ギルド・ギター・カンパニー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
GUILD | |
本社所在地 | アメリカ合衆国 |
---|---|
設立 | 1952年 |
業種 | 製造業:その他の製品 |
事業内容 | ギターの製造 |
主要株主 | フェンダー |
外部リンク | www.guildguitars.com |
ギルド・ギター・カンパニー(Guild Guitar Company)は、アメリカ合衆国のギターメーカー。1952年にアルフレッド・ドロンジ(Alfred Dronge)によって設立された。同社最初の生産工場はニューヨークに置かれた。材質には慎重に選ばれた木を用い、ピックアップは手巻き、そして塗装には高品質のラッカーを用い、1台1台すべて手作りであった。
ギルドはアコースティックギターで知られていたが、ジャズ・ロック両方のニーズに合わせ、エレクトリックギターの生産もしていた。一時期、エレクトリックギターの生産は「聖地」と呼ばれる、ロードアイランド州ウェスタリーの工場で行なわれた。現在ではウェスタリーの工場はフェンダー社所有となっているが、フェンダー社は同工場での生産を行なわず、同社の生産プロセスに則ってギターを生産している。そのことから、ウェスタリー工場が閉鎖される前に生産されたギターには希少価値があるとされている。
ニック・ドレイクやマーサ・ウェインライトは同社のアコースティックギターを愛用し、何本ものギルドを所持していた。ドレイクのアルバム「ブライター・レイター」には、同社のアコースティックギター、M-20が写っている。またウッドストック・フェスティバルにおいて、リッチー・ヘヴンズは同社のアコースティックギター、D-40を抱えてステージに立ち、彼の代表曲である「フリーダム」を熱唱した。
一方、同社のエレクトリックギターの中でも最も人気の高かったギルド・スターファイアーは、イギリス4大バンドの1つであるキンクスのデイヴ・デイヴィスやルイジアナ州出身のブルース・ロックシンガーのバディ・ガイ、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのトム・フォガティなど様々なアーティストが所持していた。キンクスのアルバム「コントロバーシー」とクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム「コスモズ・ファクトリー」にはスターファイアーが写っている。
また、ギルド・スターファイアーの名を冠したベースはジェファーソン・エアプレイン・ホット・ツナ(Jefferson Airplane Hot Tuna)のジャック・カサディ(Jack Casady)やティトン・ブラウン(Teton Brown)のジョン・ゲルトマイヤー(John Geltmeyer)、グレイトフル・デッドのフィル・レッシュが使用していた。トム・ウェイツも初期の頃からギルドを使用し、2004年にヨーロッパで行なった自身のツアーでもギルドを弾いていた。
1960年代後半から1970年代初頭にかけては、マディ・ウォーターズが同社の代表的な製品であるS-200を弾いていた。このS-200はウォーターズのアルバム「エレクトリック・マッド」のバック・カバーにも写っている。
1980年代から1990年代にかけては、同社はブライアン・メイのレッド・スペシャルのレプリカを生産した。グランジ世代にはサウンドガーデンのキム・セイルが用いたS-100で知られている。
また、元Guns N' Rosesのスラッシュは長年、12弦アコースティックとエレクトリックのダブルネックギターを製作する構想を持っていた。しかし大手を含むいくつかの工房で門前払いを受け、最後に訪れたギルドのカスタムショップでようやくオーダーを受けてもらえたという。苦心の末に完成したそのギターは"Crossroad"と名付けられ、ギルドのカタログラインナップにも加えられた。
日本では1970年代初頭にロッコーマン(兵庫県神戸市)が輸入代理店となり流通するようになった。井上陽水、南こうせつ、所太郎、中牟田俊男、瀬戸龍介、松山千春などが使用したことで知られる。
[編集] 関連項目
- フェンダー - ギルドを傘下におさめているギターメーカー