ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ
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ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ | |
原語表記 | ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ |
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愛称 | ジェフリザーブズ |
クラブカラー | 黄、緑、赤 |
創設年 | 1995年 |
所属リーグ | 日本フットボールリーグ |
ホームタウン | 市原市・千葉市 |
ホームスタジアム | 市原臨海競技場 |
収容人数 | 15,338 |
代表者 | 三木博計 |
監督 | 越後和男 |
ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ(ジェフユナイテッドいちはら・ちばリザーブズ、JEF UNITED ICHIHARA CHIBA RESERVES)は、Jリーグに所属するジェフユナイテッド市原・千葉のアマチュアチーム(クラブではない)。
目次 |
[編集] 名称
2006年にチーム名を「ジェフユナイテッド市原・千葉アマチュアチーム」から「ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ」に変更したのに伴い、正式な略称としてジェフ・クラブを採用している。
ただし、クラブとしての「ジェフユナイテッド市原・千葉」が呼称として「ジェフユナイテッド千葉」、略称として「ジェフ千葉」を採用しているのに合わせて、ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ、ジェフ千葉クラブと呼ばれることがある。
名称に「クラブ」が付いているが、ジェフ・クラブ自体は独立したサッカークラブではない。あくまでも「ジェフユナイテッド市原・千葉」というクラブの一チームである。
2007年には、さらに「ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ」にチーム名を変更している。文字通り、トップチームの予備軍としての位置づけとして、トップチームのレギュラーに取って代わる選手を育てるといった意味合いがある。
[編集] 概要
チーム自体の元々の創設は1995年。2000年にジェフユナイテッド市原・千葉に吸収されて、現在の同クラブの下部組織のチームとして正式に発足されたのは2003年である。
アマチュアチームは、日本では馴染みの薄い存在であるが、簡単に一言で説明すると、クラブの中でトップチームのサテライトとユースチームの中間に当たる存在である。ドイツ・ブンデスリーガの3部リーグに当たるレギオナルリーガのアマチュアチーム、リーガ・エスパニョーラのセグンダ・ディビシオン以下のBチームと同じであると考えて相違ない。このうちジェフ・クラブはドイツのアマチュアチームを参考に設立されている。こうしたアマチュアチームは日本ではジェフ・クラブ以外では2005年に結成された徳島ヴォルティスの下部組織である、徳島ヴォルティス・セカンドの2例のみが知られている。
似たような性格のチームとしてアルビレックス新潟とJAPANサッカーカレッジがある。ただし、アルビレックス新潟とJAPANサッカーカレッジの関係はシステムとしてはほぼ同一であるが、JAPANサッカーカレッジが学校法人となっている点で少し特異である。
また、同じく「アマチュア」を名乗っていているものの、浦和レッドダイヤモンズの浦和レッドダイヤモンズ・アマチュアはトップチームの下部組織として機能していない点で大きく性格が異なる。
ジェフ・クラブが一般のアマチュアクラブとして異なる点として、
- 選手はプロサッカークラブであるジェフ千葉と契約している事。
- トップチームの練習試合やJサテライトリーグの試合に出場出来る事。
- ジェフの下部組織として運営されるようになってから、Jリーグに所属するトップチームの選手との入れ替えに、一般的な「移籍」という手続きを必要としなくなった事。
などが上げられる。実際、アマチュアの選手がサテライトリーグに出場することはジェフでは珍しくなく、中にはトップチームに登録された選手もいる(その逆に、トップチームの選手がアマチュアに落ちる場合もある)。
「移籍」の実態としては、現在、トップチームとアマチュアチーム間の移動は、手続き上「移籍」という建前を用いている。ただし、チーム間に移籍金は発生しない等、一般的に用いられる「移籍」という概念からは大きく逸脱している。「移籍」という言葉よりも、「移動」「出向」というイメージで考えた方が分かり易い。現在、年間の移籍回数などでトップ、アマチュア間の移動回数に制限が設けられているが、ジェフではこの制限の規制を緩和するように働きかけを行っている。
このようなシステムの採用は、将来のJリーガーを目指そうとする若手選手、また、大器晩成型の選手の才能発掘に大きな期待が持てるとして注目を集めている。
[編集] 歴史
1995年にアマチュアクラブ市原スポーツクラブがジェフのお膝元である市原市の市民が地域のスポーツ・サッカー文化の活性化を狙って設立された。これが現在のジェフ・クラブの前身に当たる。この当時からジェフからコーチングや運営面での派遣・支援を取り付けて活動していた。
2000年にジェフの育成普及部のカテゴリに加えられ、Jリーグクラブの下部組織としては初めての第1種(社会人・大学生)登録チームのアマチュアチームとなった。
2003年からは正式に「ジェフユナイテッド市原・アマチュアチーム」となった。2005年からチーム名が変更されるのに伴い「ジェフユナイテッド市原・千葉 アマチュアチーム」となっている。
2004年には天皇杯全日本サッカー選手権大会の千葉県代表として初出場、また全国社会人サッカー選手権大会にも出場するなど、社会人サッカーの新興勢力として着実な力を蓄えつつある。
2005年、関東社会人リーグ2位で、地域リーグ全国決勝大会に進出。同大会決勝ラウンドで2勝1敗の2位となり、翌年からJリーグクラブのアマチュアチームとしては初めてとなる日本フットボールリーグ入りを果たした。
2006年からチーム正式名を「ジェフユナイテッド市原・千葉クラブ」、略称を「ジェフ・クラブ」と変更した。
2007年からチーム正式名を「ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ」、略称を「ジェフリザーブズ」と変更した。
[編集] 戦績
年 | カテゴリ | 勝点 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | 差 | 順位 | 数 | 備考 |
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2002年 | 千葉県1部 | 24 | 9 | 8 | 0 | 1 | 31 | 8 | +23 | 優勝 | 10 | 関東社会人の2部制導入に伴い 関東リーグ昇格 |
2003年 | 関東2部 | 28 | 14 | 9 | 1 | 4 | 47 | 27 | +20 | 3位 | 8 | |
2004年 | 36 | 14 | 12 | 0 | 2 | 61 | 17 | +44 | 優勝 | 8 | ||
2005年 | 関東1部 | 28 | 14 | 9 | 1 | 4 | 41 | 16 | +25 | 2位 | 8 | 地域リーグ決勝大会2位 JFL昇格 |
2006年 | JFL | 35 | 34 | 11 | 2 | 21 | 52 | 68 | -16 | 12位 | 18 | |
2007年 | 52 | 34 | 14 | 10 | 10 | 50 | 45 | +5 | 9位 | 18 | ||
2008年 | 8 | 11 | 2 | 2 | 7 | 8 | 20 | -12 | 15位 | 18 |
[編集] ユニフォーム
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[編集] 関連項目
- ジェフユナイテッド市原・千葉
- ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズの選手一覧
- 徳島ヴォルティス・セカンド(徳島ヴォルティスのアマチュア組織)
- 浦和レッドダイヤモンズ・アマチュア(浦和レッドダイヤモンズのアマチュア組織)
[編集] 外部参照リンク
ジェフユナイテッド市原・千葉リザーブズ - 2008 |
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1 瀧本雄太 | 2 鳥養祐矢 | 3 安川洋介 | 4 川上典洋 | 5 宇野勇気 | 6 朴宗真 | 7 蓮沼剛 | 8 中原浩介 | 9 金東秀 | 10 堀川恭平 | 11 加藤韻 | 13 金正旭 | 14 李智星 | 15 柿内直素 | 16 渡辺正嗣 | 17 上野拓也 | 18 竹田忠嗣 | 19 山中誠晃 | 20 村野太一 | 21 中牧大輔 | 22 砂森和也 | 23 稲葉将 | 24 加藤龍平 | 25 市瀬勇樹 | 26 村上翔 | 27 平田直也 | 28 岡庭和輝 | 29 高橋悠馬 | 30 大河原弘樹 | 31 奥田勇太 | 32 金井涼太 | 33 中村祥太 | 34 沓掛勇太 | 35 渡部耕平 | 36 奥山泰裕 | 37 熊谷智哉 | 38 乾達朗 | 39 田中淳也 | 40 高田健吾 |
監督 越後和男 | | トレーナー 河合眞哉 | チーム | 編集 |
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