カーデン・ロイド豆戦車
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カーデン・ロイド Mk.IV | |
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基礎データ | |
全長 | 2.46 m |
全幅 | 1.75 m |
全高 | 1.22 m |
重量 | 1.5 t |
乗員数 | 2名 |
装甲・武装 | |
装甲 | 6-9 mm |
主武装 | ビッカース7.7 mm重機関銃 |
副武装 | なし |
機動力 | |
速度 | 40 km/h |
エンジン | フォード社製T型4気筒 ガソリンエンジン 40 hp |
懸架・駆動 | 式 |
行動距離 | 144 km |
データの出典 | |
Wikipedia英語版 |
カーデン・ロイド豆戦車(Carden-Loyd tankettes)は、イギリスの第二次世界大戦前の豆戦車で、2つの大戦の間の戦間期に開発された。機関銃を装備したトラクターや牽引車と言うもので、軽戦車に満たないものであった。いくつかの国でライセンス生産され、それを元に様々な型のものが派生した。
目次 |
[編集] 開発
カーデン・ロイド豆戦車は後に中将となる、イギリス陸軍少佐ギフォード・Q・マーテル卿による個人的な計画として始まった。彼は自宅のガレージで自動車部品などの様々な廃品から1人乗りの小さな戦車を作り上げた。中古のマクスウェル社エンジンやフォード・トラックの車軸などを流用したもので、特別に作られたのはロードレス・トラクション社による履帯だけだった。自動車のステアリングと幅広の履帯をそなえたモーリス・マーテル豆戦車は操縦手の肩と頭部はむき出しで上部構造も木製のままだった。しかしこの1人乗り戦車が好評を呼び、兵器局は改良型の生産を認めた。
改良型はモーリス社の手により1926年3月に最初の車輌が完成した。2 t あまりの車体に16馬力のモーリス製エンジンを積んだ車輌で4 輌が製作された。この内、3 輌が1人乗りで、1 輌が2人乗りであった。1人乗りのタイプは、1人乗りであったことで操縦と射撃を同時に行うことが出来ない点が問題となって後に放棄されることとなる。
1927年にマーテル卿はさらなる改良型の、やや大型化された2人乗りの新型車を開発した。これは昇降式の座席により乗員を敵弾から守ることが出来るようになっており、8 輌が実験機械化部隊の偵察用に発注された。
陸軍による評価試験も好評で、1927年にはさらにクロスレイ・モーターズ社と1人乗りのクロスレイ・マーテル豆戦車を製作した。これはクロスレイ社の標準的な部品を用いてシトロエン・ケグレスハーフトラック(Citroen-Kegresse)のゴム製履帯とサスペンションを流用して製作されたもので、箱形の車体に自動車のステアリングと履帯を備えた小型のハーフトラック状のものであった。
これと同時期にマーテル卿のものより安価で実用的な車両を目指し「カーデン・ロイド・トラクター社」で製作されたのがカーデン・ロイドMk.Iである。当時、多数生産されており安価に入手・整備が可能であったT型フォードのエンジンを用い、1人乗りながらも簡便な旋回銃塔を備えていた。
整地走行用の外部タイヤが試みられるなど試行錯誤が繰り返されたが、Mk.IVで完全装軌式の2人乗り豆戦車としてまとまった。堅牢で操縦性に優れ、低いシルエットに高い機動性で被弾しにくく、9 mmの装甲板で防御性も備えていた。
1928年には決定版となるMk.VIに進化した。これは偵察車両と機関銃運搬車として、カーデン・ロイド豆戦車シリーズにおける最終発展形態となり、様々な派生型が誕生した。
[編集] 生産
生産は1927年から1935年まで行われた。1928年にカーデン・ロイド社はビッカース・アームストロング社に吸収され、Mk.VIの生産はビッカース社で行われた。1933年から1935年までの生産はロイヤルオードナンス社(Royal Ordnance)が行った。
イギリス軍は325 輌のMk.VIを使用していた(別のデータでは348 輌)。機関銃運搬車をベースに、砲牽引車、煙幕車、補給車、小型牽引車など様々な用途に用いられた。
[編集] 各国での運用・生産
低コストであったことから多数が輸出され、400 輌以上が輸出されたベストセラーとなった。
ポーランドは1929年に、10 輌もしくは11 輌のMk.VIをライセンスと共に購入し、それを元にTK豆戦車のシリーズを作った。これはポーランドのTKS豆戦車の元となった。
チェコスロバキアは、1930年に3 輌のMk.VIをライセンスと共に購入し、その設計を向上させ、プラハのČKD製造所で74 輌のTančik vz.33豆戦車を製造した(もともとのイギリスの戦車は近代戦には利用できないと評価されていた)。
ソビエト連邦は20 輌のMk.VI(ロシアではK-25と呼ばれた)をライセンスと共に購入した。しかし、最終的な開発計画は徐々に近代化され、ライセンスは失われた。その代わりにレニングラードにある「ヴォルシェヴィキ」製造所がイギリスの設計を近代化し拡大したT-27豆戦車の製造を開始した。合計で3228 輌のT-27が1931年から1933年の間製造された。
日本では陸軍が1930年(昭和5年)にMk.VIを輸入し、翌年3月から様々なテストを行い、カーデン・ロイドとは異なる九四式軽装甲車を独自に開発した。海軍陸戦隊は6 輌のMk.VIbを購入して「カ式機銃車」と名付けて運用した。
イタリアは何輌かのMk.VIを購入し、CV-29でライセンス生産されたものを少数生産した。これは、その後、L3/35豆戦車に発展した。
フランスではルノーが、ルノー製4気筒エンジンをそなえた改修型を、タイプUE(歩兵用キャリアー)として生産した。外観上は、乗員の頭を保護する二つの半球状のハッチが特徴である。車体の後部に660kgを積む小さなダンプ荷台をそなえ、乗員が車外に出ることなく物資を投下することができた。このほかに積載量500kgの装軌式トレーラーを牽引する。固有の武装は持たず、主に歩兵部隊のホチキス25mm対戦車砲の牽引用に用いられた。タイプUEは1931年から1940年までに5200輌が製造され、カーデンロイド発展型の中では最大の生産台数となったが、第二次世界大戦勃発時にはすでに旧式化していた。
さらに、この豆戦車は、カナダ、インド、オランダ、サイアムにも供給された。ボリビアは2 輌のMk.VIbを受け取りチャコ戦争で使用した。
[編集] バリエーション
- Mk.I
- Mk.I*
- Mk.II
- Mk.III
- Mk.IV
- Mk.V
- Mk.VI
[編集] 使用国
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