 0 | 0 | 4 | 2 | 0 | .667 | 42.0 | 50 | 6 | 17 | 2 | 36 | 0 | 0 | 31 | 24 | 5.14 | ||
2007年 | 巨人 | 94 | 5 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | .333 | 19.1 | 22 | 4 | 6 | 1 | 17 | 0 | 0 | 17 | 14 | 6.52 |
MLB通算 | 131 | 4 | 0 | 30 | 35 | 0 | .462 | 572.2 | 588 | 73 | 238 | 24 | 354 | 11 | 6 | 340 | 314 | 4.93 | ||
日米通算 | 136 | 4 | 0 | 31 | 37 | 0 | .456 | 592.0 | 610 | 77 | 244 | 25 | 371 | 11 | 6 | 357 | 328 | 4.99 |
[編集] エピソード
- 日本時代の登録名は「GG」であるが、ユニフォームの背ネームでは「G.GONZALEZ」である。
- 2004年3月31日のMLB開幕戦(デビルレイズ対ヤンキース)で東京ドームのマウンドを経験済みで、その時には松井秀喜に凱旋ホームランを打たれている。その記録は「松井秀喜ホームランカード」の日米通算349号(メジャー通算17号)のカードに収録されている。
[編集] 脚注
- ^ これに伴い、木樽正明育成担当コーチが背番号を94から125に変更した。
- ^ 巨人では歴史と伝統を重んじる球団の方針があるためニックネームやファーストネームでの登録は原則として認められていない(ただし、ファーストネームの登録ではホセ・パーラが「ホセ」にした例外がある)
- ^ 日本語転写は同じだが、アルファベットではスペイン語「Geremi González」と英語「Jeremy Powell」で異なっている
- ^ "Un rayo dio muerte a Géremi González" El Universal. 2008年5月26日閲覧.
- ^ "Former pitcher Geremi Gonzalez dies Right-hander, who pitched for five teams, killed by lightning" AP通信(mlb.com). 2008年5月27日閲覧.
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube