イブン=バットゥータ
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イブン=バットゥータ(Ibn Battūta)、全名アブー=アブドゥッラーフ・ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ・イブン=ムハンマド・アッ=ラワーティー・アッ=タンジー(Abū Abd allāh Muhammad ibn Abd allāh ibn Muhammad al-Rawātī al-Tanjī, 1304年 - 1368年)は、モロッコのタンジール生まれのイスラム法学者、旅行家。
1325年、21歳のとき世界旅行に出発し、エジプトを経てマッカ(メッカ)を巡礼し、さらにイラン、シリア、アナトリア半島、黒海、キプチャク・ハン国、中央アジア、インド、スマトラ、ジャワを経て中国に達し、泉州・大都を訪問したとされる。1349年故郷に帰還したのちも、さらにアンダルシア(イベリア半島)とサハラを旅し、1354年にマリーン朝の都フェスに帰った。
マリーン朝君主の命令を受けてイブン=バットゥータが口述し、1355年に完成された旅行記『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』(通称「イブン=バットゥータの大旅行記」、「三大陸周遊記」)は19世紀にヨーロッパに紹介され、各国語に翻訳されて広く読まれた。
[編集] 著作の日本語訳
以下の著作は、それぞれ題名が異なるが、いずれも『諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物』の翻訳である。