ぐゎらん堂
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ぐゎらん堂は、1970年代に吉祥寺に現れ、のちに「伝説のライブハウス」といわれたカフェである。
正式な名称は「BLUES HALL/武蔵野火薬庫 ぐゎらん堂」。所在地は東京都武蔵野市吉祥寺ぎんぎら通り13番地(俗にいう本町2-16-1)であった。
BLUES HALLとあるが音楽のジャンルは幅広く、フォーク、ロック、ジャズ、さらにはシャンソン、古い日本の歌謡曲まで演奏された。また、音楽だけではなく店内の壁面では油彩、日本画、写真、漫画原画などジャンルにとらわれない展示が毎月行われていた。ライブ、イベントも音楽はもとよりさまざまなパフォーマンス、落語なども主催された。
目次 |
[編集] 概論/「ぐゎらん堂」とはなんだったのか?
[編集] ぎんぎら通り13番地
所在地は東京・武蔵野市吉祥寺本町2-16-1。当時、そのストリートにはまだ名前がついておらず、ぐゎらん堂の住所は、若者たちから「ぎんぎら通り13番地」と呼ばれていた。 雨上がりのたそがれ時、夕陽がその通りを真っ赤に染め上げるからだった。
[編集] ライブハウス
音楽系メディアが、生演奏を聴かせる店を十把ひとからげにして「ライブハウス」と呼びはじめたのは1974年後半あたりからだったと思う。
当時の資料(1975年発行の音楽雑誌)を調べてみると、〈ライブ・ハウスという新しい店の形態が注目されるようになったのは去年の秋頃からだと思う〉 とある。
「ライブハウスってさ、ヨーロッパじゃストリップ小屋のことをいうんだぜ」と、「水曜コンサート」で唄い終わった三上寛が笑っていたのもちょうどその頃だった。
[編集] レコード・リスト
ぐゎらん堂が目指していたのは、単なるミュージック・スポット(音楽を聴かせる店)ではなかった。開店時の宣伝ビラには、店名の下に「SOUNDS & OBJET」と大書してある。「SOUNDS」というのは、草創期の黒人ブルースから、ロック&ロール、シャンソン、日本の流行歌、サーカスのジンタまで、ジャンルを超えたあらゆる音楽を意味していた。
ぐゎらん堂にはリクエスト用のレコード・リストが用意されていたが、たとえば、その【Mi=ミ】の項を引くと──
- Mick Jagger (ミック・ジャガー)
- Mihashi Michiya(三橋美智也)
- Miles Davis(マイルス・デイヴィス)
- Misora Hibari(美空ひばり)
- Mississippi John Hurt(ミシシッピ・ジョン・ハート)たちの代表的な30センチLPがずらりと並んでいた。エノケンの『ダイナ』や、あきれたぼういずの『地球の上に朝がくる』のオリジナル盤も人気のあるLPだった。
[編集] オブジェ
開店時に配られたビラの「SOUNDS & OBJET」の「OBJET」とは「オブジェ」のこと。ダダイズムやシュールレアリズムでいう、意識下にダイレクトに届く物的メッセージのことである。 たとえていうなら、1917年、マルセル・デュシャンがニューヨーク独立芸術家協会展に出品を目論んだ磁器製男性用小便器(『レディ・メイド《泉》』)であり、1963年、赤瀬川原平が模型千円札のシートで梱包したあのトランクである。
ぐゎらん堂では、赤瀬川原平の『零円札』が、「水曜コンサート」のギャラとしてミュージシャンに支払われていた時期もあった。
[編集] 店内展示
ぐゎらん堂は、アートやパフォーマンスを表現する場としても位置づけられていた。毎月、店内の壁面を利用して開催された「ぐゎらん堂店内展示」は、油彩、日本画、ポップアート、石膏人形、写真、漫画原画など、ジャンルを問わない多くの若きアーチストたちの作品でにぎわった。映画会、落語会、紙芝居、パントマイムの講演も行われた。
[編集] 若衆宿(わかしゅやど)
実際、ぐゎらん堂に集ったのはミュージシャンやそのファンの高校生、大学生たちだけではなかった。詩人、作家、画家、編集者、漫画家、写真家、映画作家、演劇人、舞踏家、落語家とその卵たちが続々と結集した。大工さん、植木屋さん、魚屋さん、畳屋さんなど市井のプロフェッショナルたちもまたたくさんやってきた。
ぐゎらん堂とは、1970年代、日本のカウンターカルチャーの拠点であり、をもつ若者たちのアジト(隠れ家)であり、さまざまな恋愛関係が錯綜した若衆宿でもあった。そして、なにより、「武蔵野火薬庫☆ぐゎらん堂」は、当時の多くの若者たちにとって、他所をもって代えがたい、特別な思いを抱いて通い詰めた居酒屋だったのである。
[編集] 歴史
- 開店:1970年10月28日に村瀬春樹、ゆみこ・ながい・むらせ、村瀬雅美氏らによりオープン。
- 1970年から1980年、開店時から約10年間の黄金期を、ゆみこ・ながい・むらせ、村瀬春樹両氏が主宰した。この間、500回以上のライブ・コンサー トやイベントを企画・開催し、訪れた客数は延べ50万人以上を数え、今日のニューミュージック界に大きな影響を与えた。
- 閉店:1985年10月
[編集] 水曜コンサート
- ぐゎらん堂は単純な意味での「ライブハウス」ではなかった。というより、この店が誕生した1970年の時点では、日本にはまだ「ライブハウス」という言葉が存在しなかった。
- ぐゎらん堂では、毎週水曜日にフォーク、ロックを中心にライブ演奏が行われていたが、このイベントは「水曜コンサート(または、水曜演奏会)」と名づけられ、多くのミュージシャンたちからもその呼称で長らく親しまれてきた。
[編集] ゆかりのミュージシャン
高田渡、シバ、武蔵野タンポポ団、林亭、Early Times Strings Band、渡辺勝、村上律、若林純夫、中川五郎、友部正人、いとうたかお、中川イサト、あがた森魚、三上寛、なぎら健壱、大塚まさじ、大庭珍太、佐久間順平、高田漣、中山ラビ、Sky Dog Blues Band、米利堅長靴(メリケン・ブーツ)、アシッド・セブン、佐藤GWAN博、品川寿男、青木トモコ、友川かずき、加川良、小林政広(林ヒロシ)、斎藤哲夫、田中研ニ、松田幸一(ありちゃん)、古川豪、岩井ケンジ、ちゃんがら、坂本龍一、キヨシ小林、世情半
[編集] ゆかりのアーティスト
金子光晴(詩人)、羽良多平吉、いしかわじゅん(漫画家)、鈴木翁ニ、長谷川集平(絵本作家)、永島慎二(漫画家)、壺井繁治(詩人)、佐藤英麿(詩人)、梅田智江(詩人)、やまだ紫(漫画家)、杉浦日向子(漫画家)、近藤よう子、佐々木マキ(漫画家)、勝又進(漫画家)、水木しげる(漫画家)、安部慎一(漫画家)、川崎のぼる(漫画家)、高信太郎(漫画家)、安西水丸(イラストレーター)、岸田ますみ(画家)、坂口笑子、林静一(イラストレーター)、高以良基、鳥屋尾亮、神野次郎、宇治晶、古今亭志ん八(落語家)、佐藤B作(役者)、劇団東京ヴォードヴィルショー(役者)、大西多摩恵(役者)
[編集] 関連項目
- 武蔵野タンポポ団
- 武蔵野フォーク・ジャンボリー