サターンロケット
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サターンロケットは、アメリカ航空宇宙局 (NASA) が開発・運用していたロケット。元ドイツのロケット科学者ヴェルナー・フォン・ブラウンが中心となって開発した。後期型のサターンVロケットは月ロケット用として知られる。アポロ計画で、計12人もの宇宙飛行士を月に送り込んだ、人類史上(当時)、もっとも速く、もっとも高価で、もっとも遠い場所に行った乗り物である。
サターンという名は、土星から。先代のロケットがジュピター(木星)であったため、「次は土星だろう」という経緯で決まったとされる。
その後、サターンVロケットはアメリカ初の宇宙ステーション「スカイラブ」の打ち上げにも使用され、現在は2機が展示保存されている。
[編集] サターンI
サターン・シリーズの最初の型。現在のH-2Aとほぼ同等の低軌道打ち上げ能力を持つ。当初、サターンロケットはC1、C2、C3、C4、C5と発展する予定だった。サターンIはこのC1にあたる。C2以降は期間とコストの圧縮のため廃止。よって、C2以降でのテストを予定されていた液体酸素-液体水素エンジンであるJ-2を2段目に搭載した、サターンIBが開発されることになった。
なお、C5は後のサターンVにあたる。
[編集] サターンIB
アポロ計画初期において、主に司令船と機械船の運用試験を行なうため地球周回軌道上に打ち上げるために使用された。液体燃料の2段式。アリアンVと同程度の18t程度のペイロードを低軌道に投入することができた。1段目には8基のケロシン・液体酸素のロケットエンジンをクラスター式に搭載している。2段目には新型の水素ロケットエンジンJ-2エンジンを搭載している。このエンジンは性能が良くなっただけでなく、複数回にわたって燃焼できるのが特徴。
後のスカイラブ計画では、スカイラブ2号から4号(アポロの転用)を輸送するため、サターンVの射点で下駄を履かせて発射された(サターンVの発射塔は、IBにとって大きすぎた)。。なお、1975年のアポロ・ソユーズ共同飛行計画でも、ソユーズ19号とドッキングを行なうアポロ宇宙船の打ち上げの際には、スカイラブ2号から4号までと同様の発射方式が取られた。
[編集] サターンV
詳細はサターンVロケットを参照
アポロ月探査船の司令船、機械船、LM(月着陸船)を月に送り込むために開発された、全長110m、底部直径10mにも及ぶ、史上最大のロケット。3段式の液体燃料ロケットで、ケロシン・液体酸素のロケットエンジンを1段目に5基、液体水素-液体酸素のエンジンを2段目に5基、3段目に1基搭載する。総重量の実に93%が推進剤という、推進剤の塊のようなロケットである。また第1段ロケット5基の総出力を馬力に換算すると、約1億6千万馬力に達するが、これは現在までのところ人類が開発したものの中では最も高出力のエンジンである。
サターンVは、地球付近の高度約300kmの低軌道に120tにも及ぶペイロードを投入することができ、まさに月に行くためだけに作られたロケットである。しかし、予算削減のためアポロ計画は20号までの予定があったところを17号で中止となり、残されたサターンブースターとアポロ宇宙船は続くスカイラブ計画や、旧ソ連のソユーズ宇宙船とのドッキング・ミッションに使用された。