コルホーズ
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ソビエト連邦 |
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思想 最高指導者 場所 組織 |
コルホーズ(Колхоз)とは、旧ソ連の集団農場のことである。
[編集] 歴史
1928年、ヨシフ・スターリンが発表した第一次五ヶ年計画の中核に、農業の集団化が据えられていた。ネップにより復活したクラーク (富農)を根絶し、農村における社会主義革命を完遂することが目的で、この五ヶ年計画中に一気にソビエト全土でコルホーズが組織された。
クラークは資本主義を代表する階級敵と規定され、絶滅の対象とされ、多くのクラークが処刑され、それを免れても強制収容所へ連行された。この際の犠牲者数は100万人を超えるという説もある。
この急速な集団化は多くの犠牲者を出したが、反抗者の排除によるソビエト体制の安定化につながり、開拓地などに設立されたソフホーズ(国営農場)とともにソビエト農業の基本構造となった。
第二次世界大戦でソ連軍に占領され、ソ連型社会主義体制へ移行した東ヨーロッパ諸国でも、ポーランド以外はこのコルホーズと同形態の集団農場による農業の集団化を実行した。一方、ソ連国内では徐々にコルホーズ生産の非効率性が認識され、自留地における農作物の自由生産と市場での販売が承認されていった。それでも2億人を超えるソ連国民の食糧は自給できず、コルホーズの生産性向上は歴代の政権にとって難問であり続けた。
1991年にソビエト連邦が解体され、農業集団化が否定されると、コルホーズの存在意義が問われるようになった。ソ連型社会主義からの脱却を指向するウクライナなどの各国ではコルホーズが解体され、自営農民の復活に向けた動きが進んだ。その一方、集権的で共同体意識が強く残るロシア連邦の農村などでは従来のコルホーズが形を変えながら維持されているという指摘もなされている。
[編集] 内容
国有地を無料で使用して耕作を行った。主な農機具・家畜等は共有。労働者は組合員としてコルホーズで農作業を行い賃金を得る。生産物は政府に売却する。組合組織による経営であった。
各個人の住宅に付属した小規模農地で野菜の栽培、家畜の飼育が可能で、個人で生産した生産物は自由に販売してよいことになっていた。生産向上が農民の収入増に直接つながるこの自留地栽培は集団農場よりも高い効率を示し、脆弱なソビエト農業への一助となった。
[編集] 関連項目
- ピオネールは木を植える(歌:歌詞の中に「コルホーズ」が登場する)
- 愛國戰隊大日本(主題歌(「太陽戦隊サンバルカン」の替え歌)の歌詞中に「コルホーズ」が登場する)