ウィリアム・テル
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ヴィルヘルム・テル/ウィリアム・テル(ドイツ語:Wilhelm Tell 、フランス語:Guillaume Tell〔ギヨーム・テル〕、イタリア語:Guglielmo Tell〔グッリェルモ・テル〕、英語:William Tell)は、14世紀初頭にスイス中央部のウーリに住んだとされる伝説の英雄。彼の名が記された史料が見つかっていないため実在性は証明されていないが、スイス人の6割はテルが実在の人物であると信じている。彼はスイスのみならず世界的に有名で、日本でも弓の名手として知られている。
日本では長らく英語名に基づいた表記「ウィリアム・テル」が使われてきたが、近年では本来の名であるドイツ語名に即した表記「ヴィルヘルム・テル」が多く使われるようになってきた。
伝承によれば、当時ハプスブルク家は、神聖ローマ皇帝アドルフの時代に強い自治権を獲得していたウーリの支配を強めようとしていた。ヘルマン・ゲスラー(ウーリのアルトドルフにやってきたオーストリア人の代官)は、その中央広場にポールを立てて自身の帽子を掛け、その前を通る者は帽子に頭を下げてお辞儀するように強制した。
しかし、テルは帽子に頭を下げなかったために逮捕され、罰を受ける事になった。ゲスラーは、クロスボウの名手であるテルが、自分の息子の頭の上にある林檎を見事に射抜く事ができれば彼を自由の身にすると約束した。テルは、息子の頭の上の林檎を矢で射るか、それとも死ぬかを、選択することになった。
1307年11月18日、テルはクロスボウから矢を放ち、一発で見事に林檎を射抜いた。しかし、矢をもう一本持っていた事を咎められ、「もし失敗したならば、この矢でお前を射抜いて殺してやろうと思っていた」と答えた。ゲスラーはその言葉に怒り狂い、テルを連行する。しかし彼はゲスラーの手を逃れ、その後姿をくらましつつゲスラーを陰から狙撃し射殺。町へ戻った彼は英雄として迎えられ、この事件はスイスの独立に結びつき、反乱の口火を切った。
スイス人の中には、このスイスの英雄が、下記の通り他国人による作品を通じて世界的に有名になっていることに対して、複雑な感情を持っている人もあると言われる。
[編集] テルとスイス人
スイス人はテルが好きである。テルやテルの息子は様々な絵やイラストになり、スイスを象徴するモチーフとして使われることが多いが、実はそれだけではなく、矢の突き刺さった林檎も同様にモチーフとして使われている。
スイスの紙幣、硬貨、郵便切手にも当然のように登場し、1918-1925年に発行された100スイスフラン紙幣やその後発行された5フラン紙幣にははウィリアム・テルの肖像が描かれていたほか、1954年から発行された第5次銀行券の最高額面1000フランの裏面には地模様に矢の突き刺さった林檎が描かれている。また硬貨には1922年に5フラン銀貨が改定された時に、その肖像が使われ現在も同じ図案であるが、この男性の肖像は髭を生やした紙幣の肖像とは異なり、髭の無い顔で、これはテルではなく単なる羊飼いの男性だという説もある。切手には長期に渡って紙幣と同じテルの顔が普通切手に使われていたし、テルの息子の肖像も普通切手に登場している。また矢の突き刺さった林檎も児童福祉の慈善切手に2回登場している。
[編集] その他の関連事項
- 1804年 ドイツ人、フリードリヒ・フォン・シラーは戯曲ウィリアム・テル(ヴィルヘルム・テル)を発表。
- 1829年 イタリア人ジョアキーノ・ロッシーニが、フランス語のグランドペラ「ギヨーム・テル」Guillaume Tell を発表。長尺で技巧的に高度なため上演は容易ではなく、イタリア語改訂版「グリエルモ・テル」としても一時期までは上演される方が多かったが、90年代よりフランス語版上演が主流。なお、「序曲」も単独で演奏会などで頻繁に取り上げられ、映画やTVでも頻繁に使用されて有名。