アヴス
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アヴス(AVUS, Automobil-Verkehrs- und Übungs-Straße)はドイツの首都ベルリン郊外に1921年に完成したサーキット。世界初の自動車専用道路でもある。名称はドイツ語で「自動車交通および運転習熟用道路」の頭文字を A-V-U-S を読んだものである。
ドイツ自動車産業の競争力向上を目的として民間会社 (Automobil-Verkehrs- und Übungs-Straße GmbH) が1913年に建設を開始、資金難でたびたび中断しつつもようやく1921年に完成。こうしてできあがったのは2本の平行するおよそ 9km にわたるストレートと、その両端に2つのヘアピンカーブというシンプルなサーキットであった。一部は有料道路としても開放され、ベルリン・ポツダム間の自動車移動時間の短縮に寄与した。これがのちのアウトバーン建設のきっかけとなった。
ここで1926年に第一回ドイツGPが行われた(第二回以降はニュルブルクリンクで開催)。翌年には高速化のために北ヘアピンカーブにバンクが設けられた。1937年4月には、バンクを大幅に改修して幅を広げ、傾斜を43度として滑り止め煉瓦を敷き詰め、さらに表面を研ぎ上げる徹底的な改修を行ったことにより、バンク周回時にも時速160㎞以上を維持することが可能となったため、アヴスは名実ともに世界一早いサーキットとなった。
有名なバンクはステアリング操作を比較的容易にするクロソイド曲線の断面ではなく、43度一定曲線ゆえの操縦の困難さから、「死の壁」と恐れられた。長い2本の直線路のため、完成当時から超高速コースとして知られ、1931年の第1回アヴス・レンネン (AVUS-Rennen)ですでに優勝者の平均時速は185kmを超えている。記録は年々上昇し、1937年の第6回アヴス・レンネンにおいては、流線型ボディのメルセデス・ベンツに乗ったヘルマン・ラング (Hermann Lang) が、時速260.7kmという恐るべき平均速度で優勝した。同年のプラクティスでは、ベルント・ローゼマイヤーが非公式ながら平均時速 284.31km/hという速度を記録している(公式予選での記録は時速276.39 km)。第二次世界大戦ののちコースは北側半分に短縮され、1959年に二度目のF1のドイツGPが開催された。危険性との批判から1967年にバンクは撤去されたものの、レースの開催数の低下に歯止めをかけられず、1998年をもってサーキットとしての役目を終了した。