アルフレート・ヴェーゲナー
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アルフレート・ロータル・ヴェーゲナー Alfred Lothar Wegener |
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ヴェーゲナー(1912年)
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生誕 | 1880年11月1日 ドイツ ベルリン |
没年 | 1930年11月??日 グリーンランド |
アルフレート・ロータル・ヴェーゲナー(Alfred Lothar Wegener、1880年11月1日 - 1930年11月、ベルリン生まれ、グリーンランドで没)は、大陸移動説を提唱したドイツの気象学者。現在でいう地球物理学者である。義父(妻の父親)はケッペンの気候区分で有名な気象学者ウラジミール・ペーター・ケッペン。日本では英語読みでアルフレッド・ウェゲナーとも表記される。
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[編集] 概略
ヴェーゲナーは、本来は気象学を専門とし、気球を使った高層気象観測技術などの先駆者であった。自ら気球に乗って滞空コンテストに参加し、当時の最長滞空の世界最高記録 52 時間を実現した。
1910年にヴェーゲナーは、世界地図(イギリスが中心に描かれているもの)を見て、南大西洋を挟んで、南アメリカ大陸の東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよく似ていることに気づいた。これが大陸移動のアイデアの元となった。
1915年にヴェーゲナーは、その主著『大陸と海洋の起源』の中で、地質学・古生物学・古気候学などの資料を元にして、中生代には大西洋は存在せず、現在は大西洋をはさむ四大陸が分離して移動を開始、大西洋ができたとする「大陸移動説」を主張した。彼の専門は気象学であり、地質学は専門外である上、当時の地質学は今日では古典的とされる化石の研究や同一地点の地層の重なりを調べる層序学を主流の手法としており、彼の主張は全く認められなかった。
1929年には彼は『大陸と海洋の起源』の第4版(最終版である第5版はヴェーゲナーの死去により未出版)において、南北アメリカ大陸だけでなく、こんにち存在するすべての大陸は1つの巨大大陸「パンゲア」であったが、約2億年前に分裂して別々に漂流し、現在の位置および形状に至ったとする説を発表した。当時、地質学者たちは化石に基づく研究から彼が主張する大陸移動の根拠を「陸橋説」で説明し、「大陸は沈んでも動くことはない」(現在では誤りと判明)として批判した。特に大陸移動の原動力をうまく説明できなかった彼の説は、またも完全に否定された。
気象学分野では大気熱力学で業績をあげたものの、彼はそれでは満足せず、大陸移動説の根拠を探すために5度のグリーンランド探査を行い、その途中50歳で死去した。墓標には「偉大なる気象学者であった」と記されているが、大陸移動説については何も触れられていない。
[編集] 大陸移動説その後
大陸移動説も参照
ヴェーゲナーがグリーンランドの氷河に消えてから約30年後の1950-1960年代に、大陸移動の原動力をマントル対流であるという仮説が唱えられ、さらに岩石に残された過去の地磁気の調査によって「大陸が移動した」と考えなければ説明できない事実が判明したことから大陸移動説は息を吹き返した。その後、これを発展させる形で地殻変動を総合的に説明できる説としてプレートテクトニクス理論が提唱され、ヴェーゲナーの大陸移動は「古くて最も新しい地質学」として再評価され、現在では高く評価されている。
日本での紹介は戦前からおこなわれていた。ただし、この時代には「異端の説」という扱いであった。その時期にこの説を取り上げたものの一つに手塚治虫の漫画『ジャングル大帝』(1950~1954年)がある。同作品のクライマックスは、大陸移動説の証拠となる石を発見するための登山であった。
その後、日本では1960年代になって、主に地球物理学系の学者によって上記のマントル対流とともに紹介され、1970年代には小学生向けの科学読み物[1]にも取り上げられるなど、広く知られるようになった。特に1973年に小松左京が発表した小説『日本沈没』と同年公開のその映画版は、この説を普及させる上で大きな役割を果たした。
ただし、地球物理学系の学者と地質学系の学者の間でこの説の受容に差があり、1980年代までの高等学校の地学の教科書では出版社によって扱いに違いがあった[2]。日本列島の形成史という地球規模ではミクロに属する領域までも大陸移動とプレート説による説明が日本で定着したのは、付加体説が受容された1990年前後のことである。
なお、1960年代から1970年代にかけての日本では、おもにアメリカ合衆国から大陸移動説やプレートテクトニクスの書物を取り寄せて紹介されたため、ヴェーゲナーの名は「ウェゲナー」の英語風の読みで広く定着することとなった。
[編集] 脚注
- ^ 学研の「ひみつシリーズ」・『コロ助の科学質問箱』(1972年)等。
- ^ 地球物理学系の学者は地震や火山のメカニズムをうまく説明できる大陸移動説を早くから支持したのに対し、フィールドワークに基づく地層の層序を地向斜説で説明してきた地質学系の学者は、大きな枠での大陸移動説は(古地磁気のデータから)受け入れたものの、自らのフィールドワークの対象である日本列島の形成史にプレート説を適用することには慎重であったり反発する傾向があった。このため、当時の地学の教科書では、地向斜説をマントル対流で説明したり、大陸移動説と地向斜説に基づく日本列島史をともに掲載する「折衷形」の記述も見られた。
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 上田誠也 『新しい地球観』 岩波書店〈岩波新書〉、1971年。
- 都城秋穂 『科学革命とは何か』 岩波書店、1998年、ISBN 4-00-005184-9。
[編集] 外部リンク