ケネディ宇宙センター
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ケネディ宇宙センター(John F. Kennedy Space Center, 略:KSC)は、アメリカ合衆国フロリダ州ブレバード郡メリット島にある、アメリカ航空宇宙局 (NASA) の有人宇宙船発射場及び打ち上げ管制施設である。マイアミとジャクソンビルの中間のケープカナベラル付近に位置しており、敷地は長さ55km、幅約10kmで 567 km² の広さがあり、2008年1月時点では約13,500人が働いている。一般の観光客に公開されている部分があり、公開ツアーも組まれ、一大観光スポットにもなっている。施設の北に隣接する区域はカナベラル国立海岸(Canaveral National Seashore)に指定され、またケネディ宇宙センターの敷地の大部分は安全・環境保全のために立ち入り禁止となっているため、周辺は大型猛禽類やワニの生息する野生動物の自然保護区にもなっている。
2008年現在、ケネディ宇宙センターが運用するのは打ち上げ発射台39A・39B、着陸用滑走路、シャトル組み立て棟などを含むスペースシャトル関連設備のみである。その他の全ての無人ロケットの運用はアメリカ空軍によって運営されているケープカナベラル空軍基地 (CCAFS) (北緯28度28分03秒・西経80度34分00秒) にて行われている。
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[編集] 歴史
1950年代後半から始まったソビエト連邦との宇宙開発競争で劣勢に置かれていたアメリカは、1957年にソビエト連邦が世界初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げたことに対抗して、1958年にアメリカ初の有人宇宙飛行計画となるマーキュリー計画を発表した。1961年5月5日にはアラン・シェパードを乗せたフリーダム7が発射され、約15分間の弾道飛行を成功させた。この成功を受けて、1961年5月15日にジョン・F・ケネディ大統領が演説し、「1960年代中に月への有人飛行を実現する」とした、月飛行計画が発表された。最初のマーキュリー計画の成果は、次世代のジェミニ計画・アポロ計画へと引き継がれることになった。アポロ計画の前段階として実行されたジェミニ計画ではタイタンII型ロケットが使用されることになり、空軍基地が隣接するメリット島まで拡張されることになった。1962年にNASAは土地の取得に乗り出し、340km² の土地の所有権を獲得した。さらにフロリダ州との交渉の結果、230km² の土地を追加で取得した。この新しい基地は1962年7月に打ち上げ運用センター (Launch Operations Center) と名付けられたが、ケネディ大統領の暗殺を受けて、翌年の1963年11月にケネディ宇宙センターと改称された。同時にケープカナベラルの地名もケープケネディと改名されたが、地元住民がケープカナベラルの名を惜しんだこともあって、これは1973年に元の名前に戻された。
アポロ計画に際しては、より大型のサターンVの打ち上げに対応するために、およそ8億ドルをかけてコンプレックス39が整備されることとなった。エリア中央部には、サターンVを4機収容することができる巨大なロケット組立棟 (Vehicle Assembly Building; VAB) が建てられた。これらの設備の建設は1962年11月に始まり、VABは1965年6月に完成し、新しい発射台も同年10月には完成した。アポロ計画ではコンプレックス39の運用により、13機のサターンVが打ち上げられた。(ちなみに、初期のサターンロケットであったサターンIとサターンIBはケープカナベラルの射点34から発射された。)
一方、アメリカ空軍はタイタンII型ロケットの打ち上げ能力をさらに高め、タイタンIIIとタイタンIVを開発していた。これらのロケットをケープカナベラル空軍基地内で打ち上げるために、射点40と射点41がケネディ宇宙センターの南方に設置された。タイタンIIIはサターンIBとほぼ同等の打ち上げ能力を持ちつつ、大幅なコストの節約を実現した。以後、これらのロケットと発射台は軍事・偵察衛星や通信衛星、気象衛星の打ち上げに使用されたり、時折NASAに貸し出されてNASAの惑星探査機が打ち上げられたりするなど、重要な発射場として注目されるようになった。
[編集] 現在の役割
ケネディ宇宙センターは現在、スペースシャトルの発射基地として使用されている。これには、アポロ計画時代のコンプレックス39の設備が再び使用されている。最初のスペースシャトルはコロンビア号で、1981年 4月12日に打ち上げられた。ケネディ宇宙センターには長さ4600mの滑走路もあり、1984年2月11日以降はスペースシャトルオービタの第一の着陸施設にもなっている。この滑走路が運用される以前は、カリフォルニア州にあるエドワーズ空軍基地がメインの着陸場であった。現在でも、天候不良などが原因でケネディ宇宙センターでのシャトルの着陸が困難な場合、しばしばエドワーズ空軍基地が第2のシャトル着陸場として使用される。
2004年9月には、敷地内の一部の施設でハリケーンフランシスによる被害を受けた。シャトル組み立て施設では建物の外側のパネル1,000枚が損失を被った。これにより、施設内の3,700m²を暴風雨にさらすこととなった。被害は建物の南側と東側に及んだ。また、2005年10月にはハリケーン・ウィルマにより、さらに甚大な被害を受けた。
[編集] 歴代センター長
- クルト・H・デーブス (1962年7月 - 1974年11月)
- リー・R・シェラー (1975年1月19日 - 1979年9月2日)
- リチャード・G・スミス (1979年9月26日 - 1986年8月2日)
- フォレスト・S・マッカートニ- (1987年8月31日 - 1991年12月31日)
- ロバート・L・クリッペン (1992年1月 - 1995年1月)
- ジェイ・F・ハニーカット (1995年1月 - 1997年3月2日)
- ロイ・D・ブリッジス・ジュニア (1997年3月2日 - 2003年8月9日)
- ジェイムズ・W・ケネディ (2003年8月9日 - 2007年1月)
- ウィリアム・W・パーソンズ (2007年1月 - )
[編集] 逸話
かつてケネディ宇宙センター付近は、大規模な空き地であった。これは、この付近が湿地帯であり、蚊が大量に発生するため、またワニが出るため(現在でも出るようだが)だったようだ。